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コンスタンチン君を救え      (2000年放送NHKプロジェクトXより)

 コンスタンチン君はサハリンに住む3歳の男の子、母親が洗濯用に沸かした100℃近いお湯の入ったバケツにお尻から落ち、全身の90パーセントにやけどを負ってしまった。サハリンの病院で70時間の命と診断されたが、専門医もいなく、手のほどこしようがなく見守るだけ・・・家族は医療の進んだ日本での治療に最後の望みをかけた。
 サハリンに住む日本人から、北海道庁に救急依頼の電話があり、外務省にその知らせは届いた。当時は7年前に大韓航空機墜落事件が起こったこともあり、ソ連に対する反感もあった。サハリンと北海道のあいだには鉄のカーテンがあったのだ。
 サハリン知事から正式な要請も届き、外務省から海上保安庁へ、連絡は飛び、ベテランパイロットが札幌医大の救急医を乗せ、サハリンに飛ぶことを決断した。ソ連軍の戦闘機がスクランブルをかけてくるおそれもあり、緊張が走った。なんとか空港に近づいたが、深い霧で滑走路が見えない。上空に待機1時間、燃料も減り引き返すしかない、と思った一瞬、霧の隙間から滑走路がかすかに見えた。「今しかない!」と着陸!
下手なドラマより緊迫した場面に目をそらすことができなかった。

 全身包帯に巻かれたコンスタンチン君を抱き抱えた日本人医師は、その温かみと、血液のにじみ出た湿り気を感じ、このままにはできない!と感じたという。助かる可能性は非常に低いとわかっていながら。
 すぐ飛び立った飛行機の中で治療開始。これほど重いやけどは初めて、うめき声をあげる幼子に医師たちは緊張した。札幌医大へ到着したのは、20時間後。一刻も早い皮膚の移植が必要だったが、提供者がいない。助かる可能性のあるぎりぎりの55時間後、東京の病院から皮膚が到着。手術は4時間近くかかった。

 一週間後、移植した皮膚はしっかり張り付いていた!意識が戻った息子に、童話のテープを聞かせ続けていた父親は涙を流した。
3日後、母親も稚内に着き、87日後一家はサハリンに無事戻った。
緊迫した画面の連続で、まさに、「事実は小説より奇なり」である。

 13歳になったコンスタンチン君は背は母親より高く、なかなかのイケメンで日本語を勉強しているとのこと。日本とかかわる仕事をしたいと話した。
もらったお見舞いの手紙は400通、80歳のおばあさんが送ってくれた千羽鶴を大切にしている、という。3日の命、ショック死もある、と宣告された命は、すっかり成長した姿と、はにかんだ笑顔を見せてくれた。

国境を越えた救出劇、決死の緊急輸送は見事花開いた。
(2022年4月5日再放送)


2000年放送の番組だから、現在コンスタンチン君は30歳、妻と一人の子供と暮らしている。ドラマなら医師やパイロットになった、というところだろうが、そんなことはなく平凡に。


さてこれが、今現在であったらどうだろう?
コンスタンチン君の命は救えただろうか?

こんなにも大勢の人たちが必死で守った、その同じ命が、今、爆撃で一瞬のうちに失われている。


            おわり

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