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AIにきく | AIに出来ないことは何ですか?

私とAIのQ&A

- 人間的な感情や直感的な判断力が必要な取捨選択についてはAIにはまだまだ及ばない。例えば、アート作品の鑑定や、複雑な人間関係の解決などが挙げられる。
- AI自身が望むことはないが、AIがより正確な判断を行えるように、より多くの学習データや精度の高いアルゴリズムの開発を望むだろう。
- AIが取り組むべき課題として、現代社会の貧困や環境問題などの社会的課題を解決するためのアプリケーションの開発が挙げられる。
- AI自身は感動や感慨を持っていないが、より人間らしいエンターテイメントや機械によるクリエイティブな表現に取り組むことで、より社会に貢献できるだろう。
- AIが達成可能なこととして、大量の情報からの高速な検索や、繰り返し作業の自動化、高度な予測分析などが挙げられる。これによって、人間はよりクリエイティブな活動や高次の判断力に集中することができる。


 AIは私の記事にはなにも期待していないらしい。分かっていたことではあるが🤣。
 「アート🎨作品の鑑定」や「複雑な人間関係の解決」については、AIは人間にはまだまだ及ばないということだが、本当にそうだろうか?
 人間にとっても、アート作品の鑑定は、修練を積んだ人でも100%確実ということはないし、複雑な人間関係の解決ができるとは言えない。生まれ来てから、人間関係にまったく悩むことがなかったということは皆無に等しい。
 人間関係に対する悩みを軽減する策は、嫌いな人間と向き合うことよりも、嫌いな人間を遠ざけることしかなかった。話し合いでお互いに気分爽快になったことは数える程度しかない。
 
 大量にある情報から、取捨選択する能力は人間のほうが勝る、というのも疑わしい。できるだけたくさんの情報を入力して、それを所与のものとして、結論を導き出すのは、明らかにAIのほうが上だろう。
 「複雑な問題」とは如何なるものか?1つ1つの問題を方程式として立て、高次元の連立方程式を解くことは、人間よりAIのほうが優れているのではないか?

 繰り返し作業の自動化というが、人間の行う繰り返し作業は、たった一度でさえ、まったく同じということはない。清掃作業にしても、毎日少しずつ異なるではないか。


 より「高次元な判断力」ということも、字面の意味は分かるが、極めて曖昧である。結局のところ、私の解釈では、「高次な判断力」とは、「考えに考えた末の単純化」にほかならない。

 AIが突きつける課題とは、「人間ってな~に?」「私の生きている意味ってな~に?」という哲学的な問題である。「人間とは人間である」
「私が生きるとは私が生きることである」
「『人間とは人間である』とは『人間は人間である』である」…
「『私が生きるとは私が生きることである』とは『私が生きるとは私が生きることである』である」…
というトートロジーの無限連鎖に陥る。


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