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ありすと倖生、私にとっての『それでもただ』(miwa)【前編】

※やむを得ず前編と後編に分けることにしました
※この記事は『厨房のありす』第8話までを観た時点での記事です




以前も書いた通り、ドラマ『厨房のありす』にハマっている私。

そのテーマ曲である、miwaさんの『それでもただ』には、なんともいえないこのドラマとの親和性があって。
歌詞や、miwaさんの澄んだやさしい歌声、そしてドラマの中でこの曲が流れるタイミングがいつも最高なのだ。


ドラマを観進めるほどに、”それでもただ”という意味が深まっていく。
ASD(自閉スペクトラム症)というハンデがあり、他のひとのように人間関係、社会性においてうまくいかない、わからないことが多い中でも自分の疑問を解決し、乗り越えていこうとする主人公の”ありす”(門脇麦)。
家族を失った上に犯罪者の息子と言われながらひとりで生きてきて、不愛想だがひととして偏見なく相手を見ることができるやさしさを持ち、自分をまっすぐ見てくれるありすに寄り添おうとする”倖生”(永瀬廉)。

ふたりにいろいろな事情はあるがそういうことを抜きにして、そのタイトルや歌詞通り、

”それでもただ、あなたが愛おしいんだよ”

という、このドラマにはこの曲しかないと思わせる曲なのだ。

※ドラマの内容などはこちらから↑
(ミステリー要素が進むほどに、相関図に都度人物が足されていく)


そんな登場人物にスポットライトが当たった、
『それでもただ』の『厨房のありす』ver.のMVが公開された。


ふたりをがっつり思いながら生活している身としては(ありす中毒)この上ない感動巨編。

1番では、ありすを中心とするドラマ内の場面が出てくる。
主に、3歳のありすを引き取って育ててきた父・心護からのありすへの愛情を感じる場面。
そこから、2番に入るところで動画の主人公が倖生に変わるのだが、
そのスイッチングが見事だった。

改めて、2番以降の歌詞をみたり聴いたりする機会が少なかったことに気づく。

※今、リンクを貼るために歌詞をみていても泣きたくなる


何度だっていいよ
聞いてあげる
まっすぐな瞳で
繰り返す言葉も
無垢なその笑顔も
守りたいんだずっと

『それでもただ』/miwa
詞:miwa・杉山勝彦

2番のこの歌詞は、明らかにありすのことだな、とわかる。
邪気のない真剣な顔で、他のひとがぎょっとする行動もとってしまうありす。
例えば恋愛の”すき”という感情について知りたいために、自分のことを”すき”だと思っている、と、思っているありすが倖生の顔面に近づき「私を見るとドキドキしますか?」などと質問しながら迫るシーンがある。
倖生はさすがに「いやいやいやいや」と照れて逃げつつも、彼女が今知りたいことと真剣に向き合っていることを知っているので、”やめろ”と突き放したりはしない。
ありすが、自分が知りたいことのために起こす行動や質問を、倖生はバカにせず受け止める。
父の心護や親友の和紗、和紗の家族などもそうだ。

ありすを偏見なく受け止め寄り添おうとするひとの、
ありすに対する気持ちを表している歌詞のように感じられる。

そして、この2番のはじまりから、

不安な時はぎゅっと抱きしめるよ
こんなことしかできないけど

『それでもただ』/miwa
詞:miwa・杉山勝彦

この部分にかけては、ずっと倖生とありすのシーンが流れている。
特に、
実際のストーリーでありすが不安な時に倖生が抱きしめるシーン、
”こんなことしか”、という部分では、
心護が昔からありすを笑わせるためにやっていた「ベンゼン!」という、とある六角形の分子の顔マネを、倖生がやってみせるシーン。

ありす版MV制作陣の皆さん、すごい。
本当に歌詞とリンクしている。


そして、
以前から私が思っていた

不器用でもひたむきなその姿が好きだ

『それでもただ』/miwa
詞:miwa・杉山勝彦

という歌詞は、ありすにももちろんあてはまるが、
個人的には倖生が思い浮かんでいつもぐっときていた。

やさしいのに不愛想。過去の経験から人に心を開かず多くを語らないため、それがうまく伝わらない倖生が、何かを必死にがんばっている姿は心を打たれる。
印象や過去の環境のせいで勘違いされたり、偏見をもたれたりしてきた倖生だからこそ、それを全く無視してまっすぐに自分の良さを見つけてくれるありすのことを”信頼できる”と感じ、心を動かされていく。

そんな部分が、動画の中では、
倖生がありすのピンチを知り、全力で走って向かおうとする場面に重なっていた。

動画制作陣の皆様、解釈の一致をありがとう。


この曲の主な軸になっていると思われる歌詞は、

君は君のそのままでいい

『それでもただ』/miwa
詞:miwa・杉山勝彦

という言葉だ。

ありすのようにASDなどの発達障害、その他の障害や病気などでハンデがあったり、
倖生のように過去の家族の事情、今生きている環境のせいで”ひとりで生きている”と感じているひとだったり、、、、、、
とにかく様々な理由で
”生きづらさ”
を抱えているひとに、この言葉を届けたいのだなということがわかる。

ありすは、心護や和紗ファミリーの関わりのもとで、自分の得意なことを見つけて今料理人として仕事をすることができ、それに自信を持っている。
気になることを徹底的に調べ、質問し、自分から行動を起こすことができる。
信頼できる(目を合わせられる)人物は心護、和紗、倖生(ドラマ中に信頼関係を築けた)だけだが、たくさんのひとがありすを”普通に”受け入れ関わってくれる環境があったから、ありすは自分の居場所を見つけて生きている。

そういう
”人間、みんな違う特性があるものだ”
ということを、みんなが理解できる世の中になったらもっと、生きやすくなるひとが増えるだろうな。

倖生が、住み込みバイトとして一緒に住むにあたって、ありすの生活面での多くの決まり事(キッチンの調味料の位置、曜日によって変わる食器の色など)を一生懸命覚えようとがんばったのは、決して
”ありすがASDだから”
ということではなく、
”同居するひとと気持ちよく過ごしたいから”
という、人としての考えなのだろうと私は思う。

そして、動画の最後に、
ひとりで生きていると思っていた倖生、
自分が生まれてしあわせになったひとがいないと思っていた倖生に、
ありすから送られた素直な言葉が、沁みる。

お互いがお互いを必要としていくようになり、
いろいろな事情が絡んできても、
それでもただ、気持ちを届けたい、愛おしい、思いが溢れるという、
まさに『それでもただ』の歌詞ひとつひとつが、
ありすと倖生のお互いへの思いに感じられる。

もちろん、ドラマ内に登場する様々な愛情の形、全てにあてはまる内容である。
親子愛、家族愛、友情、片思いからの両想い、同性愛、叶わない恋、、、、、、


やさしい気持ちにただただなれるドラマかと思ったら、ミステリー要素がどんどん深まる。次回(9話)からはありすと倖生、そしてありすとは恋敵である松浦百花も加わり、ありすの実の両親、倖生の父親が絡む事件の真相に、協力して迫っていくようだ。

みんなが、しあわせになれる結末を、どうか、、、、、、




そして、
ここからはドラマとは関係のない私情になる。




→ここまで書いて、鬱調子を崩してしまったのと、ドラマの9話から最終回に向けての雰囲気が私のメンタルにあまりに負荷がすごくて続けてかけなくなっている。

ので、【後編】に主にこの曲と自分自身の状況に重ねたことを、後日改めて書こうと思う。

こんな駄文をお待ちの方がもしいらっしゃるのならば、気長にお待ちいただければと。


"君は君のそのままでいい"
ということが、常識的に根付く世の中になりますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。