高尾山ノスタルジア No.1:薬王院開山
高尾山は、東京都南西の端、神奈川県にその境を接し、東京都心の程近くにありながら多くの自然が残され、東京都民のみならず、近郊に住む人々の憩いの空間となっています。高尾山は、遠く奥多摩に屹立する奥多摩三山の一つ、三頭山を起点とする長大な笹尾根からさらに南東へと続く、関東山地の末端の尾根の東の端に位置します。陣馬山から高尾山の間の主稜尾根、そして、この尾根をぐるっと取り囲む東高尾、南高尾ならびに北高尾の各山陵から構成される広大な山域は豊かな自然に恵まれ、登山や自然観察など様々な目的や楽しみを求めて、年間を通じ多くの人たちが訪れます。
高尾山は、その位置関係から甲州街道の要衝であったこと、また、奈良東大寺の勧進による功績でその名を知られる僧、行基による開基との伝承が残る高尾山薬王院が古くに開山されたことからいにしえより人の往来があったこと、そして、江戸後期から現在に至るまで、景勝ならびに観光の地として栄えてきたことから、多くの記録が残っています。
ただし、その記録の多くは江戸時代後期以降のものであり、それより前のものは乏しいのですが、高尾山薬用院開山の古い伝承は、今に伝わっています。江戸時代中期の寛延二年(1747)に石島正猗が著した『髙尾山縁起』によれば、高尾山薬王院は先述の行基菩薩が自ら薬師如来を刻んで奉納し、寺号を有喜寺、院号を薬王院と名付けたことが始まりとされています(*1)。
この話は、江戸時代後期の万延元年(1860年)以降に書かれたとされる地誌(いまでいうガイドブック)『八王子名勝志』にも記載があります(資料①)。以下抜粋します(表示不可能な文字は現代文字に置き換えます)。
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高尾山有喜寺藥王院
駒木野より一里八丁
新義真言飯繩権現別當として寺領七十五石此山武州の多麻郡の西に峙ち松杉鬱々として清風を舎し巌石峨々として常に輕雲を被る多西無雙の霊山也徃昔開山行基菩薩周く天下の霊境を覓め佛法興隆せしめ給ふ干時當山草昧深邃にして空く猛獸毒蟲の棲となり未だ獵師樵夫の蹊なしといへども其自ら幽玄にして法性の嶺上には真如の月冴え荘嚴の林間には應身の風扇ぎ坐にして心耳を澄して佛法有縁の地なるを悟り官府に訴へ田夫を催し荒萊を芟夷げ聊修禅の一院を建立すべく手作一刀三礼の藥師如来を刻み本尊となし奉り其山尾の長く張るを以て山號を高尾としまた藥王の妙應有喜の芳縁なればと即ち寺を有喜藥王院と命け給ふとぞ。
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高尾出身の身としては、美辞麗句が過ぎて背中がくすぐったくなるような気分ですが、思いっきり勝手に現代語にして要約すると、仏教を広めるためこの世の仏の霊験あらたかな地を求めていた行基が、この猛獣ウロウロ害虫ブンブン草ボーボーで、猟師やきこりさんも足を踏み入れないような山に辿り着き、そこで空には綺麗なお月様がのぼり、森には霊妙の風が吹く様子をみて仏様とのご縁を悟り、お役人さんに申し入れお百姓さんを集めて草を払い、真心込めて薬師如来を彫ってお堂にお納めするとともに、山のすそが長く尾っぽみたいだったので「ここは高尾じゃ」と命名し、ささやかに薬王院を建立しました、ということみたいです。山裾が長いのであれば、「高尾」ではなく「長尾」じゃなかろうかと思いますけど。
伝承では、これが天平十六年(744)頃であるとのよし。しかし、この話が約千年後の『髙尾山縁起』に記載されるまで、関連のある有力な資料は発見されていないこと、また、行基菩薩は主に近畿地方で活動した僧で、近畿地方を出たことがあるという記録や資料は何もないことから、あくまでも伝説にすぎないようです。ですが、多くの寺院の建立に功績のある行基を開祖とすることで、その正統性の根拠とした、ということに意義があるのかもしれません。かような趣旨においては、その真偽を問うこと自体、意味のないことなのかもしれません。
(*1) 石井義長、「髙尾山薬王院と薬師如来信仰・前編」、高尾山報、平成28年6月1日 第629号
(注1)
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