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アメリカ式入試の方が平等なのか?

みなさん、こんにちは。

1ヶ月くらい前はTwitter で留学先に到着したという報告ラッシュでした。

そのうちの何人かは僕もの知り合いなので慣れない環境ながら頑張ってほしいと思います!

僕も数年前に同じように渡米したので何だか色々なことを思い出します。

僕たちは日本の所属大学を通して海外大学に出願したのではなく、直接自分たちで出願をしました。

日本と海外の出願方法は全くちがうのでリサーチなどはなかなか大変なものです。

それでも、未知の世界に挑戦することをは人生の醍醐味かもしれません。

海外大学では本当に多面的に評価されるの?

さて、入試といえばよく議論されるのが

西洋と日本の入試制度のどちらがいいのか

ということ。

「よい」という認識は主観的なものなので、明確な唯一の答えはもちろんありません。

これからも教育が存在する限りこの話題は尽きないことでしょう。

どちらの入試がよいかと議論されるときには、どちらがその人をうまく評価しているかやどちらがより平等かということが基準になっていることが多いようです。(僕の主観ですが…)

みなさんはどちらがより出願者をよく評価し平等な制度になっていると思いますか。

ここでは僕の経験を振り返り、僕にとってどちらが都合がよいかを考えてみようと思います。

※ 客観的にどちらがよいかとかではなく、僕の個人的好みを話すだけです…笑

これに関しては、僕の中ではっきり答えが出ています。

僕にとって、日本とアメリカの入試制度のどちらが都合がよいかと言えば、迷いなく前者です。

なぜなら、自分の力でコントロールできることが多いからです。

それに対し、アメリカの入試制度は生まれ育った環境に大きく左右されるため、僕にはあまりに不公平な制度に見えます。

「日本の入試は試験だけで判断するから不公平だから、アメリカの入試の方が絶対いい!」という意見をお持ちの方もいらっしゃると思います。

このような意見をお持ちの方は、少なからず日本の大学に行けるかは塾などのサポートを得られるかで決まってしまうため、そのような金銭的な余裕がない人にはあまりにも不公平ということを指摘していらっしゃるように思います。

これはその通りで特に反論しようと思いません。

しかし、「金銭的」事情に大きく左右されるのはむしろアメリカの入試であると僕は考えています。

「お金がないと留学できない」という話ではなく、出願準備をしようかと思った段階で持っているお金が合否をかなり左右します。

「幸い僕はお金持ちなので苦労もせずアメリカの入試に勝ち残れて…」と自慢エピソードを語りたいところですが、残念ながら僕はお金持ちではないのでアメリカの大学院に出願するときは困難の連続でした。というより、出願をしようと準備をする段階でいろいろ苦労しました。(←ここが重要!)

前述の通り、日本の入試は僕にとってとても都合がよいです。

もう一度、どちらか方式で受験をしないといけないと言われれば、迷うことなく日本の受験を選びます。

アメリカの入試制度など考慮すらしません!

日本の入試は確かに試験だけで決まってしまうので、塾に行けない人には不利だろうと思います。さらに、家事を手伝ったりと他のことにも時間を使わなければいけない人にとってはさらなる不利だろうと思います。

しかし、見方を変えれば試験さえ解ければ合格できるのはアメリカ入試に比べ有利な点です。

日本では教科書が支給されるので、それをしっかり理解できれば入試に対応できる学力をつけることは可能ですし、さらに、どうしても追加でテキストが欲しいと思えば、質のよいテキストが数時間アルバイトしただけで買えるのが日本です。

そして、最近はオンラインで一流の予備校講師の授業が安価に受けられるようにまでなりました。

それに対し、アメリカの大学への出願はそんなに単純ではありません。

アメリカの大学の出願は試験を受けるのはもちろん、その前に通っている学校の成績や課外活動や推薦状など多様な面で評価を受けます。

「だから不利な立場の人が救われるんじゃないの?」と思ってしまいそうですが、そんなに話は単純ではありません。

学校を選ばずどこでもいいというのであれば確かに不利な立場の人は救われると思います。

自分の生活範囲内で可能な限り勉強したりボランティア活動をしたりすることで、それをそのまま評価してもらえると思います。

しかし、少しでも競争率を勝ち抜かなければいけない学校は結局、富裕層が有利な制度であると思わざるを得ません。

それはなぜかというと、結局、印象が強い出願者が合格になる可能性が高いからです。

これは「個性」の問題ではありません。個性を評価されるのであれば、まだいいのですが、実際、書類で個性を主張するのはかなり難しいです。

海外大学で重要な書類のひとつは志望理由書です。

例えば、志望理由書には「子どもの頃に〇〇という経験をしました。これから▲▲という感情を抱きました。なので、大学で××という活動に取り組みたいです。それを□□という将来の目標に活かしたいです。」という書き方をします。

ここで一番初めの過去の経験(〇〇)ですでに差がついてしまっているのが現実だと思います。

お金や人脈のある人は、そうでない人に比べて珍しい体験ができたりすることによって志望理由書に書けるネタがいろいろ出てくるのです。

もちろん、志望理由書の本質は「どんな経験をしたか」ではなく「過去の経験から何を思い、これから何をしたいか」です。

それはこちらにも書きました。↓

ユニークな人? - 志望理由書の落とし穴

どんなに小さなことでも、その気づきから将来につなげることができれば学校がそれを拾ってくれる可能性は大いにあります。

とはいうものの、それでも体験の数が多く多様であれば、それだけ考える機会も増えますし、そもそもの人脈が多ければそのような機会も多くもたらされる可能性が高くなります。

お金もコネもない場合、自分のキャパの中で地道に機会を探すところから始めなければいけません。

お金やコネがあったとしても、そのあとは自分で継続的に活動を行わなければいけないのに、その前に差がついてしまっているとやる気を削がれてしまう人がいるのも無理はないと個人的には思います。(お金もコネもない自分を甘めに見たとしてもやはりそう思います。)

僕の経験を思い出してみると、メンタルケアに興味がありましたが、精神科医と知り合いなわけでもなく、カウンセラーの資格を持っていたわけでもなかったので、病院ボランティアに挑戦してみました。

なにも、志望理由書のネタが欲しいがためだけにしたわけではありません。もともとやってみようと思っていながら、まだ挑戦していなかったので一度病院に問い合わせしてみようというところから始めました。

結局、僕は志望理由書には病院ボランティアの話は書きませんでしたが、履歴書には書くことができました。

そして、そんなことよりも、ほんの短い時間でも体調に不安を抱えている方と関わることで、自分の当たり前が当たり前でないということに気づけたというありきたりな経験もできました。

僕もその数年前に長期間の闘病をしていたので、このような経験はネタになるかどうかの判断基準を超えて、貴重なものになりました。

結果としてはやってよかったと思える経験ですが、出願だけに視点を絞れば決して有利な条件ではありませんでした。

このような志望理由書の問題もありますが、他にも乗り越えないといけない壁があります。

海外は勉強しなくても大学に行ける?

それは、学力の問題です。

西洋の学校はそれほど学力を考慮することなく、個性を大事にしてもらえると思っている方も多いと思います。

しかし、残念ながらそれは日本にある海外入試制度を美化した妄想のようなものです。

海外の大学入学選抜ではまず学校の成績が見られます。

「海外の高校ってめちゃくちゃ勉強簡単だからだれでもいい成績がとれるんんでしょ?」というのもまた妄想です。

日本の方がよく想像する海外の勉強簡単説は主にアメリカの教育制度を反映していると思いますが、アメリカで勉強が簡単なのは主に日本でいう中学校までです。

そのあとは日本のような入試特有な問題を解くことはなくとも、統計学やら物理やらをまじめに勉強しなくてはならなくなります。

アメリカの大学で日本の中学で習う一次関数を勉強することがないとはいいません。僕が行っていた大学院の統計学の授業でも、”念のため”一次関数の式が授業スライドに載っていましたがもちろん先生はスルー。

統計学の授業なので意味不明な式がバンバン出てきて、数学嫌いの僕はテンションが下がったのを思えています。

繰り返しになりますが、行く大学なんてどこでもいいと思っている人にとっては簡単な勉強だけして単位を取っておけば大学に行けるかもしれませんが、少なくともある程度の競争率の大学ではそのような考えでは合格できる可能性は非常に低いです。

それでは、現地の人たちはどうやって勉強するのでしょうか。

それはチューターをつけて勉強しているのです。

学校の無償のチューターと勉強されている方もいると思いますが、お金を払ってチューターをつけるかたは意外に少なくありません。

海外はお金を払ってまで学校外で勉強しないということはないのです。

これをするとさらに生まれた環境で差が広がるばかり…

今思い返しても、アメリカの入試制度は本当にハードでした。僕のような平凡な人間には大きなハンデを背負っているようなものです。

それでも、どうしてもアメリカやその他海外の大学に行ってみたいという人でなければ、なかなか最後までやり切ることができず、途中で挫折してしまうのではないかと思います。

平凡なら海外大学を諦めるべきなのか?

こんなことばかり書くと、あきらめるしか選択肢がないのかと思えてきます。

しかし、必ずしもそうではありません。

僕は平凡な人生ですが、それでもアメリカの大学院には行くことができました。

僕なりにそのときに大切にしていたこを書き留めておきます。

これを実行したら必ず海外大学院に行けるというわけでもなく、どれも特効薬のような効果がないことは確かですが、結局、これ以外に方法はないかと僕は考えていました。(僕は一度しか出願経験がないので、他にも方法がある可能性は大いにあります。)

1. 持っているもので最大限の勉強をする

はい、なんの解決策にもなっていないことは充分承知です。しかし、持っているもの以外のものを利用することはできません。

誰かに頼んで譲ってもらうことができたりと、そのような入手方法があれば積極的にトライしてみればいいとおもいますが、最後は自分の持っているものの中で頑張るしかありません。

僕はネットと1ヶ月1万円くらいのお金さえあれば、大体の勉強はできると思っています。

僕が留学のための勉強で費やしたお金がまさにそれくらいでした。

リスニングなどはYouTubeの無料動画を利用しましたし、TOEFLの教材は1冊数千円以内のテキストを利用しました。

英会話には個人経営の英語塾のネイティブ講師との会話コースをとりました。

これは個人的なアドバイスでエビデンスはありませんが、必ずしも大手のTOEFL対策講座のようなものが効率がいいわけではありません。

料金もかなり高いですし、大手の教材は大勢の受講生のために作られているのでカスタマイズ性が乏しいです。

僕のように個人経営の塾のようなものが見つけられれば、安価で柔軟に対応してもらえる可能性もあります。

そして、僕がこの塾を選んでよかったと思った理由がもうひとつあるのですが、それは志望理由書のチェックをしてもらえたこと。

通常、留学塾の志望理由書のチェックは数万円から10万円以上とかなり高額だと思います。

しかし、僕が志望理由書のチェックのために払ったお金はせいぜい1万円ちょっとくらいです。

通っていた塾の経営者の方とネイティブの先生に直接、エッセイを見てほしいとお願いしたら、通常の1 on 1価格で見てもらえました。

それが1万円ちょっとで済んだ理由です。

これくらいのお金ならバイトでも出せますね。

2. 手軽に終わらせない

誰だってつらいことは早く終わらせたいものです。

ましてや、慣れない海外大学出願作業など1秒でも早く終わらせたいのはよく理解できます。

本当にストレスがたまることが多いですから。

しかし、手軽な準備が必ずしも最良の結果をもたらすとは限りません。

例えば、さきほど志望理由書はどんな経験をしたかではなく、そこから何を思いどう活かしたいかが重要であると書きました。

インパクトがある経験を短絡的に求めるのはもちろんNGですが、短く手軽に経験を語るのもNGです。

経験自体が平凡でその感想まで平凡だったらどうでしょう?

もはや合格可能性は0です。

誰でも参加できるボランティア活動であなたなりの視点を示すことはきっと可能です。

医療ボランティアに参加して「病気の子どもの姿を見て心を痛めました。」と終わらせることは誰にでもできます。でも、もう一歩先に進みましょう。

なぜ心が痛んだんでしょうか? 元気に外で遊べないからでしょうか? 友達と会えないからでしょうか? 夜、真っ暗になる病院で入院生活を送るのは怖いからでしょうか? 若いうちにネガティブな経験をすると将来を悲観してしまうからでしょうか?

ここにこそ「個性」が出るというものです。

上の例の問題を解決するためにはそれぞれ別のアプローチが必要なはずです。

ここに説得力があるわけです。

ありきたりな経験、ありきたりの感想は悪ではありません。しかし、そこで立ち止まらないことが重要なのです。

3. 最短距離を目指さない

これも自分が特別なものを与えられていないと思っているのであれば、覚悟しておく必要があるもののひとつです。

僕は大学院で選考変更したのですが、それにはいろいろ難しいことがありました。それはこちらに書きました。↓

大学院留学出願で専攻変更した僕の経験

単位の問題などいろいろ乗り越えないといけないことはありましたが、面倒でもひとつずつ解決するしかありません。

最短距離を目指したらそれは達成できなかったと思います。

さらに、僕は大学卒業後そのまま大学院に行ったのではなく、少し社会人経験をしました。

輝かしいばかりのキャリアでもなければ、その経験が直接大学院の学びにつながったわけでもありませんでしたが、当時はそれしか選択肢がありまあせんでした。

そこでふてくされていては先に進めなかったのです。

現状がそうなのであれば、それを受け入れる以外選択肢はないのです。

そのときにできることをひとつずつ行う。

それを繰り返していると、いつの間にか目標に達成している自分に気づくことになるのだと思います。

現在、困難の中にあり留学に行けないかもしれないと思っている方がいるかもしれませんが、最短距離さえ目指さなければチャンスはいつでもあるはずです。

焦る気持ちをコントロールして、今日も一歩進んでみましょう!

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