自分の変わらなくていいところ見つけるのはちょっと大変|「本当」の居場所
ライターなのに「書きたくない」がとまらない。少しでも書くことをポジティブに思えるようにnoteを書く。
今思っていること
何を書けばいい?今思っていること。
しにたい?ちょっとちがう。口癖ではあるけれど、習慣で言っているだけで、気持ちを表している言葉じゃない。
何も考えたくない?もっと具体的に。納期明日なのになんでこんなに件数抱えてるの。手放して楽になりたい。お金なんてどうでもいい。とにかくこの苦しい気持ちから解放してほしい。
苦しい気持ちから解放されることのほうが、お金が足りないよりもずっと優先されてしまう。それを繰り返していたから、こんな状況になってしまった。
本当の私を見て!と思い続けて30年
ずっと私の気持ちに気づいてほしい。子どものころからそう思っていた。高校選びの基準には「本当の自分を見てくれるところ。」大学の志望動機は「校風が自分に合っていると思うから。」これは当時の担任にばかにされた。
ずーっと、そんな気持ちを抱えて30年間生きてきた。このまま終わるの?もったいない。「条件なしで親は私を愛してくれている」と思えている幸せな人とはスタート地点が違うから、簡単でいいよね、私と比べないでよ、そう思う。でも、そう思ってひねくれたままは、面白くないよ、絶対に。
そんな自分が、楽でいいよねと思っている人と同じ土俵に立てたら、私のほうが経験値上。きっと面白い景色が見えると思っていて、だから同じ土俵に立ちたいと思う。もっと具体的に。正社員になりたい。もしくは同じくらい稼ぎたい。
乗り越えないといけない壁が大きいから、がんばれるはずだ。ちょっとずつ。レベル上げ。そう思っていないと、どう進めばよいかわからない。
本当の自分は全部ばかにされる?
スーパーに行ったり人込みに合うと、すごく疲れる。周りの人は普通に稼いでいて、私のことを知ったらみんなバカにするんだろうなって思うから。私が私のことバカにするの止めたら、そう思わなくなるかもよ。
変えていかなきゃならない?全部?変えなきゃいけないと思うところばかり見つかって、それはつまり、今の自分を否定していることと同じになる。私のままでいいところも、たまには見つけてあげたい。
でも一旦、自分を甘やかすと、変えた方がよいと思っているところも、変えないままでいいと思いそうで怖い。
0か100しかない極端な考え方は、よく指摘される。これも治した方がよいところ?
私の思うことは全部まちがっている、そう思った方がすごく楽で、2~3日そんな風に過ごしている。嫌だなと思ったときは、私が間違っていると諭して、にこっと笑えば解決。
同時に、こんなにがんばっている私を誰か見つけて、ってまた叫んでる。また、「本当の自分を見て」ってやつが登場する。
お腹がすいて気づいたこと
疲れたな、こんな生活。全部、自分。自分。自分。誰かのために生きれたら、楽?
お腹がすいてきた。いつも食欲はある。ご飯をつくることは好き。おいしいものが食べられる。しかも私の味付けで。料理については自分のこと褒められる。だいたいおいしい。
あまり物ごはんも得意だ。冷蔵庫の中にあるものでおいしいものがいつも作れる。材料が少なくても、それなりのものが作れる。
私が変わらなくていいところ、書きながらひとつ見つけた。よかった。
本当の居場所
頭で考えて出てくることに、本当のことはほとんどないのかもしれない。ぱって一瞬でわかるもの、感じるもの、本当のことはそこにあるから、それを見逃さない自分でいたい。
本当ってなんだろうね。本当の自分って?自分が全部「本当」なことは、どこかでわかっている。思ったことを隠してしまう自分も本当。理想の自分の上に、本当の自分というラベルを貼ってない?
疑問を持ったまま日常を過ごしたい
このまま疑問を持ったまま、日常生活をして、ふとした瞬間に、こういう意味なのかなって答えみたいなものを感じて、そういうことを繰り返して、大人になれたら素敵だなと思っている。
自己分析は就活の面接において大事なこととは感じている。私の理想の解決の仕方とは真逆だ。自分のことを頭で考えて分析して、解決しなさいってことだから。
面接をゲームととらえられるか?とらえられたら正社員になれる?ちがう、私はなりたいの?今は、なりたい。だってお金があると、やっぱり幸せを感じられる瞬間が多いことに、お金があるときと、借金抱えている今を経験していると気づく。
いろんな疑問に私なりのこたえを見つけるには、日常生活が必要で、意味の分からないことや理不尽なことも、その日常生活の中に組み込みたい。
今は、フリーランスで仕事から逃げられる時間の猶予があって、逃げることの多い日々。自由を奪われたい。そんな風に今は思ってしまっている。
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