愛と哀しみのQVC⑨

第八章

 私がQVCを退職して大分時間が経ったある日のことだ。ある書籍が出版される、という情報が飛び込んだ。
 その著者は、CPの仕事の言ってみれば部下だ。
元々QVCに、商品を販売する側(ベンダー)として、そのベンダーの家族であったので帯同して訪れていた。
 何度か、その商品の番組を行い、その都度同行して来社していたが、
ある日、今度は本人が入社する、ということになった。
 恐らくスタジオの煌びやかな世界、その表面だけを見て、ちょっとした憧れも出たのだろう。
 その著者は、元々は地方局のアナウンサーをしていたらしい。
業界の風を再び感じたのかな、と私も特段その著者の入社に、
多少の驚きはあったものの、素直に受け入れた。
 その著者が任されたのはLPの業務で、サブと呼ばれる場所で、
番組進行と同時に、オンタイムでの売れ行きを管理する役割だった。
あるとき、その著者が、直属の上司になるM女史に配置換えを求め泣きついてきた。
曰く、スタッフの言葉の乱暴さに耐えられない、というものだった。
QVCの技術スタッフは「サラリーマン技術者」とはなれず、従前の通常のテレビ放送での現場の雰囲気そのままに業務をしていたので、サブの中での技術畑のスタッフの言葉は番組の売れ行きが良くなりLPが進行内容を急遽変更したりするときなど、兎に角イレギュラーになることが前提なのに、それに対応せず乱暴だった。
 もともとアナウンサーをしていたなら、それくらいは常識、やり過ごせるものとも思ったが、
M女史はその著者の要望を受け入れ、私がリーダーでまとめていた、
CPの業務に、その著者を異動させた。つまり、私の管理下に入ったのだった。
 しかし、その著者の仕事ぶりは、お世辞にも職制・職能を充分に果たしているもの、とはいえなかった。
担当させたミーティングには、当然のことながら出席したが、その後の、一番重要なそのミーティングでの内容をまとめる、構成表が全く仕事になっていなかった。
 ミーティングは各1時間で行うが、1時間で何を聞き、話し、まとめたのか、それが全く反映されていない。数行の事項がポツンと書かれているだけだった。
これでは2交代で現場で勤務するスタッフが、どうやって放送を進めればいいか皆目解らないだろう、という程、言ってみれば酷いまとめ方だった。
情報が無いに等しいと言ってもいいだろう。
 ゆえに私は当時、その著者と一緒に私の元に入った男性スタッフも含め、一度個々での面談の場を設けた。
男性スタッフは、まだ慣れていない面もあり粗い部分もあったが、
一所懸命に構成表をミーティング後にまとめていた。
よって、さらにブラッシュアップして引き続き頑張ってほしい、と伝えた。
その著者にはこう言った。
「あなたは確かに指示したミーティングには出席してくれている。しかし構成表は、
 もっと工夫を凝らしてもっと深くできる筈です。
 だから今のあなたには"及第点"はあげられるが、まだ"合格点"をあげることは出来ない。だから頑張ってほしい。」
 実はその著者は、出勤態度にも問題があった。
CPの仕事は、先述したように一日がかりの業務であったが、ミーティング実施日によっては出席本数が少なくそれに伴い出勤時間がまちまちになり、
一番遅い時は午後からスタート、となるスケジュールになることもあった。
そんなときは、出席するミーティングの直前に出社し、何の事前準備をしている様子も伺えなかった。
 休憩時間を含め一日の拘束時間は原則9時間だった(勿論先述のようにCPはそれが出来るような状況ではなかったが)が、彼女は宛がわれたミーティング数によっては、基本的な9時間の最低拘束時間をオフィスに滞在せず帰宅することもザラだった。
 さすがに我々のさらに上の上司も、その様子は見ていたようで、
「彼女の勤務態度について今後様子を見て、必要なら注意等然るべき対処をするように。」
と言われていた。
 その数日後、日曜日に二人とも出勤していたある日、その著者から私に、その面談について、
「及第点なんて言われたらやる気が失せる」と抗議の意思表示をされた。
私は、本来なら面談の際に、これは遊びではなくビジネスなので、もっときつく現状認識させることと、然るべき改善のための強い言い方をしても良かったが、あくまでも事前のエクスキューズとして、やわらかく自身の業務能力の改善を促した積もりだ。
 しかしその著者は、それさえも自分自身にとってある意味、癪に障るものだったようだ。
 自分で求めてこの会社に入り、先ず宛がわれた業務に対し、言ってみれば我侭で職制を変更し、その仕事も充分に出来ずにいたのに、向こうから"逆ギレ"されたら私も堪ったものではない。
 さすがに私も反論し、ちょっとした言い争いになった。程なくして、このことが全ての原因ではないだろうが、その著者は会社を去った。
風の便りで次に、とあるケーブルテレビの会社に入った、と聞いたが、そこも長続きしなかったと聞いた。
 それから大分たったある日、たまたま私が自宅でテレビを見ていて、その会社のライバル会社を見たら、その著者が出演していた。
商品を紹介する、所謂「ゲスト」という扱いで、だ。
「なるほど」と思った。
 結局その著者は、自分にスポットライトが当たり、チヤホヤされている環境でないと、労働というものが出来ない人種なんだ、と。
私がこの番組を見た時までの長い間も、その著者は職を見つけては、
自分がチヤホヤされないところであればすぐ辞めて、殆どの仕事が長続きしてこなかっただろう。
 どういう縁や経緯があったのかは知りたくもないが、このように光の当たる環境で、やっと満足がいく、その著者にとって、「仕事」が出来るようになったのか、と思った。
 私に言わせれば、世の中をナメているとしか考えられない。
 出版される書籍は、そのゲストとしての経験を通し、モノを売るノウハウ本らしい。
 これまでに述べてきた事実のような、そうしたことしか出来ない、そんな程度の人間が、そのような書籍を出すなど、世間を余りにも馬鹿にし過ぎている。
 その著者を知らない一般の皆様にとっては、内容を見ようとする人もいるのかもしれないし、その内容に何かしらの感触を得る人もいるのだろう。
 しかし私には上記に述べてきたように、その著者は、こうした背景を経てきた者なので、そんな輩が本を出すなど本末転倒だと思っている。
 出版社も犯罪者でない限り、著者のバックグラウンドやそれまでの職歴は、概ねしか把握しないだろう。
アナウンサー、テレビ通販会社でのプロデューサー、職歴上ではこれだけが目に映り、
出版する側も、それらを輝かしい経歴と判断し、出版に至ってしまうのだろう。
 もう出来上がってしまった書籍を、私如きが差し止める方策もないし、権利もない。
それは寧ろ私が犯罪を犯してしまうことに等しいので、勿論、そんな馬鹿なことはしない。
 ただ私からすれば何も知らない一般人が、こんな本に代金を払うのが可哀想に思えるだけだ。
興味本位でその著者がその書籍の中で何を書いているのか、何を訴えているのか興味が無い訳ではない。
しかし、私が直接接した経験からは、恐らく時間を無駄にしたと後悔することが必至だろう。
 世の中の殆どの人が、理不尽や苦労の中で、自分自身、家族のためや諸々の事情を抱えて、様々な事に我慢をして歯を喰いしばって仕事をしている。
煌びやかに見える世界の人々も、その裏で目に見えない様々な苦労をして、
自身のステータスの維持に必死になっている。
自分にとって都合のよい場所などない。
与えられた、若しくは選んだ場所で、自身の責任で懸命に働いているのだ。
それを受け入れられず、自分に都合の悪い現実からは逃げ続け、運よく都合の良い環境に入ったら、ご都合よろしく書籍を出版するなど、私には非常識極まりないと感じるし、
世間というものをナメきっているとしか感じない。
 私は人を誹謗中傷するのは大嫌いだし、私如きは、ただのちっぽけな一市民でしかないし、
そんな事をする権利や資格など本来は無い。
しかし、今回の件では以上述べてきたように、
私にとって余りにも不可解極まりない事柄だったため、何ともいえない感情が込み上げたのだった。

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