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生きることに意味なんか見出さなくていい

僕は色んな思いをしながら旅を続けていた。

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生きるって何だろう。
教育って何だろう。
言葉の違いって何だろう。
肌の色の違いって何だろう。
国境って何だろう。


一つの結論を僕はスリランカの旅で得た。


それは「気にしない」ということ。


少しくらい服が破けていようが、
ハエが飛んでいようが、
トイレの使い方が違っていようが、
「気にしない」


「言葉の壁」というが
言葉に壁なんかありはしない。


生きていることに意味なんか
見出さなくていい。


文明の進歩がいいとは限らない。
自然との調和。
スリランカにコンビニはいらない。
横に連なった専門店があるから。


だから、エネルギーがあり、
それを受け取ることができる。
日本では逆にエネルギーを
吸い取られることばかりだ。


どちらがいいか。


選択肢は一つしかない。
自然の中で「個」で生きる。
そこにストレスはない。


ヤシの実は捨てるところがない。
ジュースを飲み、油を取り、
屋根になり、たわしになる。

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「断捨離」などしなくても
「ミニマリスト」にならなくても
生活そのものがすでに
ミニマリストなのだ。


1日を生きるのが精一杯でも
そこには笑顔がある。


道を尋ねれば、「俺がバイクで案内するぜ」
と先導してくれる。

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「当たり前」の基準がその国に
よって違うように、
僕は
現地の人と同じご飯を食べ、現地の
レストランに行き、人々に話しかける。
その楽しみは単なる「観光旅行」では
味わえない。


スリランカの学校で子供たちを前に
ミニ授業を行った。

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彼らの目は未来を向いている。
そして教育問題の解決策は
一つしかないことを悟った。


それは「保護者と共育」すること。


日本でそれができれば、いや、かつては
できていたのだ。


全ての教育の根本は三位一体。
子ども、保護者、教師。


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