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【名娼明月ゆかりの地④高伝禅寺(佐賀県佐賀市)】

「小説 名娼明月」の第51話で、お秋の夫、伏岡金吾は、龍造寺城下外れの、ここ高伝禅寺に立ち寄っている。

 物語には、はっきりと寺の名前は書いてないのだが、佐賀城下にあって、龍造寺家、鍋島家の菩提寺となれば、まちがいなく、金吾の立ち寄った禅寺とは、ここ高伝禅寺しかない。

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 金吾の訪れた天正年代には、高伝禅寺は、桃の名所だったようだが、現在は、梅の名所になっている。わたし(Printempo)の参拝した本日(令和3年1月31日)、本堂前の梅が、ちらほらと咲きはじめていた。

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高伝禅寺の本堂。

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本堂入口の上に「高伝禅寺」の寺号が。


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 本堂の裏には、龍造寺・鍋島家の広大な墓所がある。
 高伝禅寺は、「1552年(天文21年)に当時龍造寺氏の家臣だった鍋島清房により、現在の禅宗寺院として創建された。以後、清房の孫である勝茂を初代とする佐賀藩鍋島家の菩提寺となる。1871年(明治4年)最後の佐賀藩主鍋島直大が散在していた鍋島家先祖の墓と元主君である龍造寺家の墓を集めて整備したため、龍造寺隆信や佐賀藩歴代藩主の墓所がある」(Wikipediaより)

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金吾の仇、矢倉監物が仕官しようとした、龍造寺隆信公の墓。


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 佐賀藩の藩祖とよばれる、鍋島直茂公の墓。
もともと龍造寺隆信公の家来であったが、豊臣秀吉が関白だった時代に、肥前佐賀の統治は、龍造寺家から、実権を握っていた鍋島家へと移ったのだそうだ。しかしながら、直茂公は龍造寺家に遠慮して、自らが藩主にはならず、息子の勝茂公が佐賀藩の初代藩主になっている。以後、幕末まで、肥前佐賀藩は、鍋島家が統治することになる。

■高伝禅寺への行き方
 佐賀市には地下鉄も市電もないので、佐賀駅から小一時間かけて歩いていくか、バスかタクシーを利用するかになる。
 車で行く場合は、国道208号線沿いに、「高伝寺入口」という交差点があるので、わかりやすい。駐車場もある。

 拝観料300円。梅の満開の時期や、花祭り(お釈迦様の誕生日)のときには、拝観料が500円になるとか。
 高伝禅寺には、佐賀市指定文化財の「大涅槃図」があり、花祭りの時期にはご開帳があるそうだ。
 「本紙が縦1281.4cmx横520.5cm、描表装も含めると縦1514.0cmx横609.8cmの大きさを持つ、日本最大級の涅槃図」(Wikipediaより)。

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