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【信仰は山をも動かす】(新釈ことわざ辞典)記事版

教祖・教主が横車を押せば、洗脳下にある信徒一斉に追従してこれに倣い、押された車はひっくり返り、背教者は選挙に敗れて地獄に落ち、信徒潤う税金バラマキが始まり、感謝された教祖・教主の地位はますます盤石、ついに山どころか国全体が、崩れ……。

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《信仰は山をも動かす》

格言のルーツは新約聖書「マタイによる福音書」の一節で、イエス・キリストが、弟子たちに言った言葉、
「よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう」
のようです。

だからといって、「新釈ことわざ辞典」の項目【信仰は山をも動かす】説明文は、キリスト教のことを言っているわけではありません。
キリスト教徒の皆さん、石を投げないでくださいね。

中学生の頃、私の愛読書には、アガサ・クリスティー、北杜夫、エドガー・ライス・バローズ、太宰治、などの作家著書と共に、
《新約聖書》
が含まれていました。

遠足のバスの中で隣の女子生徒に、
「Pochi君、なに読んでるの?」
と覗き込まれ、驚かれた(あきれられた? 引かれた?)ものです。
ちなみに、家には仏壇があり、宗派は「浄土真宗」でした。
仏教からキリスト教に乗り換えようと画策していたわけでもなんでもなく、ただ、
《物語としての聖書》
を楽しんでいたのです。
いわば、
《ジーザスの大冒険》
のように読み進めていたわけです。
初詣で神社に行ったり、神前結婚をしたり、いわゆる「葬式仏教」や仏式法事に参加する時を例外として、これまでの人生で宗教とは、ほぼ無縁でした。

《再勉生活》で家族と米国で暮らし始めると、コミュニティーの米国人家族から、子供ぐるみで《Thanksgiving》や《Easter》のパーティーに誘われ、次の段階として教会に誘われます。もちろん、《布教》の一環です。
彼らはとても敬虔なクリスチャンで、とてつもなく真面目で《善意のかたまり》のような人たちです。
「邪悪なことを教わるから」
と子供を学校に通わせず、自宅で勉強させる、とっても《ピュアな》人たちもいました。

私も彼らの誘いで何度か日曜の礼拝に出かけましたが、《強い違和感》を覚えることがありました。

おそらく、プロテスタント系の教会だったと思うのですが、みんなで賛美歌を歌った後、牧師さんが毎回異なる聖書の一節を読み、説教をします。

私が参加した数回の礼拝がたまたまそうだったのかもしれませんが、牧師は聖書の中で、イエスが人びとの病気を治したりする《奇跡》の場面を読み、
「信仰が深ければ、奇跡が起きるのだ」
と教会に集まった信者に話します。
それは《話の起点》に過ぎず、説教はそこから《実生活に役立つ一般化》に進んでいくもの、と期待して待っていると、期待は見事に裏切られ、牧師さんのお話は、
「信仰が深ければ、奇跡が起きるのだ」
その根拠は、
「聖書にそう書いてある」
話はその両者の間を行き来するのでした。

教祖が活動していた時期から2000年も経ってなお、大手の宗派が遠い昔に起こった(かもしれない)《奇跡》に依存していることに、私はたいへん驚いたものです。

これは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった、《唯一神》を信じる《一神教》ならではの、《底抜けの素朴さ》に由来するのかもしれない、と思ったものです。

米国のキリスト教徒には、「地動説」も「進化論」も否定し、聖書に書かれていることだけを信じる人びとが今もいます。
彼らの《頑迷なまでの素朴さ》も、《一神教》ならではのものでしょう。

でも、この人びとは、
《ただ静かに、自らの信じることを信じている》
のであって、横車を押して社会をひっくり返したりはしません。

冒頭の「新釈ことわざ辞典」にある【信仰は山をも動かす】の原文は、書いた当時(1978年)、大学キャンパスなどに跋扈ばっこしていた《ヤバい宗教》に関するものです。
しかし、現代の《ヤバい宗教》、── 原文を書いた当時よりもはるかに《ヤバい宗教》は、

《ネット上「陰謀論」信仰》

です。

信頼性の高い情報源から眼も耳も背け、偏ったネット情報にひたることによって、実にたやすく《洗脳》され、《教祖》の唱える《陰謀論》に、簡単に踊らされてしまう

対コロナmRNAワクチンに関する陰謀デマは、ふたつの強権的国家が流したものだとEUが報告しているそうです。

Qアノン」など米国の極右が提唱する陰謀論もカルトに分類され、ロシアとの関連が疑われています。

《教祖が独裁的国家》である《信仰》に比べれば、壺を高く売りつけたり、配偶者を教祖が勝手に決めてしまう、1978年当時の《ヤバい宗教》など、まだ可愛いものです。

《独裁的国家》が教祖となり、山を動かせば、どんなことになるのか? ── いや、多くの人が既にわかっているように、

《独裁的/強権的国家》というのは、それ自体、本質的に宗教、しかも選挙をしたとしても形ばかりである、徹底した《一神教》であり、《山を動かす》ことを目的として国民を洗脳しています。

それが今、《ネット》を使って、
《国境を超えた洗脳》
を行っている。

── 気付いてほしい。


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