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まさか私が

51歳にして、「ひとり出版社」を立ち上げることになった。
ほんの数か月前まで、そんなことになるとは全く思っていなかったので、青天の霹靂とはこのことかと、愕然としている。

なにか拠り所が欲しくなって、今年は51歳で飛行機事故に遭った向田邦子の没後40年だとか、つい最近亡くなった瀬戸内寂聴が出家したのは51歳だったとか、ことさら51歳という数字に関係する出来事をネットで検索したりした。錯乱していたとしか思えない。どちらも私の好きな作家というだけだ。

この9月まで、私は小さな文芸出版社に勤めていたのだが、ものすごくかいつまんで説明すると、出版不況のあおりをうけ、24年勤めたそこを辞めることになった。そのいきさつについては、ここでは詳しく語らない。わたしはもうそれについてじゅうぶん泣いたし、ほんとうにたいせつなものは何かということを知ったからだ。一緒に泣いてくれた人、怒ってくれた人、心配してくれた人、なんとかならないかとあれこれ骨を折ってくれた人、多くの人に支えられていたと気づけた。翻って、人をたいせつにしない会社に未来はないだろう。これでよかったのだ。

今となってはのんきにもほどがあると思うのだが、私はその会社を勤め上げるつもりだった。24年という長きに渡って勤め、それなりに責任のある仕事もしていたし、戦力になっていると自負していた。けれどそれが正しく評価されるかどうかというのは、また別の問題なのだ。そして私は「ここにはもう私の居場所はない」と悟った。しがみつくこともできたかもしれないが、それは私のプライドが許さなかった。吹けば飛ぶようななけなしのプライドでも、それは私の「核」なのだ。

辞めることが決まって、昼間は出勤して引継ぎなどを忙しくこなしていたが、家に帰ると夫にむかって「文芸書しか作ったことないし、斜陽産業だし、いい歳だし、次の勤め先なんか見つからないよ~」と、泣き言を言っていた。どう考えても、お先真っ暗だったし、勢いで辞めたことをちょっぴり後悔する気持ちもあった。

すると、夫は

「だったらもう、開業するしかないんじゃないの?」と言い出した。

は? 何言ってんの? 今の話聞いてた? 三重苦ですよ? なんなら女だから、四重苦ですよ?
私は、そんなことできるわけないと、その理由を並べ立てたが、夫は慌てることなく、

「だって、24年で培ったノウハウがあるでしょう。人に使われるということは、今回みたいなことがまた起こるかもしれないってことだよ」

と冷静に言い放った。この人はいつだって冷静だ。

そりゃそうだけど。そうだけど!

「出版の仕事が好きなんでしょう?」

好きだよ。子供のころからの憧れの仕事だったんだから。だから辞めることになってこんなに悔しいんじゃないの。

辞めるしかないと決めた電車の中で、人目も憚らず号泣したのはついこの間のことだ。若いころ、失恋をしたときだってあんなに泣いたことはなかった。あれはどうみても不審者だった。反省している。

「じゃあ、今までの人脈を使って、最初はなんでもやらせていただきますって頭下げて回るんだよ。自分のためなら、好きな仕事のためならできるでしょう」

夫は私を説得するのがうまい。というか、他人を説得するのがうまい。理路整然とその場の議題をまとめて問題の本質を突く。私の両親も今では娘の私の話より、夫の話を信用するくらいだ。どうなのよ、それ。いやいや、そんなことより。

出版社をやる? 私が? できる?

「最初から、順風満帆とはいかないと思うよ。儲けだって出ないどころか持ち出しだろうし。でも、明日の米に困る生活じゃないんだから、やれるだけやってみたらいいんじゃないの。だめだったら、そのときはそのときだよ」

夫はまっとうな人間だけれど、根は「とりあえずやってみる」人なので、「石橋を叩いて壊す」私とは全然精神構造が違うのだ。いつも心配性の私の背中を「まっとうなチャレンジ精神」で押してくれる。ありがとう。

さあ! 泣いてたってなにも始まらない。涙を拭いて、冷静になって考えてみよう。
考えろ、考えろ。

本作りのノウハウはある。印刷所、デザイナー、製本所、取引先とも交渉できる。事務仕事全般もやっていたから、経理もできる(大嫌いだけど自分のためならやれる…)。出版取次業務だってやれる。謹呈の発送作業もできる。

だって、あの会社を切り盛りしていたのは私だもの。そうだよ、24年間、真面目に勤めてきたじゃない。著者とも取引先とも誠実に真心こめて仕事をしてきた。社長に私の仕事はできないけれど、私は社長のやってる仕事なら全部できると思っていたじゃない。

そう、そうだよ。やろうと思えば、なんだってできる。

やれる。いや、やる! 絶対にいい本を作って見返してやる!

ああそうだ、長いこと忘れていたけれど、私には出したい本があったのだ。だから編集者になったのだ。

51歳、上等! やってやろうじゃないの。

それが開業に向けて私の心のエンジンがかかった瞬間だった。

#エンジンがかかった瞬間

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