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自分のためのご飯を、私を含む全ての女の子が、奥さんになっても、お母さんになっても、私はこれが好きなの、美味しいのって、毎日食べられるといいな。【まだ温かい鍋を抱いておやすみ(彩瀬まる 著)】前編

自立するまで、親へ興味を持てなかったこと。
頭がおかしくなりそうな時でも、家族に気をつかって生きていくこと。
大切な人に馬鹿にされたり軽んじられることで自分が無くなって、いつしかその人の一部になっていくこと。
今まで無口で穏やかだった人が、何かをきっかけに溜まりに溜まった想いを吐き出して人が変わったように凶暴になること。

今書いたこと、なんだかすごくドキっとしませんか?
(しなかったらすみません、私はすごくドキッとしました)
「まだ温かい鍋を抱いておやすみ」(彩瀬まる著)を読んで、私の胸がざわついた記述でした。

本書は、「ご飯」にまつわる物語が集まった、短編集です。
ご飯にまつわる…となると、結構ほっこりした話が多いのかな、とイメージしていたのですが、結構目を背けたくなるような感情の描写が多く、引き込まれてしまいました。

人に作るご飯って、喜ばれないプレゼントだって、自分で作っていてよく思います。
(悲しみ全開すぎて自分でびっくりしました、あの、私はいたって元気でうす…)
相手の喜ぶ顔を思い浮かべながら食材を買ってきて、
美味しくなるのならば、と面倒な工程も踏んで、
そうして「ありがとう」も言われず作業のように淡々と消費されていく。
なぜだか誰かのために料理をすると、私は自分を消費するような気がして、すごく苦手です。
せっかく料理するのなら、そして誰かに喜ばれもせず消費されるのだったら、自分のためだけにしたい。
(誰かに自分の料理を喜んでもらった記憶があるからこそその裏返しのようにも思えるのですが)
とにかく、私にとっては誰かに料理を作る、というのは自分を消費するだけの悲しくて虚しい行為なのです。

「家庭の食卓って、忖度の積み重ねでできてるよね。
自分がこれを食べたい、以外の理由で組み立てた料理を毎日作り続けるって、考えてみると結構クレイジーだよ。
しかもそうして作った料理を、家族が喜ぶかっていうと微妙なわけだし。」
「ああ、確かに子供の頃、そんなには食事を楽しみにしてなかったな…」
(中略)
「だから母親の好きな食べ物とか、知らないんだ。
(中略)
普段の食卓も、栄養とか、月の食費とか、私や父親の好みとか、そんな忖度ばかりだったと思うんだよね。
あの人がはしゃいでなにかを食べていたって記憶が、全然ないもん」
「きっとそういうものなんだよね。
元気で、ちょくちょく顔を合わせてるうちは改めて聞くのも照れくさいし、そもそも知ろうと思わない。
でもそうして過ごすうちに、一緒にいる時間は終わるんだ。」
「それ、うちらの子育てにも言えることだよね。
ホットケーキとか、ラーメンとか、オムライスとか、息子の好物はいくらでも知ってる。
夫の好物も。
でも、私の好物をきっと二人は知らない。」
そもそも二人が知る知らない以前の話として、自分で食べたいものが分からなくなるのだから、真面目に妻や母親をやり過ぎるのも考えものだ。
私の母親も、自分の好物なんて忘れていたのではないだろうか。

まだ温かい鍋を抱いておやすみ(彩瀬まる 著)

夜遅くに、台所で、母が林檎を食べていた。
赤い皮を残したまま、一口サイズに切り分けた林檎を、小鉢に盛って、爪楊枝で刺して。
トイレかなにかで通りがかった私が、あれえ、と言うと、母はまだほとんど中身の残った小鉢を私に渡し、ぜんぶ食べていいよと言った。
どうしてもらってしまったんだろう。
一緒に食べればよかった。

まだ温かい鍋を抱いておやすみ(彩瀬まる 著)

母親になったから、とか、妻になったから、ではなくて、
母親や妻を演じすぎてしまうからこそ、こうなっちゃうのかな、って思います。
知らず知らずのうちに頑張りすぎてしまう、しっかりしなくちゃ、私が、やってあげなくちゃ、という気持ちが、どこからともなくやってきて、きっとそのやってあげなくちゃで作ったものは、悲しいプレゼントになる気がします。
私も、外で旦那さんが浮気していた頃作っていたご飯は、旦那さんの好きなものばかりで作って、苦手なニンニクも我慢して刻んで、旦那さんが好きだからたくさんたくさん入れて、でも帰ってこなくて、日付が変わる時間帯に悲しくなって盛り付けたものを全部ゴミ箱に捨てていました。
それを繰り返していました、毎日。
(今考えても人生で一番最悪な日々でしたね、本当に…こんな日々が皆さんと未来の私には訪れないことを、心から願います。)
なんで毎日作り続けていたんだろう、って今でも不思議です。
でも、多分、妻なんだから、奥さんなんだから、私が作ってあげなきゃ、
いい奥さんでいなくちゃ、という謎の義務感があったのだと思います。
でも、本当は、心の奥底では、ずっと、こんなもの作りたくない、ってずっと思っていました。
こんなくそみたいな料理作って、手がニンニク臭くなって、今日も朝まで帰ってこないことをわかっているのに。って、思っていました。
あんな悲しい料理はもう二度と作りたくないから、自分の本当の心の声を聞いて、自分が本当に作りたくて作ったものを、「ご飯」だって、呼びたいです。
そして、それを食卓に並べて、相手の好きなものは時々作ってあげればいいんです。
自分のためのご飯を、私を含む全ての女の子が、奥さんになっても、お母さんになっても、私はこれが好きなの、美味しいのって、毎日食べられるといいなって思います。
(私を女の子と呼んでいいのか論争があると思いますが、いくつになっても女の子は女の子ですよと自分で擁護します)
すみません、文字数が半端ないので続きます…。

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