愛と哀しみのQVC⑪

第九章:イベント企画ではいつも三人
 2年目の初夏を迎えるころからイベントが増えるようになった。
それが、ライヴ・プロデューサーチームが、
LP専属組と、ゲストショー・ミーティングを行うCPとに分かれると、
その回数はより顕著になった。
 CPが事実上の構成を立てる役割を担っていたせいか、
イベントを行う、と会社が決めると、その企画や演出はCPと我々の直属の上司であるM女史とで立案するようになった。会社からの指示や命令ではない。しかし、誰からやらないとイベントは実施できない、そうすると必然とこのような流れになった。
 勿論、LPだってこの中に入って意見を述べたりしてくれてよかった。
しかし、LP専属組は自分の担当するライヴが終わり、時間が来れば帰宅して、イベント企画に参加することはなかった。
 ライヴ・プロデューサーチームできちんとした職制の振り分けが成されていなかったこともあるが、LP専属組とCP+M女史との間には壁があった。
 CPによるライヴショー・ミーティングで構成表を基に番組を進めるという制度が確立したときに、LP専属組の大抵のメンバーは会社の方針さえも、言うことをあまり聞かない者の集まり、CPは会社の方針を順守し業務を忠実にこなしつつライヴも行いイベント企画もする者の集団、という図式のようなものがあり、この両者の間に多少なりとも軋轢があり、LPが問題を起こすことが多くなった。
 直属の上司であるM女史はライヴ・プロデューサーチームを統括する業務が主である都合上、LPよりもCPと接する機会のほうが多かった。
売り上げに対してはLPは担当した放送の終了後の最終的な数字は気にするが、それ以降あまり数字に関心を示さないように見えた。
 一方、CPは数字も常に見張っていた。自分がミーティングに出席して構成表をまとめた番組の成果など、数字に対し意識が強かった。
ゲストショー・ミーティングの出席に、その後の構成表の作成、さらにはライヴにLPとしても放送を担当する、そうこうしているうちに時間は過ぎ、気づけばてっぺん(午前0時)が近づく。てっぺんになると日付が変わりその日のTSVの最初の放送が始まる。TSVはこの最初の回のスタートダッシュがその日の趨勢を決めるといっても過言ではなかった。
 もし、この一回目の反応が良くなければ、8時以降のライヴではテコ入れをした状態で臨まねばならない。そのため一回目のTSVを見守りその売り上げをチェックすることになる。
 CPは殆どの日を、ゲストショー・ミーティングのスケジュールによって昼前からの出勤でもいいような日以外は、朝からてっぺんを超えるまで仕事をしているようのが当たり前のような状態となった。
 そこに、イベントがあるとその企画や構成、演出を考える、という作業も発生する。いつしかそれはCPが担うのが当たり前となり、そこにM女史も責任者として一緒に作業する、というライヴ・プロデューサーチームの構図が出来上がった。

 イベントは第四章で紹介した『ジュエリーDAY』のように、カテゴリーごとで区分し、通常は15時間の生放送を24時間生放送で行う。
 また半期に一度ずつ、全カテゴリーでQVCでの売り上げの大きかったものを表彰する『ベストセラー』という趣旨のイベントの開催もあった。
QVCとしての売り上げが確立されていくほどに、イベントの重要性は増していった。この”お祭り”で通常よりさらに購買意欲をそそらせ、販売額を増やす。
 担当するカテゴリーのバイヤーもイベントのために揃えた逸品がどれくらい売れるかの勝負所となるので気合が入る。
 そのために、我々プロデューサーチーム、とはいってもCP+M女史がイベントを盛り上げるために総合演出を考える、という図式だった。
イベントは全社あげての催しで、すべてのセクションが関わることになる。    その中で一番のネックは技術陣の協力がどこまでスムースに進むか、ということだ。
 これまで述べてきたように、技術陣には普段と異なるものをすることを敬遠する性格の連中なので、こうしたイベントでは技術陣にも演出上イレギュラーなことを要求するのだが、先ず最初に難色を示す(技術陣についての詳細は後述する)。そこをなだめすかしてどうにか本番に持っていく。
イベントはプロデューサーチームにとっては体力と神経が磨り減るものだった。
 CP全員で企画・構成を練っていくものの、夜遅くまで細かい点を変更したり、調整ごとをして残っているのは私とM女史、そしてアルバイトから社員に昇格したA君の三人だった。他のCPは通常の業務に差支えがないよう、ある程度のところで切り上げてもらっていた。CP全員は働きづめで倒れてしまったら、毎日放送される通常のQVCの番組の運営が立ち行かなくなる。
 いつしか、いつものこの三人のケミストリーがイベントなどで強力な運営体制を構築するようになった。最後にはCP全員が集結して案がまとまるという結束が産まれた。
 そして最後の最後には、いつもの三人がいた。

 その年の春が終わるころ、M女史が「会社を辞める」と言い出した。
晴天の霹靂だった。役職ゆえ私たちが知らない苦労があったのかもしれないが、本人としては、その気持ちが強くなっていた。各方面の説得でしばらくは、辞する意を引っ込めたが、ほどなくして、やはり辞めると言い出した。今回は本気なのが分かった。だれも止めることはできないだろうと。
 正直、私自身はM女史に次ぐ二番手として、彼女が忙しいこところをサポートし、補うべく業務を進めてきた。それは彼女が尊敬できる上司だったからであり、設立時から一緒にやってきた同志だと思っていたからだ。
自分の激務の半分は彼女の補佐のためにある意味捧げたといっても過言ではない。
 彼女がいなくなったらどうなるのか。実は他のセクションになるが、多くの信頼できるスタッフがセクションを問わず様々な事由でQVCを去ってしまっていた。そうしたこともあって、私としては大変ではあろうけれどもM女史には残ってほしかった。少なくともライヴ・プロデューサーチームはM女史を筆頭にして私が事実上のNo.2で続けていきたかった。
 しかし、彼女の意志は固く、QVCを去った。
 その翌日、彼女の座っていないデスクをぼんやり見て、去来する気持ちは複雑なものだった。
 この時点で、CPの仲間は別として私がQVCの中で信頼でき、且つ仕事のできる人材はいなくなった。

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