愛と哀しみのQVC③

第二章:QVCへの転職
 さて、無職になった私は次の仕事探しに入った。しかし、そう簡単に新しい仕事は見つからない。こうした現実で人生は甘くないと改めて実感しそれを噛み締める日々が続いた。
 そんなある日、新聞の求人募集欄に「テレビ通販」の新しい会社が出来、そのスタッフを募集するという求人広告が掲載されていた。しかも場所は地元の千葉県で、高校に通った幕張だという。そういえば前の会社で通販番組を作ったし、それをアピール材料に出来るかも、
という軽い気持ちで応募した。数日後に電話で面接の案内が来た。
 JR京葉線の海浜幕張駅を降りると、すぐに聳える二本ののっぽのWBGビル。
そこの中にその会社は構えられていた。
 面接では会社の概要を聞いて次のステップはまた追って連絡すると言われ、面接が終わると帰りがけに、ビルの一階に建設中のスタジオを見せてくれるという。
まだどういうことをする会社か判らなかったので、完成のイメージがまだ沸かない、だが、作業員たちが黙々と仕事をしているそのスタジオ建設の様子を見て、何かワクワクする気持ちを感じた。その様子を見て、何となくここに入ってみたいなあと感じた。

 最初の面接から一向に次の段階への連絡がない。 
不採用なのか、どうなのか、痺れを切らして私から連絡すると最初に面接した人物が次のスケジュールをようやく教えてくれた。
次はいきなりCEOとCOOとの面談だった。
簡単に経歴を話して、一番のキモになると思われた通販番組の制作経験の話をアピールしようと切り出した。
するとCOOが、
「ああ、あれね。あれはウチがやったんだけどパッとしなくて一回辞めたんだよ。で、そのままチャンネルは持ったままでいて、それがこの会社になったんだ」という経緯を教えてくれた。
スカパー!を運営するJ-SATという会社があり、ここに三井物産が出資している。
私が前職で携わった通販番組は、その関係で三井物産の持っていたチャンネルでの放送のものだった。
COOが言った通り、一回あの時の放送をクローズし、その間にアメリカのQVCと日本の三井物産がジョイントベンチャーを組んで出来上がったのがQVC JAPAN(以下QVC)であり、チャンネルを引き継いだという経緯だった。思いがけない縁だった。あの地獄のような仕事の後継にまた引き寄せられるとは。COOは三井物産からQVCに来ていた。
「Welcome to QVC」
CEOから差し出された手とシェイクハンドして、私の次の仕事が決まった。
帰りに歩きながら、あっさり採用になったことに少し肩透かしを喰らったような感じを抱いた。でも、そんなときはそんなもんか、とも思った。
新しい会社だから、まあ採用のプロセスも甘く済んだのかも、とも。
時は2000年の12月の終わり。ミレニアムで世間が騒いでいた。
歳があけて1月、私はQVCに初出社した。

 開局は同年4月を予定していて、スタジオの建設はまだまだ続いていた。
出勤初日、COOから訓示があった。開局に向け頑張っていこう、と。
訓示後に最初の面接官だった人物に違うフロアへと連れていかれた。
何やら。そこの様子は番組とか、映像とはかけ離れた雰囲気とそういう人たちしかいない。
 あてがわれたデスクに座ると無尽蔵に図面がいくつも置いてある。放送の設備から何やらの図面らしいが、100%文系の私にはちんぷんかんぷんで何も判らない。
開局前で、その場にいた人たちも、特にやることがない。
よくよく聞いてみると、面接を担当した人が技術部門の統括的な役割で、
私は編集作業の役割で採用した、という。
ちょっと待てっ!!。
編集といっても、前社時代に仮編集でβカム(放送用カメラで使う録画用テープ)から落としたVHSをリニアで編集した程度で本格的な編集なんか俺はやったことがないぞ。
 後で判るが、QVCの編集はデジタルのノンリニアで、あのままだったら何も仕事が出来なくて開局直後に馘になっていただろう。
 しかし、拾う神ありとはよく言ったもので、ある日、ほとんどの業務の集積地であるメインの8階のフロアに荷物を持って行ってくれ、と言われた。
すると「ライヴ・プロデューサーチーム」というセクションに新たに配属された。
 突然のことで面食らった感じがあったが、聞くと、その時点でもまだいろいろな職種の人材を募集している最中で、既に採用された人の履歴書もいろいろなセクションで回し見できたらしい(今のように個人情報保護法の世の中では考えられないが)。
 そんななか、私の履歴書を見たライヴ・プロデューサーチームが「この履歴ならココじゃない?」と拾い上げてくれたのだった。
ライヴ・プロデューサーチームでも、その当時は特段仕事らしい仕事をやることは殆どなかったが、しかしQVCの核となる放送の中心のチームと聞いて安心した。やっと自分の居場所に辿り着いた、と思った。
当面は、やることといえば、前職までは企画書などを書くときはワープロを使っていたが、今回は一人に一台PCがあてがわれたので、PC経験ゼロの私はひたすら触ってPCに慣れようとしつつ、折を見てスタジオの建設の進捗を覗きに行っていた。
この後、しばらくしてから開局へ向けて段々と忙しくなってゆく。

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