愛と哀しみのQVC④

第三章:暗中模索の開局準備~LPとしてのスタート
 2月の終わりくらいから、開局に向け各部署が本格的に動き出した。
 ライヴ・プロデューサーチームも職務内容が段々と決まり、シニア・プロデューサーという、リーダー的なライヴ・プロデューサー(以下LP)を筆頭に、1日の担当がLP一人5時間を連続して担当し交代制になることが決まった。
 本国のQVCは完全24時間放送であったが、スタート時点では生放送は午前8時から午後11時までの15時間で、その後翌日までは、それまで放送した番組の再放送というスタイルだった。
 放送してゆく番組の名称も生放送ということで「ライヴ」と呼称してそれで統一することも決まった。
 ただ、この時点でLPの不安材料となったのが、生放送であるにも関わらずタイムキーパーがいない、それはLPが時間を管理することも兼務する、ということだった。
 一般の生放送のテレビではディレクターは番組進行に専念し、CMチャンスを含め、定められた時間内に放送が終了となるように、あらかじめ完成しているVTRの尺との兼ね合いでスタジオでやり取する時間をタイムキーパーが調整する。いわばタイムキーパー(以下TK)がいての生放送、というのが常識だった。
そのTKがいない!
じゃあ、どうやって時間をキープするのか、それと同時に商品を売る進行をすることが出来るのか、ライヴ・プロデューサーチームの中でもああだこうだと予測や意見が飛び交った。

 その頃になるとテレビ制作になるライヴ・プロデューサーのチームと技術陣のチーム、そしてバイヤーチームが合同でミーティングを重ね、開局してからのオペレーションをしてどのようにしていくかの議論が続いた。
 しかし、全体として放送とその放送での商品の販売のイメージが誰にも全くわからない。
うまくいくのか、どうすればいいのか、議論は意見があっちに飛び、こっちに飛び、と混迷した。
「とりあえず、やってみないと分からないじゃないですか」
と私がふと口にした意見に、副社長が同意してくれたことが印象に残っている。

 続く3月になるとスタジオはほぼ完成し全貌が現れ、副調整室(以下サブ)という放送を司る、映像を切り替える機械やカメラのオペレーション部分、音声ブースやLPのブースもどういうものかはっきりとし、いよいよ放送のシミュレーションが始まった。
ちなみにQVCではカメラはロボットカメラで、全てサブから操作するものだったので、スタジオにカメラマンというものはいなかった。
実はこの時点では私はプロダクト・コーディネーター(以下PC)という、スタジオで紹介する商品のディスプレイや、商品を変えたりする、一般のテレビで言えばADのような役割の割り当てだった。LPは5人の頭数が揃っていた。
ただ、タイムキーパーがいない中での生放送進行のイメージが沸かない、というかある種の恐怖感から、実際に開局したらTKの役割の脇でやってくれ、というLPもいた。そうした要素を加味してのシミュレーションも繰り返された。

 バイヤーもカテゴリーごとの担当が決まって商品集めに奔走していた。
その中からいくつかピックアップしてシミュレーションが始まった。
 QVCの基本的な放送のスタイルは、先ずプランナーという各番組で放送する商品の内容とその紹介する目安の時間を決めるセクションが作ったシートを基に進行する。ただ、このシートに割り振られた時間はあくまで目安で、例えば、ある商品の紹介の予定時間がプランナー作成のシート上では4分だったとしても、その商品が売れていればLPの判断で販売時間を延ばして売り上げを最大化させるようにする。逆に4分の予定時間が与えられている商品でも売り上げの動きが芳しくないと時間が無駄になるので、その商品の紹介を切り上げ、次の商品の紹介へと移る。
この差配による売り上げの最大化を図ることがLPの最大の使命だった。そのため、タイムキーパーもいない、という訳だった。
 とはいえ、LP一人で番組を無事に進められるのか、その不安を払拭するためにもシミュレーションはさらに続けられた。
先述のように私はPCの役割の予定だったが、サブの中でLPのシミュレーションに一緒に立ち合い、最初はTK役として補助をしていた。LPの席には自分で時間を設定してその時間がカウントダウンしていく目安となる機械がある。これがある意味、命綱だ。
これをLPの代わりに私が時間を入力して手伝いながらシミュレーションが行われていったりした。
 そうこうするうちに、シニアLPがプロデューサーチームの全般的な事務作業などで別件の業務が入ったりしてシミュレーションが出来ない場面も出てくるようになり、そういう時は私がLP役としてシミュレーションに参加した。
シミュレーションではあるが、やってみると案外一人ですべてを賄うことが出来そうな感触を得られた。テレビマン時代に培った放送の勘所というか、そういうものが案外役に立つものだった。
他のLPもシミュレーションを重ねるごとに自分なりの勘所を掴んでいったようで、準備としてはそれぞれ開局に向けてほぼ充分な経験値を積み重ねていった。
 そして私もシミュレーションでLP役をこなす回数も増えてゆき、ある時からライヴ・プロデューサーチームの上司もシミュレーションの様子をサブまで見に来るようになって後ろでチェックをしていたが、私がLP役をしている時もよくサブに来ては私が進める様子をチェックしていた。
 そして、その後開局まで数日、という日程になったときプロデューサー全体へのお達しが、その上司から出された。シニア・LPが急遽ネットワーク部という部署に異動になりLPが一人欠員になる。そこで私がLPになる、というものだった。
どうやらシミュレーションでの様子を見て、私にLPを任せても大丈夫という判断をしたようだ。
 かくして私はひょんなことで直前にLPに”昇格”し4月1日の開局を迎えるということになった。

 2001年4月1日午前8時
 QVC JAPANの開局・最初の番組の放送が粛々と始まった(本当に”粛々と”)。
スタッフの誰もがその時点でも、何がどうなるのか未知の旅立ちであった。

 テレビ通販というと、深夜などに放送されているイメージが強かったが、
1996年にSHOP CHANNEL、そして2001年にQVCが「生放送」での、
ライヴ感で放送するテレビ通販を始めた。
QVCより少し先行して放送を開始していたジャパネットたかたと、テレビ通販の群雄割拠の時代が始まる。

 シミュレーションである程度の場数を踏んでいたので、それほど緊張することはなかった。
とにかく時間をキープし、それぞれの番組を卒なく進めてゆくことを目標にした。
 初日5時間での成果は、およそ10万円。これが初日にしてはいい方なのか、
それとも、夜のいい時間にも関わらず、たったの10万円だったのか、
まだ誰も、その適正な評価は出来なかった。

 LPの業務は勿論みな同じであるが、日々が立ちごとに業務に慣れていくと、
個性が出てくる。
 アグレッシヴにスタッフに逐一指示を出して勢いよく売っていくタイプ、
流れを見ながら適度に番組の勢いの強弱を調整するタイプ、
私は、じっと我慢で構えるタイプだった。
 後々ビジネスが軌道に乗ると、価格が高くお客様の反応が鈍い商品や、
商品の特性上、LPとして打つ手がなく、じっと我慢が続く、
というタイプの番組は、私が担当することが多くなった。
これは、その後に直属の上司となったM女史との間に私がそういう我慢型の商品の番組に耐えうるものがある、と思ってくれている信頼関係によるものもあったと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?