【英国よもやま話】社内コンテストに出場し、優勝を追い求めたおはなし
つい最近職場の同僚がホームパーティーを開いてくれたので、お招きいただいたことだしと、ケーキを焼いて持参し訪問した。
マルタでケーキを焼くのはこれで2回目だが、引っ越して初めてのケーキ作りだったため、理想のシフォンケーキが焼けるよう、火加減に充分注意しつつ調理に全力投球をした。
作りながら、渡英がきっかけでこのケーキのレシピを覚えたんだよなあと、ケーキ作りに情熱をぶつけた日々に思いを馳せたので、せっかくなのでnoteのネタにしてみる。
(サブタイトルがピンポンネタなのは、当時アニメのピンポンに心底沼っていたのでつい…ピンポン大好きなんです🏓)
頂上に立たねば見えない風景があるという話ですよ。
それはイギリスの現地企業に勤め始めて1年半が経過しようとしていたある日。
事の発端はある一通の社内メールだった。
全社員に向けられたそのメールでは、クリスマスケーキコンテストを開催し、出品されたケーキの売り上げはチャリティ団体に寄付するという、私からすればなんとも異国情緒溢れるイベントの告知がされていた。
言うまでもなく同メールにおいてコンテストの参加者も募集されており、コンテストは見た目だけでなく、味も審査基準に入るとのことだった。
当時の私は、これまでの人生において一度もケーキを焼いたり、デコレーションを手掛けたことがなかったが、我が家で誕生日やクリスマスに振る舞われる母お手製のケーキの味を引き出せれば、優勝できるかもしれないなと俄然やる気になった。
母のケーキは、家族はもちろん親戚一同からも大人気で、優しく包み込むようなふわふわした食感のシフォンケーキに、程よい甘さのクリームと愛情がたっぷり盛り付けられ、口にした瞬間思わず笑みがこぼれるような、まさに幸せを具現化したケーキなのだ。
母のケーキの味が100%再現できるとは思わなかったが、我が家の味がどれほど通用するか純粋に興味があったし、これを機にケーキが作れるようになり、そして母の味を受け継げたら良いなと密かにポンコツファミリーの将来を案じていた。
かくして私は、日本人で唯一の出品者として、勝手に日本代表の責任を背負い、このコンテストに挑むことにしたのであった。
勝ちたいだけですよ、先生。いけませんか?
まずは調理器具を確保しつつ、母のレシピを教わるところから始まった。
Amazonでケーキ型、ナッペ用の回転台、口金、そして絞り袋を購入した。本番に向けて何度も試作をすることを考慮し、絞り袋は再利用可能な布製のものを用意した。余談だがこの時用意した調理器具は一時帰国時にも使用し、マルタにも持参するほどかけがえのない相棒となった。
YMS終了まで3ヶ月を切っていたため、さすがにハンドミキサーは購入せず、同僚に貸してもらった。
当時私がいた部署のみんなにも、このコンテストに出場するために試作を何度か行うので、味見をよろしくねとお願いした。(上司がいくらでも焼きなさいとめちゃくちゃやる気にあふれていた。かわいい。)
勝利を望むのであれば、それを成し遂げるための努力が必要だ。
生まれて初めてのケーキ作りは、とにかく母のレシピを忠実に再現することを意識し、デコレーションは二の次で試作したため、なんとも微妙な仕上がりとなった。
しかしこの試作を経て、ケーキ作りにおける課題点が明確になったため、そういう意味では有意義な挑戦であった。
この時に感じた私の課題は
クリームの固さを意識し、慎重に泡立てること
プロが作るケーキのデコレーションを参考にした上で、配置や色取りに気を配ること
デコレーションもケーキ作りも経験を重ねればいくらでも改良ができそうだから、可能な限り試作を繰り返すこと
の3つであった。これらを頭に入れ、私はあらゆるレシピサイトを読み漁っては、クリーム作りの基本や注意点を学び、実際に販売されているケーキの画像をググり、アイデアの参考になりそうな画像はそっと保存し、穴のあく程観察し、クリームの絞り方や果物の配置を研究した。
また、シフォンケーキやクリームにココアパウダーを混ぜたり、毎回異なるスーパーのクリーム(WAITROSE、Morrisons、TESCO)を使用したり、クリームに混ぜる香料をバニラエッセンスとラム酒で味比べしたりと、様々な風味を試し試行錯誤を重ねた。これは、毎回試食に協力してくれる職場のみんなに試食を楽しんでもらうためでもあったが、味の良さも評価点に繋がるため、できるだけ多くの組み合わせや選択肢を用意し試したかったからでもある。
ちなみにWAITROSE、Morrisons、TESCOの生クリームを比較してはみたものの、大きな違いは発見できなかった。どこのスーパーも充分美味しかった。
結局本番前に4つほどケーキを試作したので、職場のみんなや家族にデコレーションアンケートをとったところ、4番目に作ったチョコケーキに軍配が上がった。
当初はポンコツファミリーで毎年食べられているホワイトクリーム(ラム酒風味)仕様のケーキを提出予定ではあったが、僅差で3番目に作ったチョコケーキの支持も多かったことと、当時のフラットメイトも『チョコクリームの方が見栄えが良いし、クリスマスっぽいよ!』と熱いアドバイスをくれたので、ここは大人しくみんなの意見を参考にした。
あんたのお陰で、オイラひとつ強くなることができたよ。
人生初のケーキ作りを異国の地イギリスで成し遂げ、独学で改良、特訓を重ね、3週間が経過し、ついにコンテスト前日を迎えた。
この日私は、これまで作ったケーキの写真と、参考にしたデコレーション画像を繰り返しじっくり観察し、トップのみでなくサイドもしっかりデコレーションすることを意識し、今までの学びを反芻しながら提出用のケーキ作りに取り掛かった。
そうして出来上がったケーキは、仕上がりこそこれまでで1番綺麗なものとはなったが、小さくまとまった感じがして地味な印象を受けた。
まるで自分自身のようだった。
当日は、決められた時間までに予め伝えられた場所へケーキを持って行くようにと教えられていたため、上司と同僚達に見送られながら、不安材料で塗り固められたケーキを持って行った。
そこには夥しい数の色とりどりなケーキが立ち並んでおり、私が作ったものよりもはるかに大きく、見た目も華やかで凝ったデザインのケーキを前に敗北を悟り、その場に立ち尽くした。
写真を撮りたい気持ちを必死に抑えながら、せめてこの場を目に焼き付け、今回の敗因と自分が手がけたケーキに何が足りないか後でじっくり反省しようと思いたち、舐め回すようにケーキを観察していると、他の社員がキャロットケーキを片手に部屋に入り、私と同様に圧倒されていた。
結果を聞くまでもなく惨敗であることは明白であったが、それでも『味も見てくれるなら少しは希望があるかな』と、どこか楽観的な考えが捨てられずにいながら、仕事を片付けていた。
ほどなくして全社員メールで結果発表がされ、私のケーキは優勝はおろか、トップ3にすら引っかからず、予想通りの完敗であった。正直こんなに悔しい敗北は、大会出場がかかった剣道の試合以来であった。本気でリターンマッチを望んだことは言うまでもない。
しかし、私の同僚と上司は、私以上に感情を爆発させていた。
彼らは結果を見てすぐに『なんだこの結果は!どう考えてもポンコツのケーキが優勝すべきだろ!3位にすら入ってないなんて審査員のあいつら本当に食べたのか!?見た目しか見てないじゃねえか!!』と怒り心頭となり、思わず私が冷静になるほどであった。(特に上司は、その日私が帰宅後もしばらくの間『やっぱりあの結果はおかしい!なぜポンコツのケーキが選ばれなかったのか』と、ランボー怒りの追い焚きモードと化していたらしい。)
その後ケーキの販売が開始するやいなや『ポンコツのケーキを買いに行くぞ!!』と言い放ち、颯爽とケーキの販売会場へ向かって行く彼らを見送りながら、『自分のためにこんなに怒ったり喜んだりしてくれる人達と仕事ができることは、働くことにおいてこの上ない幸せだよなあ』と、いつになくあたたかい気持ちになっていた。
なお、私が出品したケーキはあっという間に売り切れたので、チャリティにも貢献ができた。
競争原理から離れる事で、見える景色さ。
結果的にこの星の一等賞にこそなれなかったが、自分を想ってくれる人達からの優しさにふれ、またケーキ作りのスキルも体得できたため、このコンテストがきっかけで、何物にも変え難い財産を得る事できたことは確かであった。
その後も『せっかく覚えたことだし』と、ハンドミキサーの返却と帰国前に友人の誕生日ケーキを手がけたり、マルタに移動後も2回ほどケーキを作る機会があったため、間違い無くこの経験は私の血肉となり、今もなお脈打っているのだ。
母のケーキ、もとい私の作るケーキが、国境を越え、たくさんの人々に愛されたことが、この上なく光栄なケーキコンテストであった。
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