愛と哀しみのQVC⑥

第五章:最初のトラブルと取材依頼
 開局したときにライヴ・プロデューサーチームの取りまとめのシニア・プロデューサーを担ったのは、日本テレビで『ルックルックこんにちは』などの番組を担当していた人物だった。
 だがQVCが蓋を開けてみれば彼の思っていたものとイメージが違ったようで、元々民放で番組を作っていた人間にとっては、QVCのような番組でLPを、しかもほかのLPもまとめるのは性に合わなかったようで、早くからその雰囲気は私にも読み取れた。
 開局の年の秋には休む日が多くなり、CEOから10月から放送のフォーマットを突然変更する、という通達が出たときも、本来はその変更になったフォーマットでのシミュレーションをテレビのスタッフ全員で行うミーティングを、その当日も休んでいたので、急遽私が行った。
 結局ほどなくして彼はQVCを辞めてしまうが、これらの休みはそれを使って就職活動をしていたんだろう、というのが皆のもっぱらの見立てだった。
 その辞めた元リーダー役と前職で一緒で、そのままQVCに流れついた私と同年代の男性がいた。
 彼は四六時中、CEOとCOOに取り入っていて(何故そんなことが出来えたのかは今もって不明だが)、結局その彼がライヴ・プロデューサーチームの新しいリーダー役に収まってしまった。以後は彼を中心にライヴを続けていくことになった。私個人は彼に全幅の信頼は置けないので組織の決定上仕方なくと、ある意味割り切って従っていた。
 歳が明け、いつだったか出勤すると社内の様子が少しおかしい。
準備も兼ねてスタジオに行ってみると、その新リーダーが何かのいざこざでPCの一人を殴ってしまったという。
 そのお咎めはリーダー役からの降格。
 COOの判断は、どんな理由であれ暴力の行使は許さない、というものだった。
 それからはヒラのLPになってしまった。
 変わって、入社当時に私を技術畑からライヴ・プロデューサーチームに拾ってくれたM女史がシニアLPとなって引っ張っていくこととなった。
 彼女との仕事は後程詳述するが、彼女はQVCで最も信頼できる人間であり、仕事の上で濃い付き合いが続いた戦友だと私は勝手に思っている。

 LPの仕事のひとつに自分が担当する番組のキューシート(CUE SHEET)を書く、というものがあった。
 プログラミング・チームが作った放送リストを基に紹介する商品とその時間の割ふりを記載したもので、これは特に技術スタッフにとって番組を進行するうえで重要なものだ。
 だが、彼はそれをスタジオスタッフであるPCに作らせていた。
 これは明らかに仕事の放棄であり、そもそも職制の違うスタッフに違う仕事をさせるのはルール違反であると同時に職域の範囲が明らかに逸脱していていて、自ら仕事を放棄しているに等しいものだった。
 私は彼は入社当時から、その性格や立ち居振る舞いなど鼻持ちならず、好意を抱いてはいなかったが、暴力沙汰でヒラLPになったから不貞腐れたのか、本当のところは分からないが、しかしこの体たらくには腹が立った。
 そこで、私はM女史に彼の粗暴を訴えた。それが直接の引き金、という訳ではないだろうが、彼の意思なのか、その後、彼はQVCを去った。個人的には環境が良くなった、と感じたのは正直なところだった。

 QVCには、物珍しさもあって、よく取材依頼が来ていたが、お笑い芸人がレポートするものだとか、企画や意図がよくわからないものが多かった。しかしCOOは来るもの拒まずで何でもOKしていたので、よく「中身をよく見て、何でもかんでも取材を引き受けるのやめてくださいよ」と釘をさしていた。
 そんな中、COOからまた取材依頼が来たというので我々で精査したところ、テレビ東京で始まった『ガイアの夜明け』という番組だった。
経済番組で硬派なものなので、これはいいだろうということで『ガイアの夜明け』取材チームの社内での収録が始まった。
 ジャパネットたかたと一緒にテレビ通販業界を探る内容で、QVCはバイヤーが売れる商品を探すにあたっての模索ということで、キッチンウェアとビューティーのバイヤーの商品買い付けの模様のぶら下がりの密着取材を主軸として放送された。
 また、フジテレビの夕方のニュースでも取材依頼を受けたが、その担当ディレクターがテレビマン時代の会社の先輩でびっくり。
「はっちゃん、今、この会社にいるんだ」
「そうなんですよ」
 その先輩との久々の再会が嬉しかった。また、自分がテレビマンを辞めた後、こうして頑張っている姿をみせられたことも、また嬉しかった。

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