妄想哲学者の読書遍歴 | 読み比べ読書感想文✏️
(1)小説は妄想の産物?
学生時代はあまり読書はしていなかった。まったくなにも読んでいなかったわけではないが、教科書や数学書、哲学書以外の分野の本はほとんど読んでいない。大学生の頃に読んだ小説と言えば、ソローの「森の生活」くらいしか記憶にない。
小説を本格的に読み始めたのは、大学を卒業したあとのことだった。
学生の頃は、小説なんて所詮「作り物」であって、他人の妄想になんか付き合っていられない、と思っていたのだ。
しかし、本当に自分にとって大切な本とは出会うものである。社会人になってから、世の中の矛盾や生きづらさを感じはじめてから、ふとドストエフスキーという名前が浮かんだ。
(2)「死の家の記録」と「ナニワ金融道」
高校生の頃に、社会科の先生が、ドストエフスキーの「死の家の記録」の話をしたのが、たぶんドストエフスキーを意識した最初の出来事である。
囚人が「右のバケツから左のバケツに水を、ひたすら交互に入れかえる」という作業を命じられたなら、人格が崩壊してしまうだろう、みたいな話を聞いた記憶がある。
先生の話に興味を持ったものの、受験勉強で忙しかったから、高校生の頃にドストエフスキーは読まなかった。
二度目にドストエフスキーを意識したのは、「ナニワ金融道」を読んだとき。
大学の法学の授業で知って、ナニワ金融道をけっこう読んだ。
主人公・灰原のセリフの中に、しばしば「人間はどんなことにも慣れてしまうものだなぁ」という言葉が出てくるが、この言葉はドストエフスキーの「死の家の記録」の言葉である。
「ナニワ金融道」の作者の青木先生は、マルクス「資本論」とドストエフスキー「罪と罰」は読め!と著書の中で繰り返し述べていた。
(3)よみがえる記憶
記憶というものは、ふとしたときにスパークするものだ。社会人1年目の頃、たまたま入った書店で、ドストエフスキー「死の家の記録」を見かけて、過去の記憶がよみがえって、はじめて読んでみようと思った。
非常に深い人間観察の書で、深く感銘を受けた。それから、「罪と罰」「白痴」「カラマーゾフ」、「作家の日記」や評論・書簡に至るまで読んだ。
20代の頃の読書はほとんどドストエフスキー一色だった。
(4)「若きウェルテルの悩み」と「貧しき人びと」
ドストエフスキーを読んでいく中で学んだのは、一編の小説というものは、決して妄想だけの産物ではないことである。一冊の本は、その同時代の本やその前の時代の本の上に成り立っている。
例えば、ドストエフスキーの処女作「貧しき人びと」。当時大きな影響力を持っていた評論家・ベリンスキーに激賞されて、ドストエフスキーが作家として華々しいデビューを飾った作品である。
小役人マカール・ジェーヴシキンとワーレンカという女の子の往復書簡という形式の小説。
あとで知ったことだが、往復書簡という形式は、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」が少なからず影響している。おそらく、「貧しき人びと」は「ウェルテル」がなかったら、別の形の小説になっていただろう。
(5)ドストエフスキーから広がった読書
ドストエフスキーと直接関係のあるもの・ないものがあるが、以下の作品を読み比べると面白い。
①「死の家の記録」と「イワン・デニーソヴィチの一日」
時代は異なるが、ノーベル賞作家・ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」とドストエフスキー「死の家の記録」を読むと、多くの共通点がある。強制収容所と監獄のお話。
②「死刑囚最後の日」と「白痴」
ユーゴー「死刑囚最後の日」と、ドストエフスキー「白痴」。死刑囚の描写の仕方を比べながら読んだ。
同じくユーゴーの「ノートルダム・ド・パリ」は、ドストエフスキー「カラマーゾフ」の作中にも引用されている。
③旧約聖書「ヨブ記」とドストエフスキー「鰐」(わに)
似ていると言えば似ているお話。
④「罪と罰」と「戦争と平和」
ドストエフスキー「罪と罰」とトルストイ「戦争と平和」。
ほぼ同じ時期に発表された作品である。
仮に当時のロシアに「芥川賞・直木賞」や「ノーベル賞」のような文学賞があったら、どちらの作品が選ばれるだろうか?、なんて考えてしまう。
ノーベル賞なら、長生きしたトルストイに軍配があがるのだろうか?
⑤「白鯨」と「カラマーゾフの兄弟」
メルヴィル「白鯨」とドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」。
激しいドラマティックなストーリー展開が、なんとなく似ている。
ドストエフスキーは1821年に生まれ、1881年に亡くなった。
メルヴィルは1819年に生まれ、1891年に亡くなった。
二人は同時代人である。
メルヴィルとドストエフスキーに限らず、自分の好きな作家と同じ時代に生きた他の作家の作品を読み比べるのも面白い。
以前にどこかで書いたが、日本だと、松本清張と中島敦は、同じ年の生まれである。世俗な話題をたくさん書いた松本清張と、まったく時事問題とは関係ない作品を書きつづけた中島敦と。
どちらも好きな作家だが、ここまでの違いはきっと二人の文学に対する接し方の違いなのだろう。
⑥芥川龍之介「蜘蛛の糸」、三島由紀夫「仮面の告白」、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
芥川龍之介「蜘蛛の糸」と、そっくりな話が「カラマーゾフの兄弟」の中に入っている。
時代的には、ドストエフスキーのほうが先なので、芥川が模倣したのでは?、という説もあった。
しかし、当時の日本にはまだ「カラマーゾフ」の翻訳はなかった。おそらく、ドストエフスキーも芥川龍之介も、当時世界中に流布していた共通の物語を取り入れたのだろうと言われている。
三島由紀夫「仮面の告白」。作家・三島の最初の書き下ろし長編小説。
「カラマーゾフ」(第3編第3)の言葉が、「仮面の告白」のエピグラフとして引用されている。
(6) ドストエフスキー関連の文献
基本的に小説は、作品それ自体として読みたいという気持ちがあるが、書かれた背景を知るのも楽しい。
江川卓「謎解き」シリーズ、小林秀雄「ドストエフスキーの生活」、バフチン「ドストエフスキーの詩学」のポリフォニー論、シェストフ、加賀乙彦、埴谷雄高、E.H.カーなど、すべてドストエフスキーの読書から広がった。
ドストエフスキーという世界文学の文豪をひとり知るにも、これだけの世界が広がっている。しかし、私が今までに読んだものはその極々一部に過ぎない。
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします