なると

典々堂タカハシの仮の姿です(^_^; アカウント作っただけで放置してたんですが、ときど…

なると

典々堂タカハシの仮の姿です(^_^; アカウント作っただけで放置してたんですが、ときどき更新することにしました。

最近の記事

貧すれば鈍する

以前勤めていた出版社は、社長とその友人(アワヤさん)が立ち上げたものだった。 私は創業から15年ほどして、会社が軌道に乗ってからの入社だったので、開業当時のほんとうに苦しい経営を知らない。 アワヤさんは、ときどき当時のことを私に語ってくれた。 二人は若く、志は高かった。日本の文芸を支え、たとえ儲けが出なかったとしても、世に送り出さなければならない書物がある、と歯を食いしばって刊行を続けていたという。 しかし、それはきれいごとで、会社経営はなかなかうまくいかなかった。仕事

    • 詰め合わせ

      昨年末、長年の友人から、年末年始は病院で過ごすと連絡があった。 駆け付けられる距離ではなく、ただ無事を祈ることしかできない。 退院してからも、治療は続くと聞き、なにか元気づけられるものをと思い、街に出てあれこれ物色して、小さな詰め合わせBOXを作って送った。 お菓子、フェイスパック、ハンドクリーム、入浴剤、かわいいハンカチ、ふわふわの靴下… 私は人にものを贈るのが好きだ。特に今回のような詰め合わせには、わくわくする。自分はいつからこうやって贈り物をするようになったのだろう

      • タカハシ家の靴下事情

        結婚したての頃、洗濯物を干していたら、夫の靴下が片方しかなかったことがある。私は何も思わずそのまま干したのだが、取り込んで畳んでいた夫が 「靴下、片方しかないけど」 と言った。 「うん、洗濯したら片方しかなかったからね」 と答えると、そんなことはありえない、という。自分は長く独り暮らしをしていたけれど、一度たりとも靴下が片方だけになったことはないと。 私は一人暮らしをしたことはないけれど、家族の衣類の洗濯をしたことはあるし、靴下はよく片方だけになったりしたよ、と言っ

        • 食いしん坊が縁をつないだ話

          2023年12月、私の地元の本屋さんで、私が作った本の著者のフェアをやってもらえることになった。 これはそこに至るまでのおはなし。 私には、スミちゃんという中学、高校が一緒の友人がいる。 中学生のころは、そんなに親しくなかったのだが、高校でクラスが一緒になると仲良くなって、早弁したり、映画を見に行ったり、卒業旅行でスキーに行ったりした。 大学は違ったけれど、やっぱりスキーに行ったり、スミちゃんがバイトしている飲食店に顔を出したりして、よく遊んだ。 就職すると、そんなに頻

        貧すれば鈍する

          ごくごく私的な製本合宿リポート(完全版)最終日

          製本合宿 二日目後半~三日目 丸背上製本作りが、思っていたより時間がかかってしまって、予定が押している。急いで後片付けをして、懇親会の会場である「山荘ミルク」へ向かった。みんなを乗せ、ナビをセットして、誘導されるまま徐々に山の方へと進んで行く。行けば行くほど街灯の間隔が遠くなり、ついにはなくなってしまった。ヘッドライトを頼りにナビの指示に従って登っていくけれど、本当にこの道で合っているのか? 一人だったら泣いていたかもしれない。しばらくすると遠くに明かりが見えてきた。「あれ

          ごくごく私的な製本合宿リポート(完全版)最終日

          ごくごく私的な製本合宿リポート(完全版)2日目

          製本合宿 二日目 翌朝目覚めて、窓の外を見ると、柵で囲われた向こうにダチョウがいた。 ダチョウ? 二度見したけれど、やっぱりいる。ダチョウ…。昨日は暗くて全然わからなかった。ホテルの周囲は、広場のようになっていたのだが、その一画がダチョウの飼育施設になっているようだった。外に出てよく見ると、時間によっては餌やりも体験できると柵に貼り紙があった。 そういえば、昨日行った直売所にダチョウの卵が売られていた。なんでここにダチョウの卵が?と思ったけれど、ここのダチョウのだったんだ。

          ごくごく私的な製本合宿リポート(完全版)2日目

          ごくごく私的な製本合宿リポート(完全版)1日目

          製本合宿 2022年9月10日~11日 於:美篶堂伊那製本所および伊那市周辺 私は、2022年4月から1年間、本づくり協会主催の本づくり学校(基礎科)に通っていた。おもに手製本について学ぶ学校で、毎回1冊、違う製本方法の本を作ってきた。同期は8人だ。 本業につながるかというと、まあそうではないのだけれど、子供の頃から編み物や裁縫などの手芸が好きで、その延長で自分の手で何かを生み出すのは楽しいだろうな思って参加することにしたのだ。器用ではないが、ものづくりは楽しい。本当はこ

          ごくごく私的な製本合宿リポート(完全版)1日目

          本を読まないあなたへ

          もう10年以上前のことになるが、家の近所の個人経営の美容院で、アシスタントの女の子と仲良くなったことがある。 仲良くなったといっても、好きなドラマの話とか、どこのコンビニスイーツが美味しいとか、そんな他愛のない会話をするくらいだ。 あるとき、私の仕事に話になって、出版社に勤めていて本を作っているのだと言うと、本当に「本を作っている」と思ったらしく「私、工作とか好きなんですよ~」と返され、そうではないのだ、印刷は印刷会社、製本は製本会社がするのだというと「じゃあ何をするんです

          本を読まないあなたへ

          先日、駅の地下道を歩いていたら、前を歩くサラリーマンの靴がカチカチと鳴っていた。よく見ると、かかとに金属が打ち付けてあって、それが床に当ってカチカチと音がしていたのだ。 この音を私もたてていたことがある。高校3年生の頃だ。 当時、1学年上の子が一人、卒業できずに留年してクラスメイトになった。留年理由は、うわさによると交通事故で、ボーイフレンドのバイクの後ろに乗っていて事故に遭い入院し、出席日数が足りなくて、ということだった。 髪は茶髪でパーマがかかっていて、制服はセーラ

          S君のこと

          無知がもたらす不寛容について考える。 私はこの歳になってもあまりものを知らず、ぼんやりと生きてきたので、そのせいで自分にはそんなつもりはなくても人を傷つけてきたことがあるだろうと、それくらいの想像力はある。 ここでは、今でも覚えていて、思い出すたびに心の奥がうずくある出会いについて書こうと思う。 それは私が小学校6年生のときのことだ。私は数年前に他県から引っ越してきていて、以前の小学校には、特別支援学級というものはなかった。だから障害のある子どもと交流したことが全くなか

          S君のこと

          まさか私が

          51歳にして、「ひとり出版社」を立ち上げることになった。 ほんの数か月前まで、そんなことになるとは全く思っていなかったので、青天の霹靂とはこのことかと、愕然としている。 なにか拠り所が欲しくなって、今年は51歳で飛行機事故に遭った向田邦子の没後40年だとか、つい最近亡くなった瀬戸内寂聴が出家したのは51歳だったとか、ことさら51歳という数字に関係する出来事をネットで検索したりした。錯乱していたとしか思えない。どちらも私の好きな作家というだけだ。 この9月まで、私は小さな文

          まさか私が

          はじめまして

          はじめまして、なるとです。 ペンネームの由来は、本名の名前の頭文字が「の」だからです。 2歳か3歳のころ、父か母に「ラーメンに入っているなるとの「の」は、のんちゃんの「の」だよ」と教えてもらってから、なるとをみると「これ、のんちゃんの!」といって全部もらっていたという思い出からです。 思い出といいましたが、私が覚えているわけではなく、のちのち両親から教えてもらったわけですが。 このころの私の逸話は、おもに食べものに由来し、曰く、デパートのレストランで「のんちゃん、もや

          はじめまして