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キレイ過ぎる部屋の人はあんまり信じられない


『ミニマリスト』

SNSによく触れる皆さんなら一度は聞いたことがある言葉だろう。
手持ちのモノを極限まで減らし、とにかくシンプルで丁寧なライフスタイルを送る人たちのことを言う。なんか最近妙に流行ってるし、Twitterフォロワーが4000人ぐらいいる僕の友達もミニマリストを名乗り、とことん断捨離していた時期があった。
僕自身、ミニマリストいいなあって思うことがあり、断捨離してやろうと思っていろいろ捨ててみたこともあるし、引越しする時にでかい車の手配とかめちゃくちゃめんどくさかったから、なるべくモノを持たないようにしようと心がけながら、綺麗な部屋を保つよう意識するようになった。
AmazonKindleを購入して、本を持たないようにしようとしたのもその第一歩だ。


ミニマリストとという考え方を否定するつもりは毛頭ないことはここで述べておく。
モノを持ちすぎない意識には、賛成しているぐらいである。身軽に生きるのはさぞ素晴らしいのだろうと憧れてさえいる。

ただ、たまに見かける、人間が暮らしていく上での本当に必要最低限のモノしか部屋にない人を見ると、ちょっと引いてしまう自分がいる。
他にはTwitterで見かける、『〇〇を断捨離しました!』っていう報告とか、『思い出は心の中にあればいい!断捨離断捨離ィィ!!』みたいなつぶやきをしてるような、捨てること・持たないことだけに集中する人を見ると、なんだかなあって思ってしまう。

ミニマリストの人が上げる自室の写真を見て思う。
もはや部屋の中がキレイ過ぎて、オシャレ通り越して味気ない。
いくら余白を愛する国民性とはいえ、いや余白しかねえじゃん、真っ白な背景にぽつんとワイヤレスイヤホン置いて写真撮ってんじゃねえよって思ってしまう。


『人間は、道具を使う動物である』と、どっかの評論家がいつか知らないけど昔述べていたらしい。
僕の考えでは少し違う。
道具を使うだけなら他の動物だってしている。
猿なら木の枝を使って蜂の巣をほじくるし、頭のいいカラスはクルミを車に轢かせて殻を割る。
そんな奴らと人間の違う部分は、無駄なモノを作り出す・使うという点であると思う。自分のナワバリをオシャレに飾り付けようなんて猿はいないだろう。

一見無駄なもの、生きるのに必要なさそうなもの、捨てちゃいたいもの。それらが作り出す独特な空気は人生においての彩りとなるはずだ。何かのお土産でもらったわけのわからないキーホルダーをみて、こんなもん寄越しやがってと、しばらく会っていない友人を思い出すだろう。
別れた恋人からの手紙がひらりとアルバムの隙間から出てきて、若い自分に想いを馳せ、いい思い出だったと感慨にふけるだろう。

僕はモノを捨てるのが苦手だ。
家がごみ屋敷だとかそんなことはないけれども、何故か僕の家にはモノがたまる。僕じゃない誰かのモノまであったりする。脱がせたわけでもないのに女性ものの靴下があったときはマジで意味不明だった。出会って5秒で捨てた。
わけのわからないモノはすぐ捨てるけれども、自分が持っていて楽しかったモノ、嬉しかったモノはなかなか捨てられない。
モノには、それに触れている間の自分が宿り、シミの如く思い出が染みつくと思っている。
モノを捨てるたび、それに触れて笑っている自分、泣いている自分、怒っている自分、喜んでいる自分をゴミ箱に入れてしまっている気分になるのだ。写真じゃ得られない、リアルな記憶がそこにはある。


部屋に何もない人。
おそらく、自分の生活を極限まで研ぎ澄ませているのだろう。
片っ端からノイズを消し去っているのだろう。
素晴らしいことなのだろう。
だから、ノイズを愛する僕からすると、あまり信用できない。
シンプルでスマートな部屋より、ガチャガチャしてて狭い部屋の中に様々な世界を見られる人の方が、人間臭くて好きなのだ。




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