演劇は、現代ではとても需要の厳しい分野になりつつある
こんにちは。
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
の作曲家です♪
今日は、
演劇や、舞台について
私の思った事を書こうと思います。
演劇は、現代ではとても
需要の厳しい分野になりつつあります。
それは[演劇が]というよりも
[娯楽]そのものの変容
なのだと思うんですよね。
私の周囲の年配の方でも、
「演劇を定期的に
観に行く支援会に入っていたけれど、
会費が高くなり、
退会してもう観に行かなくなった」
という人が何人もいます。
近年、演劇的、芸術的な映画も増え、
だったら自宅の画面で堪能できる訳です。
さらにゲームでは、
良質な弦楽が物語付きで楽しめる
(ゲームとは
[気恥ずかしさの無い演劇]ですから)。
今に
「ライブに来てね」
なんて言葉が死語になるかもしれません。
ネトフリ、youtube、ネット絵師・・。
最早、外出する価値が
それほど無くなってきているのです
(それは良い事だと思います。
ボードリヤールの様な言い回しをするなら(笑)
価値観を押し付けてくる隣人と関わらずに
引き籠れるのなら、
それに越した事はないですから)。
ただ、残念なのは、
バンドやイラストは
誰でも挑戦できる芸術でしたが、
今後、主流になる映画分野は、
大衆が気軽に制作に挑戦できる領域
ではないんですよね。
大手が制作したものを、
大手が金をかけて宣伝し、
それだけが大衆に届く情報になるのなら、
それは絶望的な事です。
さらに、これからの時代は、
誰もがネットで
創作活動を出来る様になり、
悪貨も良貨も溢れかえる為、
ますます
宣伝ルートから締め出されている
アマチュアが
[作品を作っても評価が得られない時代]
になっていくと思うのです。
だからこそ
[評価なくとも
淡々とした芸術との対話を続けられる
図太い者]
が必要とされていると感じます。
評価なくとも、
見返りなくとも、
集客一人でも、
淡々と作り続けるものこそが芸術であり、
それは自分と神との対話の様なものです。
だからこそ芸術とは、
商業では語れない何か
なのだと思っています。
私も「墓の魚」という
自分の作品を演奏するオーケストラを作り、
長年活動していますが、
集客など全くできませんし(笑)
需要なんてゼロに等しいものです(笑)
(なんたって死をテーマにした
オーケストラですからね)
余談ですが、
私はオープンワールドRPG「原神」の
アルハイゼンの伝説任務(イベント)が
気に入っています(笑)
[研究の本質とは、
周囲の評価や地位を求め、
思考停止した社会性で行うものではない]
というテーマが
あのイベントには流れているからです。
それは芸術も同じです。
という訳で、
本日は、現代社会の中での芸術について
私が思っている事を語ってみました。
私や、私のオーケストラ
「墓の魚」を
これからも
よろしくお願いいたします~。
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