垣間見る、夏の。

蒸し暑い中に降る雨の日々に、うんざりを通り越して「夏は来るのか?」と訝る毎日を過ごしている。
辛気臭い心持ちと、なんだか落ち着かない気持ちになるのとで塞ぎ込んでしまうのは毎年やってくる梅雨の時期の弊害で、こうも気圧が落ち着かない時期が続くと自分がどんどんとおかしくなってしまう。

だからと言って「夏が恋しい!」というわけでは全くない。
海ではしゃぎたい気持ちがあるわけでもないし、お祭りの人混みを闊歩する気合もないので、もっぱらクーラーの効いた家の中で明治エッセルスーパーカップのチョコレートを突きたいくらいしか楽しみは特段ない。
強いて言うなら花火は楽しみではあるものの、開催地の河川敷まで足を運ぶと、もはや花火を見にきているのか人を見にきているのかわからなくなる。
それこそ夏の星座にぶら下がって上から花火を見下ろせるのなら万々歳だが、現実のところそうもいかない。
大抵の場合、息がしづらい中人の波に溺れ、片手に持つ缶チューハイを揺らしながら大名行列するのが関の山だろう。
昨年彼女と地元の花火大会に行った時は、河川敷の最寄駅に降り立った際、あまりの人の多さに私が毒づき、3秒に一回帰りたいと無表情で呟いたことで泣かせてしまったのを思い出す。
「せっかく浴衣着たのに…」と涙ながらに言われたときには、本当に自分は人間としてどうかと思ったが、それほどまでに暑さや人混みに耐えられないのだ。
しっかりと謝り、花火を見て家へと帰ったが、その時の空気はもう最悪だったのを今でもありありと思い出される。
もういっそのこと、今年の夏は私自身が夏の星座になって、彼女にぶらさがってもらい、上から花火を見下ろしてもらいたい。
そして私はそのままお星様のまま、天寿を全うしたいと思う。

とは言え「夏が嫌い!」ともならない実に面倒くさい男なのである、私は。
夏をテーマにしたドラマも小説も映画も好きだし、「夏らしい」事だって嫌いじゃない。
野外でビールを積極的に飲みたいし、かき氷だってたくさん食べたい。
前段と相反するが、ビーチやプールで遊びたいと思うし、手を繋いで花火大会なんかも行きたいのだ。
ただ、それらは全て頭の中で完結されれば充分なのだ。
と言うか「嗚呼、彼女と花火大会いきてー」と居酒屋で扇ぎながら友達と話していることそれ自体が楽しいであって、それこそが夏なのではないかと思っている。
もはや海やプールやBBQはそれらの副産物なだけであって、「夏になったら何をしようか」と考えている時間そのものが夏なのではないだろうか。

そうとなると私は存分に夏を楽しんでいる。
夏にやりたいことはたくさんあるし、それを考えている時は何よりも楽しい。

東京の梅雨明けはいつだろうか。
もういい加減雨は飽きた。

#日記 #エッセイ #エッセイ好きな人と繋がりたい #小説 #読書好きな人と繋がりたい #小説好きな人と繋がりたい #ハルカゼ舎 #文章 #読書男子 #詩 #読書 #生活の記録 #本の虫 #梅雨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?