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【創業当時は、もう、マグロ漁船みたいだった。】カルチャーコレクション#1-1【オープン社内報】

オープン社内報をはじめました。

2008年ごろ、数名の仲間でスタートしたPHONE APPLIは、創業14年目である現在、メンバーの数が300名を超えました。「ベンチャー企業」と称するのもちょっと違うかもしれない、と感じはじめた今、あらためて「PHONE APPLIらしさ」について、語りあう機会を作ろうと思います。

これから投稿されるnoteは、PHONE APPLIの「いままで」と「これから」について、さまざまな役職・年齢・役割のメンバーが対談し、「PHONE APPLI のカルチャー」をより具体的なエピソードで形作っていきます。
全5回、どうぞお楽しみください。

カルチャーコレクション#1 登場人物

ふくもと「PHONE APPLIの、シングルナンバー"2"です。」
かわしま「横浜ベイスターズ、大洋からのファンです。」


いしはら「プロ雀士を目指しています。」
しぶいち「好きな映画はシャークネードです。」

入社したのはいつ?


澁市
 みなさん、本日はカルチャーコレクション、よろしくお願いします! よろしければ、自己紹介がわりに「いつ入社したか?」を教えてください。では、従業員番号、シングルナンバー"2"の譜久元さんから。

譜久元 2009年です。当時、伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)に勤めていたんですが、石原さんに誘われて。

石原 そう、俺がCTCを辞めさせて!(笑)PAに入りなよと。実質2番目の社員だったね。

譜久元 そう。そのときはちゃんとお金を稼ぎたいなと思っていて、これから成長していくだろう会社に興味を持ちました。

石原 めっちゃ打算的だね(笑)。

譜久元 そうね(笑)。でも、当時の職とPAを比べたときに、PAのほうが面白そうだなと思って決めましたね。

澁市 石原さんのご入社は。

石原 設立当初(2008年)からずっと Cisco に在職しながらPAにも関わっていたんだけど、正式に入社して、社長に就任したのは2015年だね。

澁市 川嶋さんはいつごろPHONE APPLIにいらっしゃいました?

川嶋 僕は2019年9月から、参画しています。

それぞれ「入社当時」のPHONE APPLI 


澁市 
もっとも社歴の長いのはもちろん譜久元さんですよね。早速なんですが。ご入社当時のPHONE APPLIってどんな会社でしたか?

譜久元 うん、やべー会社だなと思った。

澁市 やべー会社!(笑)

譜久元 というのも、何もなかったからね。売るものだけが決まっていて、あとは仕組みも制度もないし、場所もない状態。使えるお金は少しあったという感じかな。面白かったけどね。

澁市 そうなんですね。どんなところに面白さを感じられていました?

譜久元 ある程度、自分に裁量があるところがいいなと思っていました。その代わり、身近な人とその家族のぶんは稼がなければならないと思っていて、自分の裁量と責任で、自由にできるところが面白いなと。

澁市 当時と比べると、今のPHONE APPLIはどうでしょう?

譜久元 当時は自由と裁量が"バーンッ"と高かったのが、いまは下がっているようには思います。だけど、会社が大きくなっていくうえで、それは必要なことだとは思う。それが一番いいのかどうかは悩ましいけれど、基本的には必要なこと。

澁市 川嶋さんはいかがですか? 入社当時の印象。

川嶋 面白い会社だなと思っていました。"ラボ"的にいろいろ実験されてるなというところとか。オフィスツアーも、様々なプロダクトラインナップもそうだし。人も、面白い人、個性的な人がたくさんいて、活気があるなと。

澁市 現在、「変わった」と思うことはありますか?

川嶋 そうですね、組織立ってきたなと思うことが多いです。当時は、プロダクトはいっぱいあったけど、開発組織も小さかったし、スクラムの開発体制もなかったし。マーケティングも、カスタマーサクセスも、ヒューマンリソースも、今ではしっかり組織化・会社化できてきたなと思います。

とはいえ、まだ成長途中という面もあると思います。そこはもっとしっかりと、組織になったことで、出せるパワーが倍増するようになっていくといいなと。

澁市 なるほど、人数が増えたぶんというか、増えた人数分だけでなくて、それ以上のパワーが出せるような仕組み、環境になっていくといいなと。

川嶋 そう。1人が3倍くらいのパワーが出せるようになるといいですよね。

創業当時から数年間は、もう、マグロ漁船みたいだった


澁市 
石原さんはいかがでしょう、入社当時を思い返して。

石原 2008年の創業当時から数年間は、もう、マグロ漁船みたいだったね。"1件とれれば半年食える"みたいな。お客さんを獲得するためにすべてをかけていた。生きていくために、狩猟をしていたようなもの。いわば"マンモスをとる"のが日々の行動のゴールだったね。若いメンバーが食えるように、協力してでっかい獲物をとる、みたいな。

澁市 マグロ漁船(笑)。そこから徐々に変わっていったんですね。

石原 そう。いわば農耕社会に転換してきたと言ってもいい。計画的に生産できるようになって、余裕が生まれて。そうなってから、社員の間で、趣味の話もできるようになった。「○○さんが車を買った」とか、「ゴルフを始めた」とかね。

澁市 え、趣味の話はされていなかったんですか。いまは「マイプロフィール」の機能もサービスとして提供しているのに?(笑)

譜久元 うん、してないね(笑)。

自社サービス「PHONE APPLI PEOPLE」社内・社外電話帳の一元管理に加え、それぞれの社員が趣味などのプロフィールを公開し、コミュニケーションの円滑化につなげます。


石原 ないない。趣味の話なんかしてる余裕なんてぜんぜんなかった。創業当時は「(今を)生き残る」という感覚で、現在に近くなるほど「(これからも)生きていく」という感覚になった、と言ってもいい。"楽しみ"とかも含めた意味でね。会社のフェーズの変化とともに、感覚が変わってきた。

澁市 創業当時は、不安定だったかもしれないけど、一つの大きな目標に向かって邁進していくための、がむしゃらで強い生命力のようなものを感じますね。

今振り返ると、ちょっと残念だったなと思うこと


石原
 そうだね。ただ、今振り返ると、ちょっと残念だったなと思うのが、当時は「経営しよう」という意識が薄かったこと。単に「手に職があったら稼げるな」みたいな感覚でやっていたから。月次で赤字にならないように必死に利益を追いかけていた。それはあまりよくなかったよね。いっぽうで、最近のスタートアップ企業では、始めから月額ストックビジネスで、バリューを掲げて、パーパスを持ってやっていて、すごいなと思う。

譜久元 ほんとに、受注と検証に命をかける、みたいな感じでしたからね、当時は。

石原 ただ、そういうやり方でうまくいっていたのは、せいぜい従業員10~20人くらいの頃〔編注:2013年頃〕までだね。それ以上の大きな案件を受注しようと動きはじめたら全然とれなくなった。

お客様が求めるクオリティに応えるためには、たとえばISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)の認証を取らなくてはいけなくなったり、きちんとした人事制度が要るなとか、労務管理が要るなとか、毎月セミナーやらなきゃな、とか。大きなことを始めようとすると、会社として仕組み化しないといけないことが増えた。俺が社長に就任した2015年頃には、もうそういう状況だった。

「いまの組織」について


澁市
 みなさんのお話しから、PAが「組織」になったことに対するメリットがあるいっぽうで、昔の無我夢中なエネルギッシュさを懐かしむ気持ちもあったように感じられました。あらためて「いまの組織」に対しての課題がもしあれば、聞かせていただけますか。

川嶋 先ほどから石原さんと譜久元さんが、PAが小規模だったころの話をされているのを聞いていて、僕自身、共感するところがありました。というのも僕も以前の職場で、立ち上げたばっかりの組織に入って、販売推進戦略を立てたりしていたことがあって。そこではたくさんの業務委託の営業メンバーを抱えていました。

自分の戦略がコケてしまったらその業務委託の人たちの契約を切らなければならないというプレッシャーがあって、結果が出るまで働いているような状態でしたから、創業当時の感覚に近しいものを感じますね(笑)。

社員間の環境や熱量の「差」を尊重しながら、全体としてうまく回せる柔軟さ


澁市
 そんなご経験があったんですね。

川嶋 はい。でも、そんな極限状態が続けばモチベーションは下がるし倒れるし、続けられないんですよね。それに、大きいことをしようと思ったときには仲間がいないとできないな、というのは感じています。

川嶋 いっぽうで、組織が小さいときの"熱量"をどれだけ持ち続けられるか、というのは課題だと思います。それを持ち続けられれば、組織化しながらより多くのお客様にも貢献できるし、より価値のあることを実現できると思うので。

澁市 譜久元さんはどう思われますか。

譜久元 組織ができてないと、大きい案件が複数回せないというのはありますよね。ただ熱量もそうだけど、家庭の状況や体調も含めて、メンバー間に差があってもいいような組織になるのが大事だと思っていて。

澁市 「メンバー間の差」、というと、たとえばどんなことですか?

譜久元 例えば、家庭をもって子どもができたら、昔のPAのように仕事にすべてを捧げるような働き方はできない。それは決して「やる気がない」のではなくて、置かれている状況が違うということだと思います。そういう異なる背景をもったメンバーが集まっても、組織として制度化されて、うまく回るような体制があるといいと思う。

澁市 1人1人に環境や価値観など、さまざまな違いがあっても、総体として補い合えるような組織、と言えるでしょうか。

譜久元 うん。その意味では、今のPAは組織としてうまくいくような制度を作ってくれていると思っていて。それぞれのチームでのサポートは必要だけど、まず会社の仕組みとして、社員間の環境や熱量の「差」を尊重しながら、全体としてうまく回せる柔軟さをもって設計してくれている、少なくともそういう視点で組織を作ろうとしてくれているという期待がもてる。そんな管理部門(コーポレート本部やヒューマンリソース部など)があってよかったなと思っています。

澁市 ありがとうございます。こうあってほしい、こうありたいという期待があれば、ぜひこれからもどんどん聞かせていただきたいです。​​​​​​​

「いまの組織」の課題とこれから


石原
 俺も、今の状態はそんなに悪くないなと思ってるんだけど、人が増えると責任感が分散されていくから、悪気なく「あの人がやっていると思っていた」というようなことが起きてきちゃうんだよね。

澁市 たしかに、役割と役割の間に落ちてしまう仕事はあるかもしれませんね。

石原 だから、もっと組織を分けて、3、4人くらいのチームがいっぱいあって1人ずつリーダーがいるみたいな組織を作ってはどうかなと思っています。そういうリーダーの役割をすごく若い段階から経験できると、PAの中で「プロフェッショナル」「スピード」「チームワーク」などのカルチャーがより強化されていくと思うんだよな。

PHONE APPLI のカルチャー
創業10年目の2018年に、当時のマネージャーを中心に作成。


▼ つづきます。


この記事に関する問い合わせ先


株式会社PHONE APPLIは、人の価値を高め、生産性を向上させる”人”中心のクラウドサービス「PHONE APPLI PEOPLE」を主軸とした、コミュニケーションの効率化、働き方改革を実現するサービスを展開しています。

▼ PHONE APPLIコーポレートサイト
https://phoneappli.net/https://phoneappli.net/


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