【薄い本】Rote Stöckelschuhe (前編)
Rote Stöckelschuhe(ローテ・シュテッケルシューエ)
『赤いハイヒール』
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冷たい風が頬を撫でる。いつもはうっとうしい夜風も、今日ばかりは私に味方しているようだ。
ここはとあるビルの上。見知らぬ誰かの残業の明りが私をほんのり照らしている。身なりをきちんと整え、深く深呼吸をする。
今日は25歳の誕生日。私は今、人生において大きな一歩を踏み出そうとしている。大きな、大きな、最期の一歩を。
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私は昔から何もできなかった。得意なことなど何もなく、学生時代の記憶といえば、ビリビリに破かれた教科書とかぶったバケツの水の冷たさぐらいだ。私は頭が悪かったので、先生も父も大学進学を勧めてこなかった。運動神経も悪く、学生時代はとにかく何をやってもダメで、何をするにも鈍臭く、イジメの対象になるにはそう時間はかからなかった。
高校を卒業して働きに出ても、何も変わらなかった。仕事をこなすことができず、上の人間に怒られる毎日。毎日同じことで怒られる私を見て、同僚達も影で私を笑うようになった。自分のデスクから物がなくなることもある。
でも、自分で決めていたとあるルールを思い出せば全て我慢できた。
【私は、25歳になったら死ぬ】
というルール。当然、自分で自分にピリオドを打つという意味だ。25という数字に深い意味はない。強いて言えば、ルールを決めた日が25日だった、とかそんな程度だ。
25歳になればどうせ死ぬんだから。そう思えば、どんなことでも受け止められた。たとえ、皆が自分を疎ましがり、自分に誰も何も期待していないとしても。誰も、私を見てくれないとしても。
この奇妙なルールを設けてからは、どんなにくだらない人生だとしても少し先にゴールが見えているから、ちょっと我慢すればいい。そう思うようになった。
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今日は25歳の誕生日。
そんなことはもちろん誰も知らない。朝起きて携帯を眺めても、唯一の家族であった父ですら私に祝いのメッセージの一つも無い。きっと私の誕生日など覚えていないのだろう。
母は私を産んですぐに他界したらしい。父は母の事を深く愛していたらしく、私が母の命を奪ったと考えていたのだろう、愛情らしい愛情を私に向けてくれたことはない。コンビニのご飯で育ち、母の味とやらは知ることなく、添加物の味だけが身体に染み付いている。そして高校卒業と同時に私は家を追い出された。高校まできちんと通わせてくれたことには感謝するが、きっとこの先私が生きていたとしてももう会うことは無かっただろう。
いつも通り出勤し、いつも通り上司に怒られる。もう君には期待していないよ。そんな視線を向けられる。けれど全てどうでもよかった。今日は私にとって大事な日。
定時で仕事を切り上げて、周りからの視線を感じながらそそくさと退社し、急いで家に帰った。制服を雑に脱ぎ捨て、お気に入りの服を身にまとい、慣れない化粧で飾り付ける。まるでこれからデートに赴く女の子のように、心を躍らせて靴を履く。
死に方はいろいろ考えた結果、飛び降り自殺に決めた。苦しくなさそうだし何より、最後に何か目立つようなことをやってみたいと思った。
飛び降り自殺ということは、靴選びは非常に重要だ。飛び降り自殺は靴と遺書を屋上に残すのが相場と決まっている。遺書を残したい相手もいないから、せめて自分が1番良いと思う靴を残さなければ。
選んだ靴は、一大決心をして買ったものの一度も履いていなかった真っ赤なハイヒール。自分の持ち物の中ではかなり高額なもので、目が飛び出るような値段がする。自分に似合うはずがなく、一度だけ家で履いてみると、あまりにもちんちくりんで笑けてしまった。その時の自分が何故買ったのかは未だにわからない。でも何故か、その時は異常に、この赤にどうしようもなく惹かれたのだ。
ふと自分の部屋を振り返る。最低限の家具以外何もないが、唯一の安息の地であった、私の部屋。高校を出てから1人でずっと暮らしてきた場所に心の中でありがとうと感謝を述べ、外に出て目的のビルへと向かった。
・・・
平日の20時はまだまだ人の行き交いは止まらない。右に左に、人、人、人。皆そんなに急いで何処に行くのか。
家に帰る人。
会社に戻る人。
飲み屋を探し彷徨っている人。
私は、死に向かって歩いている人。
これだけ人がいようとも、私のようにこれから死ぬぞと意気込んで歩いている人はいるまいと、少し得意げな表情で進む。
足元の赤いハイヒールがコツ、コツとぎこちない音を立てる。なんて歩きにくい履物なんだろう。おまけにくるぶしが何箇所か痛む。とうとう座り込んでしまったが、少し休憩して再び目的地を目指す。
痛みに耐えながら、なんとか目的のビルまで辿り着いた。決して綺麗なビルではないが、その分屋上に上がるのは簡単だろう。そこそこ高さもある。中に入り込み、エレベーターで1番上まで上がる。狙い通り、屋上までは1枚ドアがあるだけで簡単に外に出られる。私はおととい買ったハンマーでドアノブごと鍵を壊し、屋上に出た。
冷たい風が頬を撫でる。いつもはうっとうしい夜風も、今日ばかりは私に味方しているようだ。
ここはとあるビルの上。見知らぬ誰かの残業の明りが私をほんのり照らしている。身なりをきちんと整え、深く深呼吸をする。
ハイヒールを脱ぎ、ビルの淵に足をかける。眼下ではたくさんの人が行き交っている。下から見るより地面までうんと高く感じる。思わず足が竦みそうになる。しかし、反対に私の心はどんどんと高揚していく。胸が高鳴り、手に汗を握る。
さあ、あとは一歩前に踏み出すだけ。それで全てが終わる。待ち望んだ瞬間が、今ここにある。さあ、飛べ。さあ。
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