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低身長の僕の人生を変えるソリューション

令和が始まっても 自分が変わらなければ何も変わらない

令和の始まりは雨か晴れか

透き通るような自然界のアンビエンス、この世に生き残っている人の話す声、風を吹かせながら足早に過ぎていく車のエンジン音、遠くから近くに薄っすらと重なっていくあらゆる音たち。雨音が少し暗めの家の中でいつになく響いている。

令和の始まりは雨だった。

昼と夕方に胃袋に流し込むおにぎりを サランラップに包み あまりギュッと握りしめないように優しく愛らしく三角の形状を目指していく。パンの焼ける匂い、コーヒーの匂い、炊きたてのご飯の香り、それらを一度に吸い込んで吐き出す。

少し薄手の迷彩柄のノースフェイスのアウターにスっと腕を通し、つま先をコツコツと鳴らしながらいつものスニーカーを履き、白い玄関を出る。水たまりになっている地面を軽やかに交わしながら、雨が髪をかすめる度にバサバサッと湿り気を払う。

令和と言えど、ここ長崎では東京での盛り上がりと違って、とりわけいつもと変わらない朝があった。

始まっても 特に何も変わらない。でもそれは 変わろうとしないから変われないし 変わらないのである。

そんな変わらない令和という時代を迎える直前、平成最後の日に何も起こらないと思っていたら、以下のnoteで書いたけど、面白い事が起こった。

平成最後の日にサプライズ

新たな時代は何かを始めるキッカケとしては最高だ

何かを始めるにはキッカケが必要だ。

令和。

それは紛れもなく 年末年始や誕生日とかとは違い なかなか体験することができない大きなキッカケ。もしかしたら生きているうちに一度も体験できないままだってこともあり得るわけだ。そんな貴重な新しい時代の門出とも言える日を前に 「変わりたい!」という定番の意識が僕にも芽生えていた。

「その何か」は、自分の人生の中では予想だにしない何か。「おいそれマジか無理だろ」という何か。

令和を迎えるにあたり、そんなことをひたすらに考えていた。

そしてたまたまKindle Unlimitedでつらつらと本を流し見していたら、ふと目に止まった「筋トレが最強のソリューションである」という本に、数日前に出会い何気なく読んでみた。

僕の人生において「筋トレ」という三文字は予想外だったが……

「あっこれだ!」

直感的にそう感じた。

僕の最大にして最高のコンプレックスは「162cmという低身長」であることだ。いつでもどこでも 人と話す時は大概、見下ろされる方であり、見上げる方だ。それが僕の人生だ。 もちろん悲しい。でもそれはどうあがいても変えられない現実だ。「牛乳たくさん飲んでおけばよかった」なんて後悔は、もう何百回何千回としてきた。もちろんそんな問題ではないのは分かっている。それと筋トレと何が関係あるの?となりそうだけど、ものすごく関係している。

筋トレで体鍛えると「自分に自信がつく」と言うのだ。その本を ペラペラとめくりながら 一心不乱にページを追いかけている自分がいた。

「そうだ!低身長でも、筋肉をつければ 自信がつく!」

低身長であっても、肉体的な「強さ」を手に入れれば、長年苦しんでいるそんな悲しみやコンプレックスも吹き飛んでしまうのではないか!と直感的に感じた。

あぁそうだ。筋トレだよ。トレ筋だよ。

「小さくて強い=ベジータ」は非現実的なこと

思い返せば、僕の中でドラゴンボールのヒーローは孫悟空ではなく、ベジータだった。ドラゴンボールの漫画の中では、大抵チビが強い。フリーザも魔人ブウも人造人間17号も、そしてベジータも。クリリンも……いやそれは違うな。

いつも、ベジータは小さいのに強いな。いいな。

ならどうしてだ。ドラゴンボールの中ではチビが強いのに、どうして現実ではデカイものがこの世を制しているみたいな世界なのだろう。デカイ奴は、チビを怖がらないが、チビはデカイ奴を怖がる。

どうしてだろう、と。

それは紛れもなく筋肉だ。いや、それはまだ早い。それは「見た目の強さ」に他ならない。

体がデカイ奴は、最初のイメージで「見た目の強さ」がにじみ出ている。しかし、体が小さい奴は、最初のイメージで「見た目の弱さ」がにじみ出ている。

チビだから弱い。デカイから強い。

この方程式を逆転させることができないまま、僕はずっと生きてきた。

そう、僕はチビだから、自動的に弱いカテゴリーに入るのだ。

少年の頃もそうだった。僕がチビだから、上級生から蔑むように見られ、何度も「生意気だ」と校庭の隅に呼び出され、悔し涙を流したこともある。もちろん、小さいだけで呼び出されたわけではなく、僕が活発でお調子者で反抗的だったことが本質的な要因なのは理解している。というか、蔑むように見下ろされていると、何かしら反発心が芽生えてしまうことを少しだけ理解してほしいところだ。

僕が短気だから反抗していたわけでもなく、あの頃は特に自分を守らなければならないという思いでいっぱいだったのだと思う。「チビだけど俺を舐めるな」みたいな薄っぺらな防衛本能が、僕を見下ろす全ての人に対して、反抗的な態度に成り代わっていたのだと思う。

だって、僕の体が大きくてデカかったら?

僕は奴らに、呼び出されただろうか?

やっぱり僕がチビだから「楽に殺せる」なんて、相手は思ったんだと思う。

それは、中学卒業まで年に数回は起こった。その度に悔しい思いをしたけれど、それ以上に「俺がチビだからってふざけんな」という反発心はますます膨れ上がり、何かにつけて舐められることに理不尽さを抱き、「ありもしない自信」という名前のついた空っぽな宝箱をポケットに忍ばせ、一歩も引くことなく立ち向かった

そして「チビ」という概念は、もちろん大人になってから消えはしない。

例えば、引っ越しの手伝い、子供の運動会の会場設営、何かにつけて「力」が必要な時は、ストレートに言葉にはされないけれど、いつも「お前には無理だな」と態度で示された。それは、僕のねじ曲がった被害妄想であったのかもしれないが、「力仕事には使えない、大抵の場合、チビは使えない」というカテゴリーに入れられた気分を味わっている、ナウ。しかしそれは違うぞ!と声を大にして言えるはずもなく、実際に「力」は弱いし、手伝ったところで「やっぱりな」と期待に沿う結果を出してしまうと自分でも思う。体が小さい分、筋肉量やパワーは、同じ環境で育ったとしても、デカイ奴には敵わないのだ。

つまり、デカさは「強さ」の現れであり、「力」の象徴であるのだ。

こんなことを書きながら泣くな、自分。

だから僕は筋トレで変わる。

ベジータソリューション

他者に対して振りかざすのではなく自分の内面を磨くためにベジータのように小さくても筋肉をつけて強くなることを自我流で解釈!

名付けて「ベジータソリューション」

身長が低くても、見た目の強さを「筋肉=身体つき」で見せる。そうする事によって、僕は今以上に強くなれる。

誰かに見下ろされる度に、「おめーなんか人差し指でヒョヒョイのヒョイだから」なんて思えたら、僕の世界はきっと変わると思う。

それはもちろん、喧嘩が強くなりたい!だとかバカな事を言っている訳ではない。僕は基本的に平和主義者である。

「見た目の強さ【筋肉】を手入れた時に感じる余裕」は、人生を幾ばくかイージーモードに変えるソリューションとなるはずだ。

これさえ手に入れれば、僕はチビでも本当の自信に巡り会える気がする。

僕の頭上にある雲と雨に隠れた太陽を探しながら、冷たいおにぎりを口に放り込み、令和の始まりは実質晴れだったことに気づいた。

思い立ってすぐに、自宅近くのスポーツジムの会員登録を済ませた。会員登録ボタンをクリックした後、いつもより僕の鼓動は高鳴り、久しぶりにソワソワした感覚を味わい、夜の睡眠を少しハードモードにした。

【追記】筋トレを始めたのは間違いじゃなかった!

筋トレをしながら露頭に迷うこともあったけど、以下のnoteで書いているように、筋トレを始めたことは間違いじゃなかったのだ。

2019年5月1日から始まった筋トレ☓有酸素運動は、2019年6月28日現在も1日も休むことなく連続して続けている。いわゆる、自分の興味のあることをコツコツ続けることが好きな方なんだと思う。


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