「食えなくなったら、食わなければいいだけだろ」~ミャンマー高僧からの一言~
将来の不安を感じていた私への高僧のひとこと
「食えなくなったら、食わなければいいだけだろ」
将来に不安を感じて弱音を吐いた私に、杖の高僧が笑いながら言ったことばです。
杖の高僧は私にミャンマーで僧侶体験をする機会を与えてくれたお方です。
僧侶体験を終えて帰国したあと、その高僧がたちあげたNPO(非営利団体)で働かせてもらうことになりました。
45歳のときでした。
もともと貯金は無かったうえに、ミャンマーで僧侶になったときにほとんどを寄付したのでほぼ無一文。
生活費は他のスタッフと分け合いますが、自分の貯金がたまるわけではありません。
奉仕活動には充実を感じていましたが、ふと自分の年齢を振り返ると、
「もう若くないしなぁ。この先、自分は食べていけるんだろうか。。」
という不安がでてきたのです。
生まれてはじめての田舎暮らし
石川県小松市の市街地からバスで1時間ほどのところにある小さな村。そこにNPOの事務所がありました。
もともと東京にあったのですが、大きな古民家があるその村に移ったのです。
東京暮らしが長かった私も移住しました。
田舎といっても、かなりの田舎。
いわゆる過疎村です。
20世帯ほどのちいさな村で、後期高齢者がほとんど。
街からのバスが一日に4本しかありません。
新しい事務局は大きな古い木造の家でした。
一階に囲炉裏があって、襖(ふすま)をぜんぶ取り払うと20人ほどが輪踊りできそうなくらいです。
家の中ではハクビシンやムササビがでるし、
玄関にはアオダイショウ(蛇)が日向ぼっこ。
気づかずにムカデが私の坊主頭の上をはっていたこともありました。
冬は1階が埋まるような大雪なので「雪囲い」をします。
田舎暮らし初心者の私にとっては、’ 超 ' がつくほどワイルドな生活でした。
腹におちた高僧のことば
高僧が部屋を去ったあと、
このことを、知人に話したところ、
「何言ってるんだ。いくら高僧の話だからといっても、もっと現実をみたほうがいい。」
と諭されました。
ふつうはそう思いますよね。
でも、私には杖の高僧のことばがなぜかストーンと腹に落ちたのです。
今の自分をよく見てみろ、
「自分がやりたいことを精一杯やっているか?」
「やってるんだったら食うことは2の次だろ?」
ということを伝えたかったのだと思ったのです。
「あっ! 俺、先の不安ばかりに気を取られて “ 今 ” を生きてなかった。」
忘れていた大切なこと
家庭もお金もあった大手銀行員時代、一見なにもかも不自由なく見えていたのに「カラまわり」していた自分がいました。
いつも心のどこかにぽっかり穴があいていたのです。
家庭も、安定した仕事(銀行)も、チャレンジした新しい仕事も、すべてを失いミャンマーで僧侶体験をしたのは
「自分が本当にやりたいことは何なんだろう?」
ということを探し求めてのことでした。
「’何か’をしたいんじゃない。自分自身でありたい!」(本業は自分)
「自分を受け入れ、愛し、他に対してプラスとなる生き方がしたい」
遠回りした気づきでしたが、
その体験で、私の生きる充実はそこから湧いてくることだと感じたのです。
充実して生きていたはずなのに。。
あらためて自分を見つめてみると、
田舎暮らしをしながらでてきた将来の不安で、
今を生きることを忘れていることに気がついたのです。
今を精一杯生きていないと将来もない
天職とは一生を捧げられる職だと私は思います。
天職がある人は、誰からも言われなくてもその天職を全うするでしょう。
絵を描くことが心から好きな画家は、寝食忘れてキャンバス(油絵を描くための布)に向かうのではないでしょうか。
たとえ、絵が売れなくてそれで生涯を閉じようと、その画家にとっては満足のいく一生なのだと思います。
私は、自分の身を捧げて打ち込める職はありません。
何をしたいか、どんな職につきたいかではなく、「自分自身を本業(本業は自分)」としています。
自分を生き抜きたいのです。
自分がやりたいことをすることは、けっして、「楽」を求めてのことではありません。
「じゃ、遊び放題で生きていく!」「すぐ会社を辞めるぞ」「すぐ離婚して自分がやりたい道を進むんだ」ということでもありません。
より生きる力が湧いてくることをするために「今、何が必要か」
ということを考えて行動することが大切だと思います。
将来設計(目標)も大切。
でも、たとえ目標にたどりつけなくても精一杯臨んだことは、かけがえのない経験になります。それに向かう自分に充実していれば、あたらしい目標にかえる柔軟さもあるはずです。
目の前の苦手なことも、自分の生きる力が湧いてくることのためにするのだと思えば前向きになれます。
今、生きている!
NPOの事務局がふたたび移転することとなり、私の田舎暮らしは2年半ほどで終わりました。
その後東京にもどらず石川県に残りました。
手元資金がほとんどゼロからカフェやスーパー銭湯で働いて、今のゲストハウス(宿)をオープンしたのです。
当初の3年ほどは、私一人で運営していました。
NPOの田舎暮らしで大きな家を毎日掃除したこと、大勢の方のお泊りを受け入れたこと、皆でイベントをしたこと。
ふと思い立って始めた宿ですが、あのときの一生懸命の経験がなければ自分が宿をするなど、夢にも思わなかったと思います。
ましてや、ふつうの古い小さい宿が全国ランキングに入ったり、いろいろなメディアに取り上げられることなど想像もしていませんでした。
世界中、日本各国からのゲストさんがいらっしゃいます。
少しでも何かお役に立てないかということを考えながら、ゲストさんを鏡とさせていただいて自分をふり返る日々。
私にとって、宿業はお金をいただいていいのだろうか?と思えるほどあっていると思っています。
コロナの影響で、この2年間ゲストさんは激減しました。
おまけに昨年、心筋梗塞で心臓が半分になってしまいました。
それでも今、生きています。
たいへん厳しい状況ですが、後ろ向きにならずに今できることを精一杯やって生き抜こうと思っています。
「食えなくなったら、食わなければいいだけだろ」
難題にあたって、この選択でいいのかな?。。
迷うときにはいつも、あのときの杖の高僧のことばが浮かびます。
追記:この記事を書いているとき、「食えなんだら食うな」(関大徹老師 著)という本があることを知りビックリしました。まだ読んでいませんが、注釈を読み、本質は杖の高僧と同じことを言っているのではと思っています。
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