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【読書エッセイ】幸せな老後のヒントになった一冊

暮らしを色鮮やかにし、いまも傍らに寄り添う特別な一冊を紹介いただく本エッセイ。
①森優子さん(旅行エッセイスト)⇒②山口花さん(作家)⇒③上田聡子さん(作家)⇒④柳本あかねさん(グラフィックデザイナー)⇒⑤松原惇子さん(エッセイスト)の豪華リレー形式でお届けいたします。
今回は、松原惇子さんに、自分と主人公を重ね合わせながら読んだ絵本『ルピナスさん』について、印象的な言葉や得た気づきなどを綴っていただきます。

【今回の一冊】『ルピナスさん』

作:バーバラ・クーニー 訳:掛川恭子
ほるぷ出版/定価:1,430円(本体:1, 300円)
主人公の少女・アリスがおじいさんと交わした約束をめぐる物語。1917年に米国で生まれ、児童文学作家・イラストレーターとして活躍していた著者が、65 歳のときに発表した作品。1983 年に「全米図書賞」を受賞。

世の中を美しくする

 絵本や童話が大好きだった子供時代。アンデルセンの世界に浸り、わたしは空想の世界に暮らす夢見る夢子だった。畑の野菜たちを主人公にした紙芝居を作ったり、自分の部屋の机の引き出しの中に、妖精を飼っていたこともある。バレリーナに憧れてレッスンにも通っていた。そう、子供のころのわたしは、キラキラと輝いていた。しかし、年長になるにつれ、学校という現実に組み込まれ、わたしはしぼんでいった。気がつくと、そんなわたしに愛想をつかしたのか、妖精も姿を消した。

 学校というのは何なのか。子供の夢を奪うところなのか。今では、はっきりとそう言えるが、受験一辺倒の学校生活が楽しいわけもない。どんよりした学生時代、大学を卒業しても、自分が何をしたらいいのかわからない。出口の見えないトンネルの中で、運よく得た仕事が物書きだった。もしかして妖精からのプレゼントだったのかもしれない。

『ルピナスさん』との出合いは、とても不純な動機からだ。空想の世界が好きなわたしにとり、机に向かって文章を書くほどつらいことはない。しかし、書かなくては食べていけない。もう、それは拷問だった。そんなある日、美大出身の若い友達に愚痴を言っていると、単行本を書くのをやめて絵本を描いたらどうかとアドバイスされる。

「絵本? いいわね。文字数が少ないから楽だわ」。文字数が少ないほど高度な才能が必要なのに、そのときはそう思った。すると、後日『ルピナスさん』という聞いたこともない絵本を彼女からプレゼントされる。

 ふーんと言いながら、ページをめくっているうちに、ルピナスさんは自分になっていった。ルピナスさんの本名はアリス。アリスは、船大工をしていたおじいさんの膝の上で、遠い国のお話を聞くのが大好きな少女だった。アリスは思った。「大きくなったら遠い国に行き、おばあさんになったら海の見えるところに住む」と。この物語は、ひとりの人生を生きた女性のお話だ。わたしが魅かれたのは、主人公が子供が好きそうなかわいい動物や、幸せそうな家族ではなく、わたしと同じシングル女性であること。そして、自立した女性の物語であることである。

 この絵本の中で最も心に響いた言葉がある。おじいさんのお話が終わると、いつものように「大きくなったら遠い国に行く、おばあさんになったら海のそばに住む」と言っていたアリスに、おじいさんは、ひとつ注文をつけたのだ。

「それもいいが、もうひとつ、しなくてはならないことがあるぞ」と。「なんなの?」とアリス。「世の中を、もっと美しくするために、何かしてもらいたいのだよ」。世の中をもっと美しくすることをおじいさんはアリスに約束させたのだ。アリスは大きく頷うなずいた。

 世の中を美しくするために何かする。

 わたしにとり衝撃的な言葉だった。何を隠そう、わたしはずっと、自分の幸せのことばかり考えて生きてきたからだ。だから、人からは幸せそうに見えても、心から満足できない自分がいた。

 外国を旅し、様々な仕事をし、いろいろな国の人と知り合い充実した人生を送ってきたアリスは、海の見える丘の上の家に暮らし、理想通りのおばあさんになっていた。そのとき、アリスはおじいさんと約束した「世の中を美しくする」を果たしていないことに気づく。

 そこで、アリスは、ルピナスの花で自分の暮らす村をもっと美しくしようと行動する。彼女はルピナスの花の種を大量に買い込み、ポケットに忍ばせ、散歩道だけでなく、教会の裏、細い道、広い道、海ぞいの丘に、石垣沿いにといたるところに蒔いた。すると翌年の春には、殺風景だった村が色とりどりのルピナスの花で埋め尽くされ、村は美しく変貌した。

 村人はアリスをいつしか「ルピナスさん」と呼ぶようになった。「ルピナスさん、もっと遠い国のお話聞かせて!」

 子供たちは目を輝かせて集まってきた。とかく、シングルの女性は、ひとりで老いることを恐れがちだが、それは自分のことしか考えてないからかもしれない。「世の中をよくしよう」というスイッチが入れば、ルピナスさんのような幸せな老後が送れるような気がする。

note エッセイの挿絵 (5)

【執筆者プロフィール】
松原惇子(まつばら・じゅんこ)◆1947年、埼玉県生まれ。『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。シングル女性の今と老後を応援するNPO法人「SSSネットワーク」代表理事を務めながら、自らの充実した老後のひとり暮らしを著作や講演を通じて発信している。

初出:『PHPくらしラク~る♪』2021年11月号


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