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「墓の魚オーケストラ」コラム

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「墓の魚オーケストラ」とは何か?を解説していく記事集です。
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#芸術

ポルトガルのファドという音楽には隠匿性がある

こんにちは。 普段、海で海洋生物の死骸を集めては、 それらを題材に ファドを創作している 葬…

演劇は、現代ではとても需要の厳しい分野になりつつある

こんにちは。 葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」 の作曲家です♪ 今日は、 演劇や、…

現代人は[ネタとパロディの中で息をしている]

こんにちは。 葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」 の作曲家です♪ 今の時代って、 大…

ハロウィン祭(魔女絵と、墓場の詩と、音楽と・・)

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 再びハロウィンの季節がやってきましたね♪♪ ハロ…

古都ポルトガルのキリスト教を表現した新曲三部作を作曲

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 今日は、新しくアップした 「墓の魚」の新作動画のご…

ジェラール・ド・ネルヴァルの詩と「墓の魚」

こんにちは。 「墓の魚」の蛆虫の作曲家です。 今日は私の詩ではなくて、 有名なフランス詩人…

キリスト教の悪魔とは何か?(洋画の表現)

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 今日は「墓の魚」の音楽にもよく登場する キリスト教における悪魔(つまり悪霊) の話をしてみたいと思います。 「悪魔(悪霊)はその名前を特定する事が大切だ」 なんて、エクソシスト系の映画でよく言われる ファンタジーな説話がありますが、 同時に、悪霊は自らの事を [レギオン] と語る、という聖書記載があるんですよね。 つまり「私は大勢(レギオン)である」と言う訳です。 また、そうかと思えば [全ての悪魔は一体である] というオカルト研

インスタグラムでラテン詩画集始めました(詩は簡単な言葉で書かないと駄目なの?)

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 私はスペインや南米舞台の キリスト教や、ラテンをテ…

悪党達のキリスト教の物語について

ラテン・キリスト教は、 この世界の解決できない理不尽さ、不条理さに 私達が絶望して、修羅の…

我々が真理が問われる時に、純朴さ、素朴さに徹底的に敗北する事について

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 マイペースなラテン墓場の作曲家として、 今日も淡々…

芸術とは個人の儀式である故に・・

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 今回は音楽業界を見ていて、 あくまで個人的に思った…

社会貢献の為の芸術ではなく、個人の為に芸術を作るという事(プロでなくても人生をか…

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 皆さん、ご存知の方もいる様に、 私は「墓の魚 PEZ D…

魚介類とキリスト教文学の楽団「墓の魚」

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 私は子供の頃から妙に 魚介類に魅かれる子でした。 …

喪失の芸術 (「墓の魚」の作品とキリスト教文学)

こんにちは。 「墓の魚」の作曲家です。 前回の記事に引き続き、 今日は南欧のキリスト教文学の根底に流れている 喪失の哲学のお話をしたいと思います。 (それは、つまり私達オペラ楽団「墓の魚」の作品の 根底に通奏低音として流れている 思想の紐解きでもあります) 私は、人生の本質は[喪失]だと思っています。 そう。 人生の本質は[喪失]なので、 人は持っている物を保守、保身している時よりも、 失う時にこそ、その者の本質(器)が 試されるのだと思っています。 若さだって失われ