愛と哀しみのQVC⑩

第八章:湧きあがる問題たち
 とにかくQVCでは問題が起こらないことがなく、何か問題を起こしても特段懲罰もない状況が続いた。
 そんなある日、テレビ部門のトップとして、韓国のテレビ通販会社で大きな役職だった人が迎え入れられた。
 話は逸れるが、彼が着任して最初にテレビに関わるスタッフを集めたミーティングが開催されたとき、最初に彼が教えたのが「AIDMA」で、そこに出席していた殆どのスタッフが初耳、という状態だった。まだこの頃のQVCではマーケティングの基礎さえ知っているスタッフが殆どいなかった。
 閑話休題、ある日ライヴ・プロデューサーチームのメンバーが個別に彼との面談に呼ばれた。
私が呼ばれたとき、今のプロデューサーたちの様子はどうかと聞かれ、ひとしきり雑感を話してから、最後に問題を起こすLPに困っていると告げた。「社内への迷惑なら兎も角、これらの問題は取引先との信用問題に関わる重大なことです。でも、僕らには何か問題を起こしたからといって懲罰を課したり、辞めさせたりする人事権限はありません。あとはあなたの判断次第です。」
半ば吐き捨てるように言って部屋を出た。これで少しでも現状が変われば。淡い期待を抱いたが本当に淡かった。その後、何かの変化やルールが定められるとなどなく、好き勝手をするLPは、お咎めもなくLP職を続けた。
その頃の日々の番組の売り上げというものは、カテゴリーや商品にもよるが、1時間で数百万円、多いときは一千万円に乗るくらいまでの成長をみせていた。勿論LPがサブで番組を進め番組を差配している面もあるが、正直その頃になると視聴可能世帯数もネットワーク部という営業部隊の努力で増えていて、テレビを見るお客様がリモコンをザッピングしたとき、NHKや民放を探すように簡単にQVCにチャンネルを合わせられる状況になっていて、私自身は番組内容云々よりも、画面に映る商品を見て「欲しい」と思い注文の電話をする数が増えただけだと思っていた。ゆえにCPの仕事はそこに訴求要素もより強く交えどう段取るようにミーティングをまとめるかがポイントになったと思っていた。
 問題を起こすLPはこの部分をきっと履き違えていた。数字は「自分の力」と勘違いしていたのだろう。だから、LPが結局番組を支配し、成果は自分のものという勝手な理論を持ち権力を持ったと完全な勘違いをした結果、問題を起こすことになっていたのだろう。問題を起こしてもお咎めがないから、彼らの暴走は続いた。そうしたLPが担当する番組の時はある意味技術スタッフも”本来”の性格で半ば調子に乗って仕事をする、磁石の方角がNとSでばっちりくっつくような状態になり、LPの”演出”と考えている進行は独善であるということを気づかせることは露ほどもなかった。
 QVCの放送の画面では左側に商品名・商品番号・価格と、注文の電話番号を表示する「プロダクトボックス」というものが常に表示されている。このプロダクトボックスの電話番号表示の下に、商品訴求のためのコピーを表示されることが出来た。この文言の内容は各LPに任せられていたので、同じ商品の番組でもLPが変れば内容は変わる。私は客観的に且つ特徴をコンパクトにした文言で、常識的なものを表示してもらっていたが、問題を起こすLPが考えるコピーは正直センスが無かった。「売る」ということをスマートな形ではなく、半ば押し付けるようなものが多かった。センスの問題でもあるが、それは即ちこのQVCのビジネスというものを理解しているか否かの指標でもあった。「こんなコピーを出して…」とそのセンスに対してストレスを感じさせることは数多くあったが、途中からはもう放っておくしかなかった。それがストレスを軽減する自己防衛でもあった。

 ここからCP達は怒涛の如く忙しさに拍車がかかる。会社は次々にイベントを開催すると指示をしてくる。ライヴショー・ミーティングのスケジュールは従来通り、ライヴに入りLPになるのも変わらない。この頃になるとベンダーやメーカーにもQVCの販売力・マスメディアの強さが広まり、QVCで自社の商品を売りたいと希望する会社が増え、ミーティングの数もぎゅうぎゅうで、リソース不足なのは明らかだった。
ミーティング・構成表作成・インサートVTRの編集・イベントの企画構成の立案、時には自社で映像を撮って編集してインサートVTRとする作業もあった。
そしてLP陣は変わらずLPの仕事しかせず、プロデューサーチームの中に協力や協調といったものは全く芽生えなかった。

放送をするに当たって大変だったのは技術スタッフとの対峙だった。
殆ど全ての技術スタッフが前職は民放など一般のテレビの技術スタッフだった。
この頃のテレビの技術スタッフはある意味、番組制作に於いて一番機嫌を損ねないようになだめすかして付き合う存在だった。
カメラマンは「映像が無ければ番組が作れない」、
音声は「音が無いと番組にならない」
などなど、ある意味急所を握られていたので、番組制作に於いて天下を取っていた。
そうした連中がそうした体質そのままQVCに移ってきた。そしてQVCでも従前と同じ振る舞いと従前の態度で仕事をする。
だから、サブではいつも誰かの怒号が飛び交っていた。そのやり玉にLPがなることもあった。
 LPも、同じように一般のテレビ業界出身者が殆どだったので、そうした状況を特に問題だと思うことはなかったが、しかしQVCという会社で働くに当たっては、従前の態度を続けるのは間違ったことだった。
なぜなら、彼ら技術スタッフは単にQVCの番組を生放送するためにサブで仕事をする、という役割ではなく、技術としては従前のキャリアを存分に活かすに越したことはなかったが、番組は「商品を販売して利益を得る番組」ということを理解し、その思考に切り替えて日々の業務に臨まなければいけなかったのだ。
 一般のテレビ番組の技術の仕事なら放送局なり、制作会社から業務の依頼を受け、ロケなど請け負った仕事が終われば報酬として契約した額のギャラが収入になった。
しかし、QVCでは技術スタッフはQVCのプロパーのスタッフして、QVCという会社から労働対価しての給料を貰って日々食べてゆく。
その原資は日々放送する番組でお客様が商品を購入された、その代金の利益だ。
 つまり、毎日どんなに番組を送り続けても、商品が売ればければ会社も赤字が続くし、その分給料も満足に得られない。その単純な構造に頭と行動を切り替えられなかった。
毎月の自分のシフトの仕事をこなせば月々の給料は入ってくる、そう思っていただろう。
それは商品がよりたくさん売れて利益がたくさん計上されれば、の話だ。
いわば「サラリーマン技術者」になる決意しなければいけなかった。
しかし、彼らはそうなれず、そのことに気づくことも出来なかった。

 それと比べライヴ・プロデューサーチームのとりわけ会社のルールに則って働くLP、そして私が率いたCPはそこを理解していた。CPについては、その理解が浅かったり、膨大な仕事量に追われこの根本を見失いそうな様子のときはCPのグループメールで、時にはドラッカーの著作のことばを引用ながら激を飛ばした。
 ある時”解っている”プロデューサーたちでランチを食べに行った時、お茶をしながら私は直属の上司に「俺、ここに来て初めて”サラリーマン”になった気がする」と言ったことがある。
テレビマン時代は利益など特に考えず、ひたすら番組の制作に打ち込んでいた。毎月もらう給料の原資など考えもしなかった。
しかし、QVCに職場を変え、その中で「コマース」というビジネスをプロデューサーとして実践し、その働きをすることで初めて商売のからくりを知り、自分が今はそれを生業し、その対価として給料を貰っている。つまり、サラリーマンになったのだと。
決まり通りに毎日の業務を遂行していれば簡単に、そのことに気づくはずだ。ただ、技術スタッフは2交代制で殆どスタジオにいたので、本来の業務の核となっている、プロデューサーチームやバイヤーチームがある8階のフロアに来ることは滅多になかった。だから、そういう「気づき」の機会が少なかったのかもしれない。
 とはいえ、彼らも大人だ、日々の業務を行っていれば、今までと同じようで違う、というQVCという場で働くための根本的な思考変換は出来た筈だと思う。
 だが、それを「期待」するのは、彼らの様子を見るに無理だとも思っていた。結局、私がQVCを去るまでも、技術スタッフの意識が変わった様子は窺えずじまいだった。

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