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帰国後のジレンマ|バブルの後遺症と結婚

バブルの余韻が残る80年代後半に3年振りの米国本社からの帰国は、まさに浦島太郎でした。インターネットもないテレックス時代。3年間一度も日本の土を踏まずのテキサスの片田舎からバブルにまだ踊る東京は、まさに別世界でした。

東京オフィスは、私の居ない3年間に毎年新卒採用で社員の平均年齢もグッと下がり、雰囲気も明るく登り竜のような勢いがありました。

なのに何となく違和感を感じる自分がいました。

買付商談で新卒社員でも大手メーカーの部長や課長と同等に話しが出来たり、取締役諸氏との交渉の場に同席。

私はと言えば、入社2年目で米国本社転勤になり、本社会長や社長にも可愛がってもらい、本社バイヤーや主要な社員、スタッフとの人脈など恵まれた幸せな環境に居ました。

一方、大学卒業時に父親からの

「最初の3年は給料貰って勉強させてもらっていると思え❗️」

「会社の看板や肩書ではなく、裸の自分で仕事しろ❗️」

という言葉を思い出しながら、感じていた帰国後の違和感でした。

石の上にも3年❗️

フォート・ワースの1年目は何も判らず仕事だけでなく、私生活に慣れるにも奮闘。2年目は仕事にも慣れてきて、3年目は私生活を楽しむ余裕も出来て、さあこれから〜という時に東京に戻り、米国本社でまだまだ何か出来たという不完全燃焼感がありました。

A&A International @ Tandy Center
in Fort Worth, TX

日本企業は国内含めて転勤が多いですが、公私ともども充実した働きと生活には5年単位の転勤が本人の財産にもなるというのが自分の経験からの実感です。会社にとってもROIが良いはずです。転勤の引越し費用もバカにはなりません。

しかも家族に通学している子供がいる場合には、教育上の問題もあります。20年後にシアトル駐在から日本に帰らない選択をする課題になるとは、当時の私には想像だに出来なかった事です。

あのままテキサスの田舎に独身駐在は良くない、結婚のチャンスも考えての会社の帰国人事だったと思います。しかし、未だ28歳の当時の私は、仕事も面白く、東京で色々と女性ともお付き合いさせて頂き、結婚は30歳過ぎてからの事だろう〜とのんびりと構えていました。

そんな私が年末帰国して、翌年GW明け頃に付き合い始めた女性を8月には実家に連れて帰り、秋に結納、1年も経たず3月に結婚式を挙げるとは夢にも思っていませんでした。

人生何が起こるかわかりませんね。

相手は、社内経理課にいた女性でいわゆる社内結婚。新卒で入ってきた後輩にも散々冷やかされてのゴールインとなったのですが、この伴侶となる女性のサポートがあったからこそ、その後のローラーコースター人生(彼女の言葉を借りれば)がスタートすることになります。


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#海外駐在 #バブル景気

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