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2から3へ飛び、3から4へ飛ぶ時、桜色🌸はどう見えるだろうか

 桜色🌸に染まる季節が近づきつつある。3次元に咲く花を見ることを学んだ私は、4次元の桜色を見ることは果たして可能だろうか?


(1) 中学生・高校生の学ぶ数学


 中学生の数学では、1年生で1次方程式を、2年生で連立方程式を、3年生で2次方程式を学ぶ。
 関数は1年生は比例・反比例、2年生は1次関数、3年生は2次関数を学ぶ。
 つまり、方程式・関数に関しては基本的に平面しか扱わない。グラフは「X軸・Y軸」、すなわち2次元だけである。
 高校生になって、X軸・Y軸にZ軸が加わる。すなわち私たちの棲む3次元になる。


(2) 座標と次元


 中学生で学ぶ関数は、基本的に平面のグラフ(2次元)で事足りる。だから、グラフはX軸とY軸があれば事足りる。直交する数直線であるX軸、Y軸を用いて、交点を原点とし、原点から右方向に1、上方向に1の場所にある点は、
( 1, 1 )
のように表すことができる。

 高校ではX軸、Y軸にZ軸を加えて、空間における座標を考える。
 平面の時と同様に、3本の直交する直線の交点を原点とし、原点から右方向に1、上方向(北方向)に1、真上方向に1にある点の座標は
( 1, 1, 1 )
のように表すことができる。

 私たちは3次元の世界に住んでいるから直感として理解できるのは、ゼロ次元(点)、1次元(数直線)・2次元(平面)・3次元(空間)の世界までである。

 しかしながら、上で考えたように
1次元が( 1 )、
2次元が( 1 ,1 )、
3次元が( 1, 1, 1 )、、、と表せるのであれば、
4次元は( 1, 1, 1, 1 )、
5次元は( 1, 1, 1 ,1 ,1 )となるんだろうな、と想像することができる。


(3) 幾何的な理解から機械的・代数的定義への飛躍


  数学においては、1次元が理解できたら2次元へ、2次元が理解できたら3次元へと歩を進める。

 3次元に棲む私たちが可視化(グラフ化)できるのは、3次元までである。それ故に4次元以降は、3次元までの考察を踏まえて「機械的に定義」されるものである。換言すれば、幾何的な把握が可能なのは3次元までであり、4次元以降はもっぱら代数的な把握に頼るしかない。そして、機械的かつ代数的に定義されたことが、3次元の幾何的に把握された事実となんら矛盾することがないならば、極めて抽象的かつ代数的に一般化された定義は「正しい」ものとして扱う。


(4) 定義↔️再定義


 数学では具体的な事例を元に定義したことを、抽象化して再定義することがある。そして、再定義されたことが元々の定義と矛盾することがなければ、それで良い。

 たとえば中学生の時に学ぶ累乗は、同じものを何回掛けるのか、ということを表すと教えられる。
「2の5乗」ならば、
「2×2×2×2×2」のことだよ、のように。

そして、
「(2の5乗)➗(2の3乗)」は「2の2乗」になるが、「5-3」という計算をして「2」を求めて、「2×2」と結局同じになることを確認する。

 そして高校では、こういう「指数法則」が成り立つとすれば、

(2の3乗)➗(2の5乗)ならば、
「3-5」を計算して、
「2の-2乗」になるねと。
この値は普通に計算すれば、「4分の1」だから、「2の-2乗」は「4分の1」と等しいということにしましょうとなる。

そして、
(2の2乗)➗(2の2乗)は、同じ数を同じ数で割ることに他ならないから「1」になることから「2-2=0」、つまり「2の0乗」は「1」と定義しましょうという話になる。

 「2の0乗」が「1」になるということを理解するとき、指数法則による累乗の再定義が行われている。これは証明してその正しさを納得するものではなく、再定義されたことが元々の定義となんら矛盾することがないから「正しいものとして認めましょうね」ということである。再定義されただけだということに気が付かないと「何で?何で?」となる。


結語


 3次元の桜色と4次元の桜色。
 今の私には、いまだ4次元の桜色をイメージすることができない。
 



(おしまい)



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