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生理痛を生理痛だと言えない社会


生理痛が酷い日がある。出産時の陣痛は間隔的に痛みが襲ってくると聞くけれど、その練習をさせられているかのように、子宮があるのであろう辺りに間隔的な痛みがやってくる。

今日もそうだった。体調が悪いように見せたくないけれど、事務所内のコピー機まで行くのにも前屈みになってゆっくり歩かなければならない程に痛くなってきて、姿勢を正して座ることも難しい。

きっといくらマスクをしていても顔色が悪かったのかもしれない。「今日午前中忙しくて疲れた?大丈夫?」と、声をかけてくれた同い年の女性職員さんに「疲れてはないんだけど、実は生理痛が、、」と伝えると、「え!休憩室で休んで!湯たんぽあるよ!ブランケット使って!何かあったかいもの飲む?」と、やさしさのオンパレード。半分がやさしさで出来ている某鎮痛剤の比ではないくらい。

ありがとう〜と少し休ませてもらうことにしたのだけど、「上司にはオブラートに包んで体調が悪いって伝えておくから大丈夫だよ!」と言われた時に疑問符が浮かんだ。

このご時世、原因不明の体調不良と伝えれば、少なくとも新型コロナを疑う人もいるだろうし、生理痛を生理痛と伝えてはならないのかな?というところが引っかかった。

私は前職で人事事務に携わっていたので就業規則を目にする機会も多かった。そこには、女性が「生理休暇」を取得できるとの記載があった。生理により体調が優れない時、就業が難しい時は、それらを理由に休暇を取得することが出来る。無論、当時私は上司に生理痛が酷いのでと伝えていた。

少し休ませてもらい、優しさとやっと効いてきた薬と、湯たんぽの効果が想像以上に凄かったおかげで、痛みが和らいできた。席に戻ると、上司に「大丈夫?変なものでも食べたか?」と言われたので、私は正直に「月経によるものです。」と伝えた。

私の父親世代であるその方は、そんな風に女性社員から伝えられたのが初めてだったのだろう。「はっきり言うねぇ。」と少し驚いて「もう大丈夫なのか?」と聞かれたので、「湯たんぽで温めたら良くなってきました。」と伝えると、更に驚いて「温めると良くなるんか。」と感心していた。

私は思った。あぁ、きっと私たちは、生理について男性に知ってもらう機会を作ることが必要だ。生理前は精神状態が不安定になりやすいから気を遣ってとか、私たちは生理痛で痛いんだから労わってとか、そういうことを言いたいのではない。

ふたりのお子さんの父親である方ですら、生理痛でお腹が痛い時には身体を温めると良いということを知らなかった。それが現在の日本。それでいて、女性は子供を産んでこそというような発言(本当はもっと酷い)を過去にした人が東京オリンピックの会長の座にいるのだ。

そしてその上司や私の父親世代、更にその上の世代の男性が、日本の行く末を担う席の大部分を確保して、居眠りなどをしながらそこに座っている。何をしたって、彼らが日本の”これから”を決める権利を持っている。


私は小学生の頃、女子生徒だけが別教室に集められて、生理とはどういうものかを先生から教えられた記憶がある。恐らくこの頃から「生理のことを男性に言ってはならない」「生理は女子同士の秘密の話題」というような雰囲気があったのは確かで、私もそう思っていた。ナプキンを持っている姿は何があっても男子に見られてはならない。

けれど、これは生命の誕生に関わることだ。生理は女性だけが関わるものだという考え自体が、もう古いのではないだろうか?もしも愛し合うふたりの間に新しい命を望むのなら、新しい命を授かったなら、それはもうふたりに関係することだ。

生理痛と一言に言っても症状はそれぞれ違うし、ある人もない人もいる。それらの事実を既に知っている男性もいる。けれど、きっとその割合は他国に較べて少ないのではないかと思う。

私の職場の方がそうだったように、生理痛を生理痛と言わない言えない言いたくないのは、この話題が男性の前ではタブーだというような過去の教育や、この社会の影響ではないかと思った。

男性が女性のことを、女性が男性のことを、みんながセクシャルマイノリティのことを、知る機会が必要だ。そしてお互いを受け入れて、尊重できる関係が築かれていくのではないかと思う。全ては、知ることから始まる。

きっと教育が必要だ。オリンピックの前に。



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