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親の生き様こそが初めて目にする人間の生き様であって、そこにルールも規定も必要ない。【かか(宇佐見りん著)】

やべえ…やべえってばよ…

「かか」(宇佐見りん著)を読みました。


▼あらすじ
主人公のうーちゃんは、離婚を機に酒を飲んで暴れ回ったり、自傷行為を繰り返すようになってしまったお母さん「かか」を愛していると同時に、崩壊していく家庭環境にうんざりしている。
親にも男にも子供からも愛されないと感じて泣き喚くかかは、子宮がんを患い手術することになる。
うーちゃんは、かかをうーちゃん自身が産み直したい、産み直してかかをもう一度人生の最初に戻してあげたい、という無謀な願いを叶えるために、熊野へ旅に出る。

おばあちゃんが実の娘、かかに怒鳴り散らし、かか自身は泣き喚いて暴れまわる家庭内環境で、うーちゃんの居場所は鍵をかけたSNSで繋がったネットワークの中だけでした。

みんな少しずつ背伸びができて、人に言えん悩は誰かに直接じゃなくて「誰かのいる」とこで吐き出すことができるんです。

かか(宇佐見りん著)

絶望的な現実を目の前にした時、SNSは非常に温かな逃げ場になることがあります。
SNSや、自分の未来という逃げ場があるにも関わらず、うーちゃんはかかを見捨ててしまうということが出来ません。
うーちゃんさえ産まなければ、とと(お父さん)とかかが結ばれさえしなければ、かかは自分の人生を生き生きと歩めたはず。
かかは幸せなままでいられたはず。
うーちゃんはそう信じているからこそ、自分が女であることや、女から夢や希望を奪い去る力を持つ男、そして男と女が結ばれた結果、男が女から夢や希望をとことん搾取した結果、生まれてくる赤ん坊、自分が憎いと感じています。

うーちゃんはにくいのです。ととみたいな男も、そいを受け入れてしまう女も、あかぼうもにくいんです。そいして自分がにくいんでした。自分が女であり、孕まされて産むことを決めつけられるこの得体の知れん性別であることが、いっとう、がまんならんかった。男のことで一喜一憂したり泣き叫んだりするような女にはなりたくない、誰かのお嫁にも、かかにもなりたない。女に生まれついたこのくやしさが、かなしみが、おまいにはわからんのよ。

かか(宇佐見りん著)

私も、恋をしたら女は死ぬ、と思っていました。
女は皆、男に殺されると、本気で思っていました。
どんなに大きな夢や美しい希望を持っていたとしても、その女が魔法を使える魔女だったとしても、男を翻弄する美貌を持っていたとしても、男に恋をしたら終わりだ、
全部男に搾取されて、搾りとるだけ取られて、恋が終わる頃には男は自信と力をつけて、女は何もかも失って、殺されたも同然だ、と思っていました。
まあ今となっては、そうなるかどうかは自分次第ですし、自分の学び次第で変わっていくものだと思っていますが、若い頃はそう思っていました。
だから男は恐ろしい、本気で好きになりたくない(何度も好きになったけど)男のために子供を産むなんて、とんでもないと思っていました。
だからうーちゃんの想いがひしひしと私の心のひび割れみたいなところにひっかかるような気持ちになりました。
うーちゃんの悲痛な想いが、そのまま自分の気持ちを代弁しているような、気持ちになりました。

うーちゃんはもう宗教もオカルトも信じられんのよ。男と女がセックスしてなぜかいのちが生まれる、そいのことのほうがよっぽどオカルトに思えてしょおないんよ。
(中略)
うーちゃんはどうして、かかの処女を奪ってしか、かかと出会うことができなかったんでしょうか。
今度こそうーちゃんはかかを壊さずに出会いたかったかん、たったそいだけのために、かかをにんしんしたかった。
うーちゃんたちのありふれた淋しい未来を誰も悲しまないでしょう。誰も憐れまないでしょう。みんなが淋しいかんです、みんなそれぞれに、べつべつに淋しいかんです。いっしょに淋しがってくれるかみさまがいないなら、うーちゃん自身がかうーちゃんたちのかみさまになるしかもう道は残されていないんでした。

かか(宇佐見りん著)

かか、一人の生身の女性、人間が、誰にも愛されず、寂しい、苦しい、死にたい、と泣く。
男を愛して、孕まされて、裏切られて、狂ってしまう。
そうしてこの世に2人の子供(うーちゃんには弟がいます)を産み落としたのに、その子供は男と自分を繋いでくれない、そしてその子供にさえ巣立たれる、孤独。
実の母親は、死んだ姉だけを愛し続け、痴呆が始まると、姉の遺した子供のことは覚えているのに自分のことは真っ先に忘れてしまう、やるせなさ。
親という存在は子供にとって絶対の存在、まるで神様のように思えることがあります。(きっと早い段階で親は神様ではないと気づく人もいるし、本当にいつまでも神様のようにい続けてくれる親もいると思うし、それぞれですが)
でも、うーちゃんにとってかかは、神様ではなくなってしまって、むしろ産みたいとすら思う、守りたいものになっている。
かかのことを世間の人がどう思うかはわかりませんが、親は神様になんてならなくていい、かかのようであれ、って私は思います。
子供の前でも泣き叫び、狂い、愛されたいと泣く、子供に呆れられ、甘ったれだと何度も作中に書かれるかか。
それでも私はかかはそのままであれ、それを止めるな、って願ってしまうのです。
親になろうと、神様になる必要はない、悲しかったら泣けばいいし苦しめばいい、子供にこれが自分の生き様なんだと見せつければいい。
自分から、お互いから、子供から目を逸らして外で不倫し、子供の前で良い両親を演じきれている気になっているような男と女より、よっぽど立派です。

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