第九章:イベント企画ではいつも三人 2年目の初夏を迎えるころからイベントが増えるようになった。 それが、ライヴ・プロデューサーチームが、 LP専属組と、ゲストショー・ミーティングを行うCPとに分かれると、 その回数はより顕著になった。 CPが事実上の構成を立てる役割を担っていたせいか、 イベントを行う、と会社が決めると、その企画や演出はCPと我々の直属の上司であるM女史とで立案するようになった。会社からの指示や命令ではない。しかし、誰からやらないとイベントは実施できない、
第八章:湧きあがる問題たち とにかくQVCでは問題が起こらないことがなく、何か問題を起こしても特段懲罰もない状況が続いた。 そんなある日、テレビ部門のトップとして、韓国のテレビ通販会社で大きな役職だった人が迎え入れられた。 話は逸れるが、彼が着任して最初にテレビに関わるスタッフを集めたミーティングが開催されたとき、最初に彼が教えたのが「AIDMA」で、そこに出席していた殆どのスタッフが初耳、という状態だった。まだこの頃のQVCではマーケティングの基礎さえ知っているスタッ
第八章 私がQVCを退職して大分時間が経ったある日のことだ。ある書籍が出版される、という情報が飛び込んだ。 その著者は、CPの仕事の言ってみれば部下だ。 元々QVCに、商品を販売する側(ベンダー)として、そのベンダーの家族であったので帯同して訪れていた。 何度か、その商品の番組を行い、その都度同行して来社していたが、 ある日、今度は本人が入社する、ということになった。 恐らくスタジオの煌びやかな世界、その表面だけを見て、ちょっとした憧れも出たのだろう。 その著者は
第七章:体制変更~CP制度始動 QVCの番組は大きく二つに分かれていた。 一つは「ジェネリック・ショー」というもので、これはナビだけが画面に出演し商品を紹介するもので、主にジュエリーや生活雑貨の番組が多かった。 もう一つは「ゲスト・ショー」で、これはメーカーやベンダーの商品知識のある人が一緒に出演し、ナビと掛け合いをしながら商品の訴求をより深く紹介するものだ。 2年目にもなり、売り上げも伸びていくとこの「ゲスト・ショー」の番組編成の割合が増えていった。 24時間(当時
第六章:様々なライヴ体験談 ここで、いくつかの番組の放送の体験談をご紹介したい。 キッチンウェアと食品は、二階にキッチンスタジオがあり、基本そこから放送していた。 キッチンウェアのカテゴリーで『七福』という漆塗りの器の番組があった。 それまで何回かO.A.したが毎回売れ行きは芳しくなかった。 キッチンスタジオでフラットに見せるのが原因ではないか、とテコ入れを図ることになり、キッチンスタジオではなく、一階の通常スタジオで放送することになり、そのLPの担当の役割が私に回って
第五章:最初のトラブルと取材依頼 開局したときにライヴ・プロデューサーチームの取りまとめのシニア・プロデューサーを担ったのは、日本テレビで『ルックルックこんにちは』などの番組を担当していた人物だった。 だがQVCが蓋を開けてみれば彼の思っていたものとイメージが違ったようで、元々民放で番組を作っていた人間にとっては、QVCのような番組でLPを、しかもほかのLPもまとめるのは性に合わなかったようで、早くからその雰囲気は私にも読み取れた。 開局の年の秋には休む日が多くなり、C
第四章:ジュエリーデイ 経営が軌道に乗り始めたころ、初めて24時間生放送の『ジュエリーDAY』というイベント番組を放送することになった。 先ず思ったのは、いつもは15時間の生放送を24時間生放送で乗り切れるかどうか、という不安だった。特に深夜帯は生放送の経験がないので、お客様が購入の動きに出るのか、そのため番組を観てくれているのか、という懸念があった。 とにかく次から次にジュエリーが飛び出してくる24時間だ。 特段のイベント用の演出というのはまだ無かったが、先ずは初めて
第三章:暗中模索の開局準備~LPとしてのスタート 2月の終わりくらいから、開局に向け各部署が本格的に動き出した。 ライヴ・プロデューサーチームも職務内容が段々と決まり、シニア・プロデューサーという、リーダー的なライヴ・プロデューサー(以下LP)を筆頭に、1日の担当がLP一人5時間を連続して担当し交代制になることが決まった。 本国のQVCは完全24時間放送であったが、スタート時点では生放送は午前8時から午後11時までの15時間で、その後翌日までは、それまで放送した番組の再
第二章:QVCへの転職 さて、無職になった私は次の仕事探しに入った。しかし、そう簡単に新しい仕事は見つからない。こうした現実で人生は甘くないと改めて実感しそれを噛み締める日々が続いた。 そんなある日、新聞の求人募集欄に「テレビ通販」の新しい会社が出来、そのスタッフを募集するという求人広告が掲載されていた。しかも場所は地元の千葉県で、高校に通った幕張だという。そういえば前の会社で通販番組を作ったし、それをアピール材料に出来るかも、 という軽い気持ちで応募した。数日後に電話で
第一章:最初はテレビ業界 私の時代の就職活動は「超就職氷河期」と呼ばれ、内定をもらうのが大変だった。 まだインターネットもなく、エントリーと会社案内の資料請求のために、 リクルートから送られてくる電話帳のような分厚い冊子についている各企業宛のはがきに氏名・住所・大学名等々を一枚一枚手書きで記入する。 本当に就職したいと思う会社には早い段階から便箋で丁寧な手紙を誂え、資料請求をする。 それだけして何十、何百とエントリーしたところで、 会社案内を送ってくれる企業は僅かだった
プロローグ 現在、通販はテレビ・ネット、そして従来の紙媒体と活況を呈している。 特に2020年から世界中を巻き込んだパンデミック下では、外出が制限され、その役割は一層大きなものとなった。 小売店やファストフード店も宅配サービスを強化しており、今やこうした購買方法は当たり前のような時代になった。 テレビ通販がインフォマーシャルという制作番組で深夜や独立U局などで放送されていたのが主流だった時代、1996年に住友商事系の『ジュピター・ショップチャンネル』が開局し、そして2
はじめまして。 私はテレビ業界から2001年に、 テレビ通販大手の「QVC JAPAN」に設立から参画しました。 みなさんの中にもSHOP CHANNELと一緒に、 QVCを観たり、そこで買ったりされているでしょう。 一見華やかなテレビ通販ですが、 内実は始まってほどなくして酷いものでした。 そんな状況を書き記していきたいと思います。