ユニークな人? - 志望理由書の落とし穴
出願に必須の志望理由書
海外の大学に出願する場合、そして日本の学校でもAO入試など推薦入試では志望理由書(英 : Statement of Purposeなど)が要求されます。
日本ではあまり馴染みがなく、出願時に苦労するもののひとつです。
僕もアメリカの大学院に出願するときはいろいろリサーチしながら何ヶ月もかけて書き上げたものです。(懐かしい…)
僕はこの本を使って書き上げ、最後にネイティブの知人に英語チェックを入れてもらいました。
他にもいろいろ探せばあるかもしれませんが、そもそも海外留学用の本はあまり日本では出回っていませんね… あまり需要がないのかもしれません。
英語で検索するともったたくさんいい本が見つかるかもしれませんし、そもそも本を買わなくても他の人が書いたサンプルが無料でみられるかもしれません。
本当にインターネットが一般的になったおかげで出願はかなり楽になりましたね。ネットがない時代の人はどうやって出願していたのだろうと思うくらいです…
話がずれました!すみません。
「ユニークさ」についてです。
ネットはたしかに便利なのですが、情報の信用性には注意が必要で、これは出願書類についても同じです。
よくネットでみるものとして
「ユニークな人にみえるように書く」
というアドバイスがあります。
これは本当に必要な観点でしょうか。そもそも、なにを持ってユニークと判断するのでしょうか。
ユニークさなど必要ない!
これは個人的な意見ですが、そもそもユニークさなど必要ありません。
ユニークな経験があれば書けばいいと思います。しかし、ほとんどの経験はユニークなものとして認識されません。
僕の感覚でどのレベルならユニークな経験として認められるかと考えてみると、オリンピックかショパン国際ピアノコンクールでメダルを獲得するくらい希少な経験でなければほとんどアピールになってないと思います。
毎日、必死に努力して日本の全国大会で上位に入賞しても、アメリカの大学出願ではほとんど考慮に入っていないと思います(少なくともトップスクールではほとんど評価されていないと思います。アメリカ以外の国ではどうかわかりません…)。
日本とアメリカでは人口の差もありますし、アメリカには世界各国から人が流入してくるので誰にでもわかる世界的大会レベルでなければ大きな加点にはなり得ないだろうと推察されます。
「じゃあ、ユニークさのアピールなんてできない!( ̄◇ ̄;)」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、前述の通り、そもそもユニークさなどアピールする必要がありません。
一般的にユニークさが必要と言われるのは、数ある中の出願者のなかで自分の存在を認識してもらうためでしょう。
では、出願の最終ゴールはたくさんの出願者の中から自分の存在を認識してもらうことでしょうか?
いいえ、ちがいます。最終ゴールは合格することです。合格を果たし、さらなる目標達成のために大学で活動するためにはまず合格しなければいけないのです。
「何を当たり前のことを…」という反応が返ってきそうですが、これはとても重要なことです。
もう少し別の言い方をすれば、いくら目立っても合格しない志望理由書など何の意味もないと言うことです。
例えば、親がとんでもない資産家で幼少期からありったけの資金援助のおかげで何十カ国も旅行していろいろなものを見て、最新の教育研究のエビデンスに基づいた高水準のカスタマイズ教育を受けたとしましょう。
こんな経験をできるのは本当に一握りの人であり、そのエピソードを読んだらとりあえずの注目は得られるでしょう。
しかし、それで大学に合格できるでしょうか?
もちろんできません。いくら「インターナショナルエピソード好き」・「エビデンス好き」なアメリカでもそんなことが書類に書かれていたら「だから何?」という反応しか返ってきません。
では、僕が最初に上げたオリンピックとショパン国際ピアノコンクールは何がちがうでしょうか?
それは、「本人の努力が垣間見えること」です。
あれだけの競争を勝ち抜いてメダルを獲得するのに、努力が不要なわけはありまあせん。
このような努力エピソードはどの国のどの学校でも評価されます。
それでは、目を引くような受賞歴がない出願者はどうするのか?
答えは簡単! 自分が大学で取り組みたいことに関連づけて、今まで取り組んできたこと・努力したことを書くのです!
英語のスコアなど最低基準を満たした上で、このことができていればあとは正直なところ、合格は運次第です。
しかし、少なからずの書類がその当たり前の努力エピソードがないために、「だから何?」と思われ、不合格リストに入れられてしまっているのです。
具体的に書くことの重要性
努力エピソードを入れること以外にも気をつけたほうがいいことはいくつかありますが、まずはそれを気をつけるだけでもかなりよい志望理由書になります。
そして、それをよりよく伝えるために具体的に書くことを気をつけましょう。
なぜかというと、具体的に書かないと存在を認識してもらえないからです。ユニークな経験をしているかなどどうでもいいのです。ユニークな努力エピソードに見えるかにかかっているのです。
例えば、以下のような志望理由者は真っ先に不合格リストに入れられます。
「私は幼い頃から学校に馴染めずにつらい思いをしました。若い人に同じ思いをしてもらいたくないので、貴学で教育学を勉強し、みんなが有意義な時間が過ごせる学校づくりをしたいと思います。」
なぜ学校になじめなかったのでしょうか? どのようなところが馴染みにくいと感じさせたのでしょうか? それを乗り越えるために何をしたのでしょうか? これらを志望理由書に記入するかは別としてこれらの問いに答えられるでしょうか? 答えられないのだとしたら考えてみましょう。
つらい思い出を振り返るのは決して楽しいことではないですし、全ての体験を自分の思いのままに言葉にできるかといえばそれは不可能であろうと思います。
しかし、過去に向き合うことに耐え、言葉を絞り出してひとつのエッセイに仕上げるのが志望理由書なのです。
上に例ではさらに
若い人が同じような経験をしたら将来どのような不利益を被るのか?
どうしてその大学を選んだのか? その大学のどのようなプログラム・授業・教授・雰囲気・課外活動に惹かれたのか?
みんなにとって有意義とはどのような意味か?
有意義な学校生活を送ったら社会にとってどのような意味があるのか?
現時点でどのような活動を通してその問題に関わっているのか?
などの視点が説明できていなく、全く説得力もユニークさもないエッセイになってしまっています。
そもそも同じ経験をしても人はちがう感想を抱くものです。
学校が大嫌いだった人もいれば、学校が毎日楽しくて仕方なかった人もいるでしょう。
ユニークさなどアピールしなくても、自分の経験を自分のフィルターにかけて述べたらそれだけでユニークなエピソードになるのです。
だからこそ、そのエピソードが伝わりやすくなるよう具体的に書く必要があるのです。
くれぐれも経験それ自体で関心を引こうとして、何の関係もない受賞歴や思い出話などをエピソードとして入れないようにしてください。
ちょっと無駄話
本題とはずれます。不要なら読み飛ばしてください。
受賞歴の話が何度かでてきていますが、受賞歴などなくても大学には合格できます。
アメリカの大学に出願するには志望理由書以外にいわゆる履歴書を提出しますが、西洋の履歴書は日本のようなテンプレートがなく、自分で書く内容を決めます。
そこにAwards(受賞歴)を入れることもでき、ここにとにかくたくさん書いてあるほうがいいと思っていろいろな大会に参加している人もいると思います。
しかし、それは必要なプロセスではありません。
それ自体が楽しくてもっと大会に参加したいというならいいと思います。楽しんでいることを履歴書に書くことは全く悪いことではありません。なにせ、好きに書く内容を決めていいのですから。(基本的には出願先に関連しないことは書かない方がいいとは言われていますが。)
しかし、受賞歴は別になくてもいいのです。
僕がアメリカの大学院に出願したときの履歴書にはAwardsという項目すらありません。なぜなら、僕は人生で賞をもらったことがないからです。ないものは書けません泣
しかし、僕だけでなく、僕の周りの人でもすごい受賞歴がある人はほとんどいなかったように思います。みんな「普通の人」なのです。普通の人だからさらに努力しようと思って大学に来るわけですし。
なので、繰り返しになりますが表面的な受賞歴や珍しい経験のアピールは不要です。
書くことがないんじゃない! 書くことがありすぎて困る!
話を具体性に戻します。
僕は帰国子女の教育に携わっていて、彼らの志望理由書を見ることも多いです。
ほとんどの子のファーストドラフトは驚くくらい、上のダメな例と同じことをしています。みんな内容がぼんやりしているのです。
そこで僕は「なにが、どのように、なぜ」といった視点で質問を繰り返し、経験を振り返らせます。
ほとんどの子は「わかりません」、「言葉にするのが難しいです」と言いますが、そこで引き下がっては不合格まっしぐらですので、こちらもあの手この手で質問を変えてでも質問に答えてもらいます。
帰国子女の志望理由書で多いのが
「英語と文化のちがいに苦労したのでインターナショナルな環境を創っていきたいです。」
というものです。
驚くくらいみんな同じことを言います。それだけ幼いころに環境の変化があるというのは負担になるということなのだと思います。
自分が毎日身を持って経験したことを言葉という別のものに変える作業は本当に大変ですが、それでもやり遂げてもらう必要があります。
上の例と同じように
インターナショナルって何? どうしてそういう環境が必要なの? その環境がないと誰がどのように困るの? 日本の学校に出願するならインターナショナルな環境が日本にどのような利点をもたらすかは考えたことはある?
と、とにかく時間の許す限り僕から設問攻めにされる可哀想な生徒たち…
答えられないなら次の機会までに考えてきてもらいます。「難しいならこの質問は忘れて」とは絶対に言いません。質問の仕方や表現を変えてでも必ず答えさせます。つくづく可哀想な生徒たち…
もともと言語力が高い生徒は僕の質問攻めに慣れると、自分から次々アイディアを出すようになりますが、思考を言葉にする習慣のない子は本当に苦労します。
こういうことも含め合否を左右するわけですが、言語力が高くないからそれだけで不合格とならないよう、こちらも必死に言葉を変え品を変えと取り組んでいると、ポツポツと意見を言い出し、最後はその子のことを全く知らない人が読んでもしっかりエピソードの伝わるエッセイが完成します。
しかし、その前にもうひとつ大変な作業が待っています。
それは字数を削ることです。
言葉にできない思いを無理矢理にでも言葉にさせたくせに、最後には言葉を削らなければいけません。字数制限に反するという選択肢はないのです…
実はこちらの方が言葉にさせるより難しいのです。いくらでも長く書いていいのであればとにかく細かく具体的に書いて、どうしてもくどく感じるところだけ削ればいいですが、日本語で800字くらいだとかなり話をまとめる能力が要求されます。
それも、国語の要約問題とはちがい、具体的なエピソードを入れ込んでいながら話を短くまとめるのですから本当に苦労します。
出願直前にあわてて書類を準備すると自滅の道を進む原因はこういうところにあるわけです。くれぐれも出願準備はお早めに!(最低でも3ヶ月くらいは志望理由書にかけた方がいいです。)
字数を削るときのポイントは以下です。
同じ意味の言葉を繰り返していないか - 私は小学生のときにアメリカに行き、小学校のクラブ活動で現地の小学校の生徒に日本語を教えるボランティア活動を行いました。(小学生/校、活動は工夫次第で削れる)
意味のない具体例を出していないか - 私は教育学に興味があったので、今まで、幼児教育学、発達教育学、日本と西洋の教育比較、言語教育学の授業をとってきました。(ただ教科を並べてもエピソードは伝わりません。そのなかで特に興味が湧いたのはどれか? 大学でも勉強したいのはそのうちどれか? 特に頑張ったものやリサーチなどをしたものはあるか? ここでの具体例とは教科名ではなく、「特定の教科とそこでの取り組み・努力エピソード」のことをいいます!)
それでも字数がオーバーする場合は残念ながらエピソード自体を削るしかありません。そもそもの字数制限が800字くらいなら多くの情報を入れることが想定されていません。
特に伝えておきたいエピソードを選び、改めて文章を組み立てましょう。
自分の体験を振り返ってみて、志望理由書で大事なことを考えてみました。いかがでしかか? みなさんの経験がしっかり伝わりようなヒントがひとつでもあったら嬉しく思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。(^-^)
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