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社会貢献の為の芸術ではなく、個人の為に芸術を作るという事(プロでなくても人生をかける行為とは)

こんにちは。
「墓の魚」の作曲家です。

皆さん、ご存知の方もいる様に、
私は「墓の魚 PEZ DE TUMBA」という
オーケストラを作って活動しています。

自分で作ったクラシックファドの曲や詩を
演奏する為のオーケストラです。

とはいえ、私が何か
特殊な経歴を持っているか?
というと、全くそんな事はありません。
コンクールなどにも
関わった事がありませんしね
(他者から勲章をもらう為に、
他者の価値観に合わせて頑張るのが
嫌いなので(笑))

実に、シンプルな話です。
昔からバロック音楽や、
キリスト教神学や、
フラメンコや、
ポルトガル文学が好きだった為に、
それを好き故に、自分で制作し、
活動しているだけです。

思えば大昔、
スーパーマーケットの裏方で
バイトをしていた事があったのですが
(今、思うと、
とても自分の性格には
合わない仕事でしたが(汗))
昼休みになると同僚の賑わいを抜け出して、
こっそりと一人で階段や倉庫で
詩や小説を書いていたものです。

ただ、その時(かなり若い時)から、
そういった創作やら音楽でプロになりたいとは
全く思っていませんでした。
それどころか、
絶対になりたくない
とすら思ってました(笑)

理由は色々ありますが、
シンプルに言うと、
[作品を創造する]という行為に
生きる救いの様な、
神聖なものを感じていたので、
そこに、それ以外の[色々な思惑]
関わらせたくなかったからです。

自分の作品に関しては、
ワガママであれ

とハッキリと決めていたのですね。

別に今でも
仕事にする事を禁止などにはしてませんが、
それを目指している訳ではなく、
全く別の目的地があって活動している・・
という感じです。

ところが日本は
「プロでない者は、趣味での活動であり、
故に二流三流であり、
プロこそが一流の作品を作る」

という
暗黙の偏見が浸透しています(汗)

それによって、
仕事でない活動の為に
路上生活までして
全力で人生を注いでいると、
とても奇異な目で見られ、
何度も何度も同じ質問をされるのです。
「なぜ?」
「金にならないのに?」
と。

また
「プロになれない」
「なれなかったから」

活動を辞めてしまう人達が
とても多いですよね。

しかし、それは信仰心の無い
商業大国、資本主義大国の
現代日本らしい話であって、
元来、芸術というものは、
西洋やラテン諸国では、
多くがキリスト教思想と共にあり、
時として反体制的な政治思想や、
反骨精神すら含み、
貧困の者達がギターを弾き、
生活の中で真剣に詩を愛し、
仲間内で、自分達が受けた
差別、迫害の哀しみを歌い、
弱者の絆の為に奏でます。

例えば、スペインやポルトガルでは、
個人が[キリストとの絆]の為に
詩を書くのです。

それはフラメンコでも、
ジャズでも、タンゴでもそうです。
プロだけが
真剣に活動している訳ではありません

(時代によって繁栄の違いはありますが)

そして、それは、
「プロでないから趣味でやっている」
とか、
「趣味だからのんびりやる」
などというものではなく、
人によっては、
商売でないからこそ、
命をかけた真剣なもの
なのです。

むしろ、彼らは
「仕事だから命をかける」
などという感覚の方がむしろ少なく、
個人的な芸術信仰自由の為に命をかけ、
自分の内面の探求
に全力を注ぎます。

私は、日本でも、そういう
プロでない人達が、
真剣に命をかけた
芸術活動をする事は当たり前

という感覚を持ってくれたらいいな
と思って活動しています。

経済社会の持っている[常識]のほとんどは、
外面的社会的なものであり、
個人主義
内面的精神的なものではない為に、
日本人は、想像力や空想力、
宗教的な感覚を持っていても、
それを情熱的に真剣に外に出す事を臆し、
恥と思い、
表に出す時も、
冷笑を交え、茶化して、誤魔化しながら
表現する傾向があります。

これは、
真剣な命をかけた芸術活動や、発言が
プロなら許されるが、
それをアマチュアがやる事に引け目を感じる
(あるいは冷笑する)

感覚と地続きだと思います。

しかし、言うまでもなく、
それは芸術的ではありません。

元来、芸術とは、
我々の日常の中にあるもの
であり、
我々の魂が発する神との対話
であり、
言葉です。
その部分にこそ
人間は命をかけるべきだと私は思います。

勿論、仕事にする事
悪い事では全くありませんし、
それも素敵な事であり、自由です。

しかし、
社会の提示する
結婚、家族、経済活動、就職
(つまり社会貢献)
以外のものに
命をかける者は
変人であり、恥ずかしい

という価値観は捨て去るべきでしょう。

プロとは、
需要がある故に、
その芸が金になるのでしょうが、
個人が作り出す芸術は
個の為に消費され、
その作品は当然、自身の人生に
影響を与えるものです。

それが如何に尊い事か、
我々は認識するべきです。

社会の中で与えられた椅子が
貴方の本質ではなく、
眠る前の寝室で
鏡に映る自身こそが
貴方なのです。


その自身の為に、
あらゆる情熱と命をかけて、
芸術家は語るのです。

そうそう。
人間とは、
社会のシステムの為の動力ではなく、
個人という内宇宙である。
全ては、その個人と
外宇宙の問題なのである。


という、それも、
芸術の訴える本質
の一つなのですよ。

貴方の作り出したい物、
作り出している物、
[決してお金にはならない
その不器用な宇宙の本質]

こそを、
どうかを大切にして欲しいと願います。




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