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【おはなし】 忍び足

手持ちの仕事がひと段落を迎えそうなタイミングで、先輩が声をかけてきた。

「その案件が終わったら、次はこれに取り掛かって欲しい。分からないことがたくさん出てくるはずだから、遠慮なく私に質問してくれ。今のキミには難しい内容だけど、できるだけ進めてくれると助かる」

「分かりました!」と元気に返事をして、僕は透明のクリアファイルを受け取った。

モニターの前に置いてあるのは、キーボートとマウスと今進めている案件の指示書。次に着手する案件が混ざると余計な手間が生まれてしまう。僕は受け取ったクリアファイルをモニターの横に置いてある収納BOXに立てかけた。

今進めている案件は画像のトリミングに時間がかかっている。同じページに配置されている人物写真を全て同じ見た目になるように調整することを求められているから。

証明写真みたいにカメラに向かって正面から撮影されている写真ばかりだと加工するのは楽なんだけど、何かの公演中に撮影された写真には「マイクが少しだけ入る大きさ、人物大きめ」と指示が書かれている。別の写真は複数人で記念撮影されていて「上半身メイン、人物大きめ」と書いてある。

似たようなことは以前にもあり、そのときに先輩に確認すると「だいたいの見た目で構わない、よろしく」と返答をもらったことを思い出す。この「だいたい」というあやふやな感覚、ひとによって受け取る印象が違ってくるので非常に難しい。もう少しトライアンドエラーを繰り返したいのだけど、設定時間は残りわずか。

画面を拡大したり縮小したり斜めから見ながら、ざっくりとした個人的な感覚で画像加工済ませて案件を終えた僕は、息抜きをしたくて喫煙所に向かった。



僕の部署から喫煙所までたどり着くには、他部署の前を通過する。立ち止まって中の様子を見ていたいけど、サボっている印象を与えてしまうので僕はゆっくりと歩きながらチラ見する。

喫煙所にたどり着くと、中から出てきた部長に声をかけられた。

「宮本くんさ、悪いんだけど、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだ。あとでオレの席に来てくれないかな」

「分かりました」と返事をして僕は誰もいない喫煙所に入って行った。

タバコを吸わない僕が喫煙所を気に入っている理由は、外にあるから。マンションのベランダみたいに「ここは建物の一部だけどソトだよ」という解放感が好き。

僕は外の空気を吸って太陽の光を肌で受け止めて、首と肩をくるくるとまわしてストレッチをする。軽く2回ジャンプをしてから部長の席に向かった。



「春になると新入社員が入ってくるのは知ってるよね? うちの会社で新卒社員を採用するのは、ずいぶんと久しぶりなんだよ。それでね、まだ不慣れな宮本くんにもマニュアル作成に加わって欲しいんだ。キミが困っていることは、おそらく新しく入ってくる彼らも困ることだからね」

「はい、分かりました!」と元気よく返事をしながら、僕は頭の中で複雑な思いを巡らせる。

(新入社員が入ってくるなら、僕はもうお払い箱かな・・・)

「どうかしたかな?」

「いえ、緊張してきました」

「気楽に頼むよ」

「了解です」

自衛隊員募集の張り紙みたいに右手で敬礼ボースを決めて、僕は自分のデスクに戻った。



さてと、先輩から受け取った案件を進めよう。

クリアファイルを取り出し中に入っている資料に目を通す。まだ教わってない高度なスキルが必要になりそうな箇所が複数存在する。分からないことはある程度まとめてから質問した方がお互いに気持ちのいい時間を過ごせるので、僕は分かるところから案件を進めることにした。

分からないところには付箋を貼って進めていく。なるべく時間を食わないように、なるべく手を止めないように。新人だから多めに見てもらえるけど、甘えたくはない。

今回作成する案件は、町内会のお知らせ記事だ。春に実施予定の遠足に向けての参加者募集がテーマになっている。前年度の記事から流用する箇所が複数ありつつも、新しくキャッチコピーを考える指示もある。

本を読むのが好きな僕は言葉を考えるのも好き。だけど好きなことに時間をかけてしまうのが僕の悪い癖。手が止まってしまうので僕はダミーの文字を複数入れて場所だけを確保した。

〇〇〇〇

こうしておけば後から文字を入れるだけでいい。レイアウトも崩れないし楽ちん。就業終了時刻が迫っているのである程度のアタリを付けて、今日の業務を終えた。



次の日。

作業を再開しようとしたタイミングで先輩が声をかけてきた。

「昨日してくれてた案件だけどね、あれ、こっちで完了させといたから。今日は時間がありそうだから、部長から依頼されてる仕事を進めといてくれたらいいよ」

えっと・・・。

(なんで美味しいところを持っていくのさ。僕はデザートを最後に食べる主義なんだよーー!!)って叫びたい。キャッチコピーを考えてきたんだけどな、う〜ん、う〜ん。

「ありがとうございます、助かりました」と先輩に明るく返事をして、僕はメモ用紙を開いた。

どこに書いてあったかな、もう少し後ろの方だったかな、とページをめくりながら僕は目的の言葉にたどり着いた。

忍耐=忍者

ハイボールおじさんの言葉


あの日、串カツ屋さんで聞こえてきたんだ。顔も見えなかったおじさんが忍耐について話してるのが。何回も大きな声でハイボールをおかわりしていたおじさん。

僕はポケットに入れてあるメモ用紙に「忍耐」って漢字で書きたかったんだけど、ド忘れしてしまったのでスマホで検索をかけた。漢字が忍者に似てたから書き足したのだ。

1人で飲みにいくのが好きな僕は、こうして聞こえてきた誰かのセリフを加工してメモしている。まるで僕を待ち構えているかのように、メモが僕の心に寄り添うようなことが起きる。

偶然かもしれないけど、メモしたことで僕ができごとを引き寄せているみたいだ。

新人くんが入ってくるとき、僕は違う職場にいてる可能性が高いけど、それは僕が選んだ道だから。

忍者のイラストを描くのは意味深だから、手裏剣を記号みたいに配置してみようかな。



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「このマニュアルって、先輩が1人で作ったんっすか?」

「いや、違うよ。キミが入ってくる前にいた派遣の子が手伝ってくれたんだよ」

「へー、そうなんっすね」



☆       ☆       ☆       ☆       



一瞬だけ、未来が見えた気がした。



おしまい