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タカハシ家の靴下事情

結婚したての頃、洗濯物を干していたら、夫の靴下が片方しかなかったことがある。私は何も思わずそのまま干したのだが、取り込んで畳んでいた夫が

「靴下、片方しかないけど」

と言った。

「うん、洗濯したら片方しかなかったからね」

と答えると、そんなことはありえない、という。自分は長く独り暮らしをしていたけれど、一度たりとも靴下が片方だけになったことはないと。

私は一人暮らしをしたことはないけれど、家族の衣類の洗濯をしたことはあるし、靴下はよく片方だけになったりしたよ、と言った。しかし夫は、脱いでその場で洗濯籠に入れれば無くなるわけがないという。

(めんどくせえな)

声には出さずにそう思ったので、

「わかった。気をつけるね」

と答えて、その場は終りになった。

数日後、また洗濯をした。干すのは私の係なので、洗濯槽から洗濯物を取り出して小物干しに干していたら、靴下が片方しかない。

・・・まずい。

念のため洗濯槽を検めたけど、取り忘れているわけではなかった。

夫にみつかると面倒なので、私は証拠隠滅を図ることにした。小さな巾着袋を用意して、片方だけの靴下を入れて、洗濯機とつながっている水道の蛇口にひっかけた。もう片方が見つかったら、セットにして干せばいいや。
私はその巾着袋を心の中で「靴下の墓場」と呼んでいた。もう片方がみつかったら生き返るシステムだ。すぐに見つかるときもあれば、何年もみつからないときもあった。どこに隠れているのだろうなあ。

子どもが生まれると、墓場は大盛況で、常時5~6本は待機していた。たいてい年末の大掃除のときにソファの下とかベッドの下から見つかった。おもちゃ箱の中に入っていたこともある。

この話を友達にすると、みんなびっくりする。
靴下が片方だけになることなんて、日常茶飯事だ、一度もなくしたことがないなんてありえないという。
そして「墓場」方式を「天才か!」と褒めたたえてくれた。さすが私の友達だ。

   ***

さて、話は変わって、やっぱり新婚のころ、義実家に法事に行ったときのことだ。
滞りなく終え、喪服の足元を見ると、ストッキングの踵が伝線していた。もともと着替えを持って来ていたので、普段着に着替えて、ストッキングはゴミ箱に捨てた。

しばらくすると、義母が「典子さん、ちょっと」という。

「はい、なんでしょう」

すると義母は、私が捨てたストッキングを手に持っていた。私が

「おかあさん、それ伝線したので捨てたんですよ」というと、

「でも、片足だけでしょう? 伝線した方は切って捨てて、残りは取っておくのよ」

「取っておいてどうするんですか?」

「また次に伝線したストッキングができたときに、セットにして履くのよ」

履くんだ…。そういえば、義母は左右で微妙に色が違うストッキングを履いていることがあったが、そういうことだったのか。

「それも伝線したら、古新聞を縛って捨てるのよ」

確かに、義実家に行ったときに、玄関先にストッキングを十字にかけて出してある古紙をみたことがあった。

すべて合点がいった。

「なるほどです」

とはいえ、私は良い嫁ではないので、そんなことはしないし、義母も自分がやるだけで、こちらに強要することはない。そこは偉いと思う。
もちろん、義実家でストッキングを捨てることは二度としないと心に誓った。

この二つの話は、私の友人の間で「タカハシ家の靴下問題」として長く語り継がれることとなった。

誤解のないように付け加えると、夫は靴下が片方だけなのは気にするけれど、数が減っても気づかなかったし、義母はたいへん優しい善良な人で、私にいわゆる姑的なことを一切しなかった。私はのびのびとダメ嫁をこなして、文化が違うのは面白いなぁと思っていただけなのだ。

後年、義実家のトイレに「節約10か条」という義母の手書きの貼り紙がされ、その中の一条に「伝線したストッキングは切って残りを再利用する。腹のところが二重になってあたたかい」と書かれてあって、その奥深さに衝撃を受けたこともお伝えしたい。


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