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【おはなし】 彼女の作戦

彼女は料理をつくるのが大好きで、僕のために手料理をつくってくれる。

昨日はカレーライス、2日前もカレーライス、3日前もカレーライス。とうとう4日続いてのカレーライスが食卓に並ぼうとしている。

もちろん味は少しずつ違っている。チーズカレー、トマトカレー、ナンカレー。白ごはんとパンとうどんを組み合わせると、あと1週間はカレーが続く見込みだ。

どうして彼女がカレーばかりを作っているのかというと、僕に浮気をさせるためだ。

彼女には僕以外にも好きな男性がいて、定期的にデートを繰り返している。僕は彼女の恋愛事情を知らんぷりしてるんだけど、彼女としてはバツが悪いみたいで、僕にも同じように他の女の子とデートをさせたいみたい。そうすることで、彼女は僕を共犯者に仕立てようとしているのだ。

だからといって、僕は彼女以外の女性とデートをする気はないんだけど、こうも毎日カレーばかりが食卓に並ぶと、たまには焼き魚が食べたくなる。でも僕は浮気をしたくない。彼女が好きだから。

「胃袋をロックオンすると男性は浮気をしない」という恋愛マジックの逆パターンを彼女は実践してるというわけである。

カレーが1週間続いた夜、とうとう彼女は僕に本心を(少しだけ)打ち明けてきた。

「ねえ、お願いだから、外で食事をしてきてくれない? 2.3日留守にしてくれてもいいから、どこか遠いところで美味しい物でも食べてきてよ」

面と向かって言われると、僕には断ることができない。




彼女が飲むお酒の量が増えてきたのは2ヶ月ほど前のこと。一通の手紙が彼女宛に届いてから、僕たちの生活に変化が訪れた。

手紙の差出人は、彼女の実家のお父さんだった。

僕たちは学生時代に出会って恋に落ち、大学を卒業してからお互いに実家を離れて都会へと逃げてきた。

「お父さんがね、病気みたいなの。入院したみたいだから、有給を取得してしばらくの間、実家に帰ることにしてもいい?」

ある日の晩、僕が残業してから帰ってくると彼女が打ち明けた。彼女は髪の毛を後ろでくくることもなく、缶ビールをグラスに注がず直接飲んでいる。

「僕も一緒に帰ろうか?」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、今回は私だけで帰ろうと思うの。なにかあったら連絡するから、心配しないで」

彼女は、なかば無理矢理な笑顔を浮かべた。




2週間ほど実家に帰っていた彼女は、お父さんの容態が安定したのを見届けると、僕たちの住む家に戻ってきた。

「明日から仕事に復帰するから、しばらく残業が増えると思うの。職場のみんなに迷惑をかけた分を取り返さなくっちゃ」

「僕のことは気にしなくていいよ。1人で食事も家事もなんとかできると思う。キミがいない間に自己訓練できたし」

「そう? じゃあ、がんばってね」

毎日のように夕食を一緒に食べていた僕たちの時間は、あっさりと失われてしまった。

僕は仕事から帰ってくると簡単に夕食を作って彼女の帰りを待っていた。彼女の残業がない日はとても少なく、週に1日あるかないか。それでも僕は彼女と一緒に食事をしたくて空腹をやり過ごしているんだけど、やっぱりお腹が空いちゃうから先に1人で食べることが多くなってきた。

「私はあなたが作ってくれた料理を温めて食べれるだけで嬉しいから。気にしないで先に食べてね」

彼女が仕事から帰ってきてからの時間、主に食事を摂る時間を僕たちはふたりで共有した。僕は彼女の夕食を温めてからテーブルに運び、彼女の向かいの席に座った。そして、2人分のビールをグラスに注いで僕たちは乾杯した。




「私ね、好きな人がいるの」

彼女が実家から帰ってきて1ヶ月ほど経ったある日。夕食の席で彼女は僕に打ち明けた。

「知ってるよ」

「だからね、あなたも浮気してきてよ」

「わからないけど、わかった」

僕としてはハッキリと言われたくなかったけど、ハッキリと言わないわけにはいかない状況に僕が彼女を追い込んでしまったのだ。このまま意地を張り続けていても僕たち2人の関係性が崩れるだけだから、僕は浮気をすることにした。

「じゃあ、2.3日留守にするよ」

「もう少しゆっくりしてきてもいいのよ」

「わかった。そうする、かも」

次の朝。しばらく家を留守にすることにした僕は、簡単に荷造りをしてから仕事に向かった。スーツを着て長靴を履き、釣り竿を持った格好で。




彼女はカレーをつくる。とても大切なことを僕に打ち明ける代わりに、しばらくの間カレーが続く。

彼女のカレーが続くと僕は家を開ける。しばらくしてから僕が家に帰ると、彼女はリセットされている。

今度は僕が夕食を担当する。手の込んだ料理はできないけど、それなりに栄養のバランスを考えた献立を練っている。

そのうち、また、彼女のカレーが始まる。

「いってらっしゃい」

「いってきます」

僕たちの暮らしに新しいルールが生まれた。




彼女がなにをしているのかを僕は知らない。他の男性とのデートだと思うけど、現場を抑えたわけじゃない。探偵を雇ったわけでもない。でもこういうのは、長く付き合っているとなんとなく分かるものだから、超能力でもなんでもない。

これは、同じことを続けていると飽きてくるという話。飽きると違うことをしたくなる。違うことをすると楽しい。でも、それさえも飽きてくる。

そうして、なんとなくいつもの自分に戻る。でも、何かが変化している。2人の関係性だったり、個人の資質だったり。

お鍋の中でコトコトと、時間をかけて煮込む彼女のカレー。煮込めば煮込むほど、凝縮されたカレーは「濃厚な何か」へと変化する。

僕の目の前にあるお皿に盛り付けられているカレーライスには、僕が見ていない煮込まれた時間が含まれている。

玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、牛肉。それぞれが生まれて食材へと変化をとげる。料理人が仕込みに時間をかけるように、僕はいったい何に時間をかけているのだろう。

ある日の晩、缶ビールをグラスに注がず飲み始めた彼女が僕に言った。

「ぜんぶ、ウソだよ」




おしまい




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