「《人格》は高校1年の終わりにはほぼ固まっている」説 (エッセイ)
人は、といっても現代の日本では、という限定条件がつきますが、《人格》がある程度固まるのはいつでしょうか。
60代noter《がんち父》さんの記事「馬が合うとか合わぬとか」で、著者は、高校時代から気の合う間柄だったメンバーそれぞれが持つ "風味" は今も変わらない、と書いています。
もちろん個人差はあるでしょうが、
「高校までで "人格形成" は概ね完了」
に異議ありません。
── では、《概ね完了》するのは、高校3年間のいつ頃でしょうか?
高校のクラス会は卒業クラスのものが多いようですが、私が年2回ほど出席するのは、1年生、つまり入学時に顔を合わせたメンバーのクラス会です。
そのクラス会に出るたびに思うのは、
「本質的にはほぼ全員、あの頃からまったく変わっていないな」
その後、大学や長期にわたる社会人生活を経ているにもかかわらず、16歳の頃のイベント幹事はイベントを仕切り、良識派は良識のまま、茶々を入れる者は茶々を入れ、Wet blanketはノリを壊す発言をするし、女子同士の仲良しペアもほぼ同じです。
私の卒業した高校は、普通科9クラスで毎年クラス替えがありました。
従って、私の頭の中にある彼らの《最後の姿》は、1年の終わりの頃の彼らなのです。
それ以来変わっていないという《あの頃》とは、高校1年の終わりの頃。
では、《概ね完了》は中学卒業時点でしょうか、それとも、高校1年の終わりでしょうか。みなさんはどう思われますか?
私は《高校1年の終わり》に1票入れたい。
統計的データに基づく具体的根拠があるわけではありません。
ただ、一般的に義務教育の中学と高校とはかなり環境が変わります。
クラス会のメンバも話しています:
・中学では成績が良かったのに、高校に入った最初の試験で底辺に落ち、ショックを受けた。
・教師の締め付けが厳しかった中学時代から、自由な高校で一気に解放され人生が大きく変わった。
・高校の部活で、終生続けることになる趣味と出会った。
・クラスや部活で終生の友と出会った。
などなど。
もちろん、田舎の高校では級友が中学と似たような顔ぶれの場合もあり、大きな変化は高校卒業後の場合もあるでしょう。
また、中高一貫校に進学した人は、中学入学の時が最大の環境変化かもしれません。
いずれにしても、この時代までに家庭環境などで素地はできているけれど、この時代に最も大きな環境変化が起こり、しばらく(1年程度)が経過した時、というのが《人格形成概ね完了》の時期なのでしょう。
どんな学級でどんな役どころになるかどうかだけでなく、どんな部活でどんな役割を受け持つかどうか、誰に受け入れられ、誰に否定されるか、どんな人を好きになり、どんな人を嫌いになるか ── 人生にとって最重要な1年がその頃 ── 《公立中学から高校に進学する生徒にとっての高校1年》なのかもしれません。
だとすると、高校生にとって重要な《教師》というのも、受験や進路指導で役割を果たす3年の担任などではなく、1年のクラス担任や、教科担任なのかもしれません。
── いや、そうだ、と思っています。
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