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我々が真理が問われる時に、純朴さ、素朴さに徹底的に敗北する事について

こんにちは。
「墓の魚」の作曲家です。

マイペースなラテン墓場の作曲家として、
今日も淡々と芸術学問について
思う事を語っていきたいと思います(笑)

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今日は人間社会が行っている
「可能性の殺害」について。

人間のやってしまったの一つは、
芸術学問皆のものであるのに
プロだの研究室だのを作る事によって、
それらを特定の経歴を持った人達だけが
独占してしまった
事だと思っています。

本当は全く独占できる様な事ではないのに、
独占しているかの様に見せかける社会を作り、
そのルート外の人達の
分野への興味を殺害してしまった。

それは人脈や交流方法、発表の場、宣伝自体が、
特定のギルドに所属しない者には
与えられにくいシステム
作ってしまった事による結果ですね。

元来、
無名の者が
路上でフラメンコを踊り

虫メガネで花を観察する者がいた・・
というだけの世界が、
随分と権威を持ったものだと思います。

結局人間は、
レンブラント工房だの、
音楽家のギルドだの、
キュニコス派の師弟だのを作って、
仲間以外を締め出したい生き物
という事なのでしょう
(それでもキュニコス派の師弟だの言ってた頃は、
まだ自由で、好き勝手にやれていたのですけどね)。

例えば、学校に行ってない者
ある日、畑仕事の途中で、
ふと細菌に興味を持って
「追求したい」
と思っても全くおかしい事ではないのに、
この世界では
「いや、自分なんかよりも
ちゃんとした経歴の人達が研究してるだろう」

とあきらめてしまう。

全く無名な老人ピアノ曲を作って
誰かに聴いてもらいたいと近所を回っても、
商業音楽の提供が確立されてしまった
便利な世界では、
多くの人が
[自分の耳で好きな曲を発掘する]
[目の前に鳴っている音に驚く]

という気持ちを喪失している為、
相手にされる事はない。

そういう世界を作ってしまった
と思うのですよ。

だからこそ、こういう
[人工的な上から提供される世界]
に慣れてしまった我々は、
時代の節目に突然現れる価値観の変化や、
事件の時に(つまり真理が問われる時に)、
純朴さ、素朴さに
徹底的に敗北する事になるのでしょうね。

我々が理性文明などと思っているものは、
全く野蛮な、
理に適うなどとは程遠い
理不尽な腕力で築かれた
野猿のシステムでしかないのです
(業界の女性差別の確実性などは、
特にわかりやすい例ですね)

そういう目で世界を見れば、
貴方がやりたい事を
どんなに社会から否定されても、
本当に諦めなければいけない理由など
実は何もない
事に気づくのではないでしょうか?



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