愛する方法
「無償の愛」というフレーズがある。あのフレーズが成立してしまうのは、愛が基本的に有償のものである、という前提があるからだと思う。
そのことから、愛は無限のものなんかじゃない。愛は有限だと思う。肉体はひとつしかない。誰かを愛することのできる肉体はひとつしかない。
ひとつの肉体はひとつの時間のなかでしか生きられない。
だから愛するべき人を絞らなくてはならない。もともとはそうやってパートナーの数は自然に絞られていった。しかし、それが社会規範になることで「不倫」という概念が誕生した。
僕は全人類のことを愛したいと思っていた。ある時点までは、本気で思っていた。けれど、だんだんとそれが無理難題であることに気づいていった。
僕は少しだけ賢くなってしまった。たくさんの本を読んで、本から学んだ概念を自分の脳内で整理した。思考する時間が増える一方で、行動する時間は減少していった。
賢くなると幸せになれないっていうのはほんとうだな。旧友のことを見ていて、そう思った。
だったら賢くなんてならなくていい!
賢くなれば、なるほどに、気が滅入ってしまうくらいなら!
バカのままでいい!
無知でありたい。そして、僕はまた全人類を愛してみようという気になった。
そして気づいた。愛するということはかならずしも親身に寄り添うことばかりではないということに。
ときには乱雑に、突き放してみることが、愛になる(こともある)。すべては関係性による。突き放すことが可能な相手とそうでない相手。寄り添うことが可能な相手とそうでない相手。それらを比較してみる必要はない。自分の態度をどちらかに一貫させようとする必要はない。
あなたは——僕は——無意識的に関係性を読み取り、自分の態度を選択している。
あなたには——僕には——自分の態度を疑う余地もないし、そのことに意識的になる必要もない。なぜなら意識すればするほど、コミュニケーションはぎこちないものになっていくものだから。
とにかく、『朝日のような夕日をつれて』をDVDで観て、〈The End of Asia〉を初めて聴いた。鴻上によるその楽曲のもちいかたも印象的だったし、なにより楽曲そのものに惹かれた。
それで僕はすぐに中古CDショップに行って、YMOのベストアルバム《UC (Ultimate Collection)》を購入したんだけど、肝心の〈The End of Asia〉が劇中のものと同一じゃなくていくらか哀しい思いをしたのだった。
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