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「好き」を究明する

 私は一応、「妄想哲学者」というアカウント名を使っている。とくに深い意味はないけれども、哲学には関心があります。
 ただ、私は学術的な哲学書の読解や、学説史をなぞることが哲学だと思っていない。

 「哲学が好きだ」というと、ニーチェはどうですか?、とか、スピノザを読んだことがありますか?とか、そういう話になることがあります。
 それはそれで哲学だし、名著を読みこむことも大切です。ですが、それは国語の古典研究のようなもので、自分で哲学していることにはならない。


 むかし読んだ哲学の本に「究明」という方法が書いてあったと記憶しています。「究明」という用語だったかどうかは自信がありませんが、その方法論はよく覚えています。

 たとえば、「時間とは何か?」ということを哲学するとしましょう。時間に関しては、ハイデガーやアウグスティヌスといった先人の言葉が残っています。しかし、それはあくまで、その人が考察したことであって、それを学んでも所詮「哲学『学』」であって、自分で哲学したことにはなりません。

 もちろん、他人の言ったことを研究し、それをベースにして自分の考えを作り上げていくという方法はあるでしょう。しかし、そういう考え方ではどうしても自分独自の哲学を作ることは難しい。

 この記事では「時間」の哲学ではなく、「好き」を自分なりに「究明」してみたい。


「好き」を究明する!




 「好き」について考えてみようと思ったのは、三羽烏さんの企画がきっかけでした。

 「私のこと好き?」と聞かれたらどうしますか?、という問いですが、そもそも「好き」ってなんだろう?と考え込んでしまいました。

 「私のこと好き?」と聞かれたらと考えると、どうしても過去の自分の経験に照らして「私のこと好き?」を考えてしまう。そうすると、自分という一人の人間の思考や経験に縛られて、個別具体的な経験にすべて依拠してしまいます。

 同じ「好き」という言葉で、他人とも会話できるわけですから、「好き」という言葉には、何かしらすべての人に共通するモノがあるはずです。しかし、たくさんのそういった「好き」を集めても、個人的な経験の集積にしかならず、「好き」という言葉の持つ本質的なことが見えて来ない。出てくる答えは「人それぞれですよね」みたいな感じになってしまいます。

 じゃあどのように考えたら良いか?

 「好き」とは何かということに対する明確な答えは、自分自身でもおそらくキチンと把握している人はいません。けれども、「好き」という言葉を使いこなしているわけですから、「好き」に関して何も知らないというわけではありませんね。ちゃんとした言葉にならないにしても、「好き」の意味を体感したことがあるのは間違いない。

 だから、いったん「好きとは何か?」という問いから離れてみて、具体的に自分がどういう時に「好き」という言葉を使っているのか、思い出してみることが「好きとは何か?」を考える上での突破口になることでしょう。

 思い付くままに、私が「好き」と言ったり思った瞬間を書いてみます。


「この花の色が好き」
「ラーメンが好き」
「英語が好き」
「嫌いだけど好き」
「noteを書くのが好き」
「あの人の文章が好き」
「美術館を出た後の気持ちが好き」
「アロマキャンドルが好き」
「辞書がボロボロになるのが好き」
「ポインセチアの赤が好き」
「車を運転して風景が変わるのが好き」
などなど。

 「好き」という言葉は、いろいろなシチュエーションで使っています。
 もっと例を挙げてもいいのですが、ここから分かることを列挙してみます。


「好き」は「視覚に訴える」。

「好き」は「味覚に訴える」。

「好き」は「モノではなく、コトに対しても持つ感覚である」。

「好き」は「嫌いとも共存することがある」。

「好き」は「そのもの全部ではなく、部分的に好きだ、もあり得る」。

「好き」は「他のところには目をつむることもある」。

「好き」は「そのものがなくなっても、余韻として残ることがある」。

「好き」は「嗅覚にもあり得る」。

「好き」は「完璧さを失ったものにも注ぎ得る」。

「好き」は「普段意識していない時間があっても、時折、顔を出すことがある」。

「好き」は「変化するモノ・コトにも感じ得る」。


 まだまだ、たくさん例を挙げて、そこから分かることを書き出していくことができます。
 そして、もっときれいにまとめようと思えば、まとめられるかもしれません。

 あまりきれいにまとめて単純化すると、抜け落ちてしまうものがありますが、あえて「好き」を「究明」して分かったことをまとめるとこんな感じでしょうか?


①「好き」は常に「時間」と共にある。また、「好き」な時間が過ぎても、余韻を残す。

②「好き」には、五感で感じるものと、精神で感じ取るものがある。

③1つの対象物を分割して、その一部分を「好き」になることがある。

④「好き」は忘れた頃に思い出す感覚でもある。

⑤「好き」は必ずしも完璧さを求めない。

⑥「好き」は嫌いを覆い隠すこともあれば、「嫌い」と共存することもあり得る。


 とりあえず、今日分かったことはここまでです。あとは、この記事を読んだ方が、それぞれ「好き」を「究明」してみてください。必ずなにかしら、今までに言語化できていなかった、あなたの「好き」の意味が見えてくることでしょう。


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