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【短編小説】 移住

君はその幼年期を鹿児島県霧島市で過ごした。

2005年11月7日市町村合併をして、同市は誕生した。しかしこの町に暮らす人々は、自分たちは霧島町民なのだと言い張った。彼らがそんなふうに頑なに、昔の行政区画にこだわるのにはそれなりの理由があった。

僕はそこに暮らしていたときにはわからなかった。けれど、再び東京に戻って、「霧島町」での暮らしぶりを振り返ってみたときに、なんとなく理解できるようになっていた。


僕は、2011年に中学校を卒業した。卒業式を終えて、春休みを迎えようとしたときに、3.11の震災があった。父はそれを契機に移住を決意した。東日本にはもう住めたものではない。それが父の言い分だった。

原発事故を見ただろう。ニュースで見ただろう。確かに、僕は厭でもそれを震災関連のニュースを連日見た。テレビではそればかり。コマーシャルでさえも。僕はテレビを消して、小説を読み始めた。重松清の小説だった。彼は家族を題材に、ハートフルな物語を書く。そう一般的に周知されている。しかし僕がそのときに読んでいた小説は彼のグロテスクな部分が、そのまま生々しい物語へと昇華されていた。

性的な描写も多く、僕はそれを読んではペニスをかたく膨らました。僕にとって、重松清のその小説を読むということは、息を吹きこんで風船を膨らませるのと同じように、いつの間にか、ペニスをかたく、大きくするためにそれを読みふけるようになっていった。僕はトイレに行って、覚えたてのマスターベーションを。膨らみきった風船に針を刺して萎ませてやった。


僕は父に抗議した。いきなり移住なんてできっこない。第一、進学先はすでに決まっている。


「むこうで受け直せばいい」と父は言った。行きたい高校に行けてるなら、おれだってそんな無茶なことは言わない。

父にそう言われ、僕はぐうの音も出せなくなった。

僕は第一志望の高等学校に受からなかった。第二志望の学校にさえ……結局、滑り止めとして受験していた私立学校に進むことになった。

第二志望の学校の合格発表のときに、自分の受験番号が掲示板になくて、このままここからいなくなってしまいたいと思った。死にたいとは思わなかった。受験に失敗したのも恥ずかしいし、受験に失敗して自殺するのも恥ずかしいって、思ったから。

だからこのまま静かに消えていなくなってしまうことができたらどんなに素敵だろう、と本気で思って、掲示板の前で立ちすくんだまま、自分の番号があるはずのその隙間をずっと見つめていた。

ここに来る前からわかっていた。この絶望的な結果を。自己採点結果は散々だった。まったくと言っていいほど、合格水準に届いていなかった。通っていた塾の先生に自己採点の結果を訊かれて、僕は嘘の点数を答えた。ちょうど合格水準くらいの点数。塾の先生は「合格するといいね」と笑顔で言った「あんなに頑張ったんだから、あとは待つだけだよ」


いいや、僕は全然頑張ってなんかいませんよ、先生、と言いたい気持ちでいっぱいだった。

先生の優しい笑顔がたまらなくて、目を背けた。

そして静かに「はい」とだけ応えた。一拍置いて立ち上がった。「ありがとうございました」。そう言って僕は塾を後にした。


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