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起業、転職、海外ビジネス

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在米20年と海外ビジネス(北米、ヨーロッパ、アジア)と起業経験と最近は中小企業の承継に至るまでの経験をシェアしていきます。
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#海外駐在

帰国後のジレンマ|バブルの後遺症と結婚

帰国後のジレンマ|バブルの後遺症と結婚

バブルの余韻が残る80年代後半に3年振りの米国本社からの帰国は、まさに浦島太郎でした。インターネットもないテレックス時代。3年間一度も日本の土を踏まずのテキサスの片田舎からバブルにまだ踊る東京は、まさに別世界でした。

東京オフィスは、私の居ない3年間に毎年新卒採用で社員の平均年齢もグッと下がり、雰囲気も明るく登り竜のような勢いがありました。

なのに何となく違和感を感じる自分がいました。

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3年振りの日本|これがバブル?

3年振りの日本|これがバブル?

初海外勤務の場合、社内規定で最初の3年間は、休暇帰国はない今思うと厳しいものでした。一度も帰国しないままあっという間に3年が過ぎて、帰国辞令が出ました。通常は本社勤務後は、ベルギー、フランス、シドニー、香港かソウルなどの支社転勤を経験して日本に戻るのは、10年間隔が当時は当たり前でした。まだ独身だった私は、結婚の事も意識してくれた人事だったのかもしれません。

80年代と言えば、未だ国際電話は法外

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浦島太郎が観た|バブル期の東京

浦島太郎が観た|バブル期の東京

バブルの余韻が残る日本に3年振りに本社のあったテキサス州の片田舎から日本に帰国した浦島太郎。

東京オフィスには、今まで中途採用ばかりだった会社に、私の居ない3年間で毎年新卒採用が数名ずつあり、一挙に後輩が増えていました。

7-11より北米では店舗数が多いと言われたRadio Shackの店舗数は、7,000店近くありました。そうすると初回注文は、最低でも15,000台は出ました。各店舗に展示用

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在米20年通して伝えてみたいこと

在米20年通して伝えてみたいこと

留学終えて帰国する時、家庭持って再び米国生活をしてみたいと思っていたら、家族連れの渡米が40歳過ぎて全く予期しないことで起きました。

大学生時代の交換留学
San Diego, CA 1年間

独身時代の本社駐在
Fort Worth, TX 3年間

家族同伴で米国起業
Seattle, WA 16年間

海外経験を話すだけではなく、何度かの挫折にも触れながら人生の価値観などにも触れてみたいと

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