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プチ地方移住体験


本格的に地方移住した方には怒られるかもしれない。プチ地方移住体験と言っても、単なるロングタームの実家帰省。

実家を出て以来、初めてともいえるほど長い間を実家で過ごし、仕事は実家からのフルリモートワーク。

週末は地元の友達と遊んだり、家族タイムを満喫し、姪っ子たちの餌付けをするためのお菓子作りに勤しんでおば業全開の非日常を楽しんだ約1か月間のプチ地方移住体験を通して、気付いたことや感じたこと、新たにできた夢をつれづれなるままに、noteに記録しておくにした。



1年ぶりの帰省で年末年始を地元の岡山県北部の田舎で過ごした。例年と変わらない帰省を満喫し、帰京の準備をしているタイミングで首都圏に「第二回目」となる緊急事態宣言の発出が固まりつつあるという報道が出始めた。


悩んだ。このまま東京に戻ると悪夢のような自粛生活が待っている。一方で、今となっては「怠けていい場所」で非日常の実家で過ごし続けるのも、自分の生活リズムが崩されてしまうかもしれない。さあ、どうするか...


結局、「このまま予定通りに東京に帰っても何もできないよ」という、両親の言葉もあり、しばらく実家で過ごすことを決意。とにかく、2週間はここで過ごして様子を見よう。そして、東京で仕事が入らない限り、緊急事態宣言が明ける約1か月はここに留まろうと決めた。

↑第二回目の緊急事態宣言発出


こうして始まった実家暮らしという名のプチ地方移住生活。

内容を次の通りに纏めてみることにした。



(1) 自分の生活=人生に集中することができると悟ったフルリモートワーク

(2) 「人との繋がり・コネクション」こそがこれからの時代に大切な最大の財産

(3) 家族と生活すること。母・妹との関係性。実家に居留まる人生。

(4) 飼い犬から愛犬に変わった「ハッピー」

(5) スイーツづくりという名の「おば業」

(6) 新たにできた夢




(1) 自分の生活=人生に集中することができると悟ったフルリモートワーク

今となっては、「実家」とは帰省するときに滞在する非日常の場所であり、怠けていい場所。
それが、少なくともこの1ヵ月間は、「日常」となる場所に変わった。
まずは、実家=怠けていい場所→実家=日常、に意識を切り替えることから始めた。年明けから毎晩飲んでいたお酒は、週の中日の水曜日と週末の金曜日・土曜日だけと決めた。また、緩んでいた食欲も引き締め、一人暮らしで食べる程度の量に戻した。

いざ、リモートワークでの業務を年明け数日後から開始。スーパーフレックス制度が幸いにも整えられていたことから、1ヵ月の最低限の勤務時間さえ満たせれば、コアタイムは無く、どの時間に働いてもよい。だいたい8:50-17:35が勤務時間だが、実家での勤務時間は7:00-16:00をベースとした朝方にシフトすることとした。

勤務時間を朝方にシフトした理由。それは、業務後の時間をランニングとエクササイズに費やすためである。これにより、運動不足とコロナ太りを解消することが目的。
何といってもここは田舎。電灯の数が少なく、18時にもなればあたりは真っ暗でランニングするにも不便。そのため、明るいうちに外でのランニングができるように朝方に業務時間をシフトしたのだ。このリズムを確立させて、とにかく1日の優先事項を業務後のエクササイズに置いた。

私の職業は営業職であるが、基本的な取引先との連絡はメールと電話。PCと携帯さえあれば、どこでも業務は可能。家族が集まる台所をワークデスクとして、連日業務をしていた。「仕事」をしている空間は、PC画面に向き合っているときと社内・取引先との電話をしているときのみ。それ以外は、全て「私の生活」という空間を生きることができる。(これは会社内での立場や業務量にもよるかもしれない。)
お昼時間、休憩中の家族とのたわいもない会話、業務後の自由時間。すべて、仕事・会社・同僚(一部の限られた対象だが)というしがらみから解き放され、自分の人生の空間を過ごしているということを実感した。


家族との時間が大好きな人、自然豊かな地域で生活したい人、将来的には自給自足の生活を望んでいる人etc…こんな方には、都心の会社に属しながら、地方でリモートワークをするという、地方移住は持って来いだと思う。この上なく、自分の生活に、自分の人生に集中ができる。

↑1ヶ月間ひたすら走り続けた田舎道ランニングロード



(2) 「人との繋がり・コネクション」こそがこれからの時代に大切な最大の財産

プチ地方移住と称した実家生活で、一番大切なことは、いかに人と繋がっているか、ということに気づかされた。
実家生活をし始めてすぐには、ONLINE飲み会を開催。生活拠点で仲良くしている東京在住の友達に加え、大阪、国を超えてフィリピンの友達とも繋がり、トークに話を咲かせた。定期的に東京で会っている友達ともONLINEでコミュニケーションを取り、何ら変わらない友好関係を続けていた。
また、更には、SNSで繋がっている友達は、私の配信に対してコメントしてくれ、数人で集まることに。地元に長期いたからこそ会える友達とも再会を果たせた。
これからの時代、人との信頼関係構築を大事にし続ける限り、どんな場所にいても、繋がりたい時に繋がりたい人と繋がることができる。この繋がれる人がいるということが、本当に大きな財産だと身を持って確信することができた。
占星術の世界では、2020年12月22日から、「ネットワーク等の目に見えないものが豊かさの象徴」とされる風の時代に入ったと言われているが、まさにその通りであると感じた。

↑ONLINE飲み会のおつまみディッシュ
 実家なので、いつになく豪華✨


(3) 家族と生活すること。母・妹との関係性。実家に居留まる人生。


高校進学を機に、下宿生活を始め、その後は、大学進学と共に上京。
1年間は寮生活を送ったが、その後は、せいぜい週末の半同棲生活をする程度で、基本的には自由気ままな一人暮らし生活を続けている。
これだけ自由気ままに一人暮らしを長らく続けてきて、私はこの先誰かと一つ屋根の下で一緒に暮らす
ことができるのだろうか?と不安交じりの疑問を抱くこともあった。

しかし、人は環境に馴染むもので、約1ヵ月間、実家で、両親と帰省中の大学生の妹と4人で一つ屋根の下で生活を送った。

食事を提供してくれる母が家族で一番の権力者。
曲がりなりにも母の機嫌は損ねないようにと気を遣いながら過ごすことができ、同居人に気を使うことができる自分がいることに驚いた。
そして、何より、過去の帰省から見ても3日以上実家で家族と過ごすと、必ずと言っていいほど母親と口論を引き起こしていた。母親とは性格が似ているため衝突してしまうのだ。
だが、今回は、1ヵ月という長い期間一緒にいたにも関わらず、母親と口論や喧嘩になることもなかった。
単なる娯楽のための帰省で実家で過ごしたのではなく、フルで働いている状態だったから、全てのことを多めに見えてくれたからなのかもしれない。
もしかしたら、単なるオフで1ヵ月滞在していたならば、口論も勃発したのかもしれない。
もとい!この期に及んで、この娘には何を言っても無駄だと母が諦めた結果なのかもしれないが、私自身も少しは成長したのかもしれない、とここは前向きの脳天気な人間でいることにしよう。

そして、実家の近くに住む1歳の年下の妹。今や2女児の母になった彼女は、年齢が一つしか違わなかったこともあり、妹でありながら、友達のような存在だった。

大人になり、お互いに歩む人生はすっかり全然違い、どちらも共にそれはそれで真逆ではあるが幸せな生活を手にしていると、親族(少なくとも従妹たちからは)からは思われていることだろう。

妹とは、本音でお互いに指摘し合え、たまには親には言えない相談や愚痴を言い合い、色々な情報共有ができる。なんとなく、今となっては、親友みたいな存在になっているのかもしれない。

彼女は手がかかる子供二人を育てながら、特別支援の教員としてフルタイムで働いている。
そのため、ここ10年はゆっくりすることはできないだろうけど、そのうち、彼女に自由に過ごせる時間を確保できると時が来たならば、海外でも一緒に旅行に行きたい。と勝手に思っている。

そんな環境の中で、1ヵ月過ごして来たわけだが、1週間も過ごした時にふと思った。
ああ、もしこの生活がずっと続けば、これは永遠にパートナーを探すこともなく、結婚もしないだろう、と。ここでの生活はプチ移住体験に済ませて、1ヵ月で東京に戻らなければならない、と強く思った。
食事時になると、三食自動的にも食事が供給され、おいしい食事とお酒を嗜む時間を共有できる家族がいて、更には夕方・週末になれば、天使たち(たまに悪魔の顔も持っている)がひょこひょこと遊びに来る。そんな生活には、寂しさなんて微塵もない。
平日はリモートで仕事をして、業務後・週末は家族たちとゆっくり過ごす。の~んびり平和な時間が過ぎて行く。居心地もいいぬるま湯に環境に浸り続け、永遠と時が過ぎて行く。
そんな人生が目に見えていると思った。
やはり、ここは実家。「怠けていい場所」、「リラックスできる場所」に留めておこうと思った。
さすがにこの点だけは、地方移住生活とは異なる環境だった。

↑ホリデーシーズンからハマっているワイン
 週末はワインを買っては母と嗜む日々
 今は、飲みやすいロゼがお気に入り

↑義理の弟のBDparty、手作りケーキで祝福

↑鬼滅に夢中になる天使たち


(3) 飼い犬から愛犬に変わった「ハッピー」

年の離れた一番下の妹が寂しくないようにと、彼女が小学校6年生の時に実家にチワワがやって来た。私は当時大学2年か3年だった。名前を母親が募集すると言って、間もなく「ハッピー」と決まった。

小型犬なので臆病な性格。ハッピーは、私のことをいつまで経っても家族と認めることはなく、また帰省するのは多くても年に3回程度で滞在期間も短いから仕方のないことだが、何度帰省しても私には牙を向けて吠えるばかりだった。
無論、そんな犬は私からしてみればかわいげもなく、ただの実家に帰るといる飼い犬でしかなかった。また、飼い始めて当分は我が家のアイドルとして君臨していたのだが、姪が生まれてくるや否や、なんとなく、そのアイドルの座は姪に奪われ、私の中でハッピーの存在は薄まる一方であった。

それが、今回の帰省ではハッピーの様子が違った。なんとなく、丸くなった気がした。吠えたのは最初の面会時だけで、それ以降は私に吠えることもなかった。
ハッピーもいつのまにか気が付けば、57歳の老婆犬。(それを認識した時には一時、家族から「ばあさん」と呼ばれからかわれていていたが。)
確かに人間も年を重ねると丸くなるとはよく言うが、まさにその通りだったし、なんとなくかつてはキャンキャンと甲高く吠えていた声も少しトーンが落ちつていた気がする。
ハッピーも歳を重ね、怒る気力も減ったのか...やっと家族として認められ、近寄って来ては、私の膝に座って暖を取ることもあり、時には炬燵で転寝を共にすることもあった。やっと、私の中でも愛情が生まれ、飼い犬から愛犬に変わった。気になって気になって可愛くてしょうがない存在になっていた。
もちろん、次回帰省した時にはどんな反応をするかわからないし、その時まで生きているかもわからないが...

↑愛犬ハッピーとの散歩

↑人間みたくこたつに入って暖を取るハッピー

↑挙げ句の果にはこたつに潜り込んで暖を取るハッピー


(4)お菓子作りという名の「おば業」

21世紀は、調理器具選び上手が料理上手となる時代。と言われるほど、今は、時短料理グッズに溢れ、便利の調理器具を使えば、料理が簡単においしく作れる時代。
私も5年ほど前に手に入れた、ステンレスの無水鍋一式と8人のシェフが入っているインダクションレンジでコロナを機に、しっかり料理をする習慣を身に付けた。
特に、一人暮らしでは作らなかったありとあらゆるスイーツを生産しては、かわいい姪っ子たちに餌付けをし続けた。
ケーキ各種はもちろん、パン好きの姪っ子にはベーグルも全部で50個弱は生産した。少し手間をかけて、塩バターパンも作ったが、なんのその一瞬で完売となった。やはり食べてくれる誰かがいれば、料理もし甲斐が合って、いくらでも作ろうと思えるもの。不思議だ...
しかしながら、ただ、一つだけ心残りなことがある。
それは、シカゴピザを作り損ねたこと。東京に戻ってくる前、トマトソースだけは買ったのだが、父の誕生日もあって、ある程度の御馳走が十分にあり、もうこれ以上はおなか一杯という状況にあった。次回の帰省までに、また腕を磨き、次こそはぜひともシカゴピザも振る舞いたいものだ。

↑お菓子作り前半戦まとめ

↑ベーグル&バナナケーキ

↑作るのはひと手間かかるが絶品の塩バターパン
 一瞬で完売したのは言うまでもなし

↑かぼちゃケーキ
 相当美味しかったらしく、ケーキを食べない父まで完食

↑急ぎで作ったのでだいぶ雑になってしまったが、大量生産したベーグル

↑唯一の作れなくて後悔しているシカゴピザ
 次回帰省時には必ず!!


(5) 新たにできた夢


この帰省期間を通して、一つ大きな夢ができた。それは実家を建て替えてあげること。実に大きな夢。
実家は、自営業で左官業をしていたこともあり、古い家ながら頑丈にできているのだが、リフォームを繰り返していることもあり、比較的新しい部屋と古い部屋が混同し、バランスも悪い。
またトイレやお風呂も古く、来客を招くには、みすぼらしい。最大の欠点は、古い家のため、とにかく冬は、家中が寒い。暖房器具が置かれていない空間には移動するのも億劫になり、特に入浴をすることは、エネルギーを要した。

何とかもっと住みやすい家にしてあげられたらな、、、と強く思った。

自分の住む家もままならないのに、実家を建て替えるなんて、夢のまた夢だ...
でも、夢というものはまず夢として見なければ、そして口にしなければ、叶うことは絶対にない。
叶うかどうかという現実的なことはさておき、ここにとりあえず書き留めておくことにした。
こればかりは、両親の寿命も限りがあるので、本当の夢だが。
でも、これが実現できたならば、極上の親孝行になるに違いないと、ワクワクしている。

↑ほんの新築一戸建てのイメージ


終わりに

徒然なるままに、プチ地方移住生活を通して感じたことを、忘れないように書き綴ってみたが、振り返っても我ながら、実にいい選択と経験をしたものだと思った。

プチ地方移住生活。それはそれは、平和で穏やかな日々であり、また充実もしていた1ヵ月間。
あっという間の出来事であった。
この経験さえも、コロナ禍がもたらしてくれたもの。
しばらくは、コロナで窮屈な時代が続きそうだが、今しかできないこと、コロナの時代だからできることは、これからどんどん出てくるはず。
時代の流れに乗って行き、これからもいろいろなことにチャレンジしてみたいと思っている。
新しい常識も今この時代だから生み出せること。
今までの常識にとらわれることなく、新しく生まれた常識に触れ、柔軟に生き方を変えて行けるように、絶えず、自分に新しい価値観を与え続けたい。

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