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自分を大切にする、が やっと ちょっとだけできるようになった

30代になって、10代、20代とは環境が変わって
考え方も少しずつ変わってきた。

何より、自分を大切にしようと思えるようになってきた。
やっと。

noteを初めてもうすぐ1か月。
ぴっぴってどんな人?を改めて紹介します。

ずっとさみしかった10代

どうして、お父さんやお母さんは、病気のお兄ちゃんや
甘えん坊の妹ばっかり、気にしているんだろう。
わたしは居ても、居なくても、いいのかもしれない
と、ずーっと思っていた。
わたしはいわゆる、″きょうだい児″ だ。

この時、辞書で「ぴっぴ」を引けば、きっと「いい子」と出てくるだろう。
親の顔色を見て、いろんなことを察し、
とにかく私のことで苦労を掛けないように、
心配の種なんて作らないように、いい子をやってきた。
勉強もきょうだいの中で一番がんばった。

高校は、兄のかかりつけの医大の近くにした。
いつ、呼び出されても、安心なように、と親に言われた。
選択肢はあるようでなかった。
兄はいつ死んでもおかしくなかったんだって。(大人になってから知った)


少し、家族から離れたい気持ちもあって、大学は
県外の国立大学に行かせてもらって、なるべく自立して生活ができるように
アルバイトも一生懸命した。
朝6時~23時まで働くこともあった。(この頃から社畜)
自由のすばらしさを知ると同時に、ずっとさみしさが消えない10代だった。

THE 社畜の20代

大手の教育系企業に入社した。
会社で頼りにされることがうれしかった。
仕事ができているなんて自覚はひとつもなかった。
が、人より努力している自負があった。

スピード出世もしたし、賞も沢山もらった。
新卒で入社して3年目には、ひとつの部署を任されるマネージャーになった。

泳げないのに、常にバタ足をしながら
水面になんとか顔をだして、息継ぎができている感覚。

できていないのに、できていることになっているから
どんどん増える仕事。増える責任。
周りへのフォロー、尻拭い。
成績はよかったが、心と体を犠牲にして働いた。

ユンケルの、粉、知ってますか?

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あれ、飲んでました。やばいよね。(もはやクスリの域)
20代の小娘が飲むものじゃないよね。

誰にも言えなかったが
朝は栄養ドリンクを飲まないと立ち上がれず、
夜はドリエルがないと寝れなかった時期もある。
オフィスのデスクは、1本1000円近い栄養ドリンクと、大量のレッドブル。

レッドブルは、ストローで飲んだ方が、効く
というまことしやかな噂を聞いて、
いつもいくコンビニでは、必ずストローを貰ってた。
コンビニの店員は、あらゆる飲み物にストローをくれるようになった。
ちがう、わたしは意識高めのOLではない。
ストローをつけてほしいのは、レッドブルだけだ。

身体はいつも鉛みたいに重くて
毎日、毎日、必死だった。
それでも、自分を必要としてくれる場所や、同僚、お客様がいるということは
私にとって生きがいだった。
それくらい、誰かに必要とされたかった。


精神を病む寸前でオットと出会い、
大きく人生が変わった30代。

オットと出会い、人に対しての考え方や、自分への向き合い方が大きく変わってきた。

通信制高校の教師として、うまく学校になじめない子どもたちと向き合う社会人としてのオット
体育教師だったのに、筋疾患の難病にかかり、自分の体が自分じゃないみたいになっていく障がい者のオット
とにかく私のことが好きすぎて、イタリア人のように私を愛でるオット

どのオットも、とても愛おしく、なにより人として
とっても尊敬している。

そして、

いい子でなくても、一生懸命じゃなくても
なんにもうまくできなくたって、
そのままのわたしでいいんだ


ということに、30代にしてようやく気付いた。
愛されて、はじめて、気づいた。

わたしの行動のひとつひとつの原点は、さみしさ だった。
ずっと誰かに大切にされたかったし、
誰かに幸せにしてほしかったのかもしれない。

30代、一筋縄ではいかない
いろんなことに出くわして、

わたしは絶対にわたしの味方でいる。
わたしだけは、絶対に、わたしを大切にしてあげるんだ。

と思うようになった。

簡単なようだけれど、私にはむずかしい。

オットと、オットの病気と、うまく付き合いながら
私は、私を幸せにしていく。





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