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🇷🇺私的ロシア論🇷🇺① | サルニコフ選手

 ゴルバチョフ元大統領が亡くなった。私の世代にとっては、歴史書で学んだ人物ではなく、主にテレビや新聞報道を通じて知った人物である。
 偉大な人物によくあることだが、功罪さまざまに語られる。私は20世紀中に冷戦、イデオロギー対立を終結させた「功」の部分が非常に大きいと考えている。ご冥福を祈る。

 私は基本的にnoteでは、時事的なことや政治的なことは書かないようにしている。ウクライナでの戦争に対する自分なりの考えはもっている。決してロシアによるウクライナ侵攻はいいことだとは思っていない。プーチン大統領とゴルバチョフ元大統領を比較してみてしまうこともある。それに関しては、この記事では深く追究するつもりはない。ただ、ロシア自体を全否定して憎む気持ちにはなれない。
 政治的なことは詳しく知らないが、今振り返ってみると、小学生・中学生の頃から、ロシア(ソ連)との交流や文化に憧憬の念をもっていた。素描してみたいと思う。

 いつロシア(ソ連)を知ったのか、はっきり覚えていないが、コンスタンチン君のことは連日報道されていたのでよく覚えている。少し前、チズさんの記事を読んで懐かしくなった。

 当時、火傷を負ったコンスタンチン君を救うことができて、本当によかったな、と思ったものである。

 もう1人、小学生・中学生時代に注目していたロシア人がいる。長距離スイマーのサルニコフ選手だ。
 私は幼稚園年長の頃からスイミングスクールに通い、ほぼ毎日泳いでいたから、サルニコフ選手のことをとても尊敬していた。
 新聞に「サルニコフ世界新」の記事が踊る度に、血が騒いだ。今でもとても尊敬しているロシア人の一人だ。

 サルニコフ選手は、1500m自由形を得意とするスイマーだった。「精密機械」の異名をもっていた。
 最初から最後まで、時計で計ったようにラップタイムを刻んでいく。
 一般的に水泳という競技は、飛び込む瞬間が最も早く、徐々にペースが落ちていく。しかし、サルニコフ選手は、一定のペースを保持したまま泳ぎ続け、ラストの200mでタイムを大幅に上げる。

**現代の選手と比較した分析はこちら(↓)


 サルニコフ選手は、何度も世界新を樹立した。1500m競泳史上、人類史上初めて15分の壁を破った人物でもある。

 記録・成績ともに素晴らしいのだが、印象に残っているのは、夏のオリンピックのことである。

 サルニコフ選手は、1980年のモスクワ五輪において、400m自由形、800mリレー、1500m自由形で金メダルを獲得した。
 連覇を目指し、練習を重ねていたが、1984年のロサンゼルス五輪は、ソ連が出場をボイコットしたため出場できなかった。
 しかし、1988年のソウル五輪では、1500m自由形で見事、金メダルを獲得した。一大会を挟んでの「連覇」。本当に立派で、感激して涙した記憶がある。

 ソウル五輪と言えば、100m背泳ぎで鈴木大地選手がバサロ泳法で金メダルを獲得した大会でもあった。それももちろん嬉しかったのだが、それ以上にサルニコフ選手の1500mの泳ぎに熱くなった。
 一大会を挟んでの2大会連覇も偉業に違いないが、いったん途切れた夢をもう一度引き寄せたサルニコフ選手はホントにすごいと思う。モチベーションを維持することは並大抵のことではなかったはずだ。

 現在、日本と隣国との関係は決して良好ではない。政治的な面では、なかなか折り合いのつかないことも多いだろう。しかし、どんな細い糸でも、文化的な面での交流は、決して切断してはならないだろう。



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