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インドのひとたちとわたくし。(163)ーヒトはどこから悪党になるのか

 デリー公社が街道沿いの長屋スラムをブルドーザーで強引に排除した数日後、同じ道を通りかかったら道路の反対側に恐らく同じ住民たちが新しいスラムの建築を始めていた。廃材のようなものを柱に、どこからか調達してきたブルーシートやシーツなどで屋根と壁をこしらえている。打たれ強い。そう、ひとは簡単には『お上』の言うなりにならないのだ。
 スラム住民の多くは地方から出てきたひとたちで、家族単位も多い。建設現場で日雇いの仕事に就く男女もあれば、道端に寝そべって子どもの玩具などを売ったり、物乞いをしたりするひとたちもいる。電気もガスも水道もないから、外で火を熾して鍋をかけ、家族の食事の支度に追われる女性たちの姿もよく見かける。小さい子どもらはほとんど裸足で元気よく遊んでいる。
 うちのすぐ近くに新築中の家があるが、この炎天下、男女の作業員が来て、ほとんど手作業でレンガ積みやモルタル塗りなどをやっている。サリーをまとって裸足にサンダルを履いた女性はアタマに布で覆った丸い皿のようなものを載せ、そこにコンクリや土砂を盛った盆を載せて器用に運び、素手で目的の場にざっとぶちまけている。よく怪我もしないでやっているなあと感心する。家にも工事現場にもトイレなどないので、女性らはなるべく行かなくて済むように日中も水分を摂らないようにしている。夜間のトイレも何人かで連れ立って草むらの陰に行く。こういう女性を狙った性犯罪が多いからだ。

 厳しい環境で生き延びていくには、肉体の強靭さはもちろんのこと、注意深さと我慢強さを持ち合わせている必要がある。
 池亀彩『インド残酷物語』は、主としてカルナタカ、つまり南インド社会のフィールド・ワークだが、同じインド国に住んでいる身としてはいろいろと思い当たることもあり、あっという間に読了した。
 政治や宗教、男女格差、カーストなど、あまりにも大きな理不尽さの中で生き抜くには、小賢しくひとの裏をかくようなことも必要だ。子どものころからそういう状況に常に晒されていたら、自分以外のひとのことを羨んだり妬んだりして性根が卑しくなったとしても、理解できないことはないのだが、この社会には、いわゆる上流に位置するところにとんでもない悪党がいたりするのだった。狡猾な分、妙に愛想がよかったりするので気を付けなくてはならない。

 親日家で、弁護士だから法律に明るい。父親は元高級官僚で人脈も広く地元では名家だ。ビジネスマインドがあるのできっと力になってくれる。その人物に初めて会うときにそう紹介された。

 インド人の中でもかなり大柄なほうだ。いちどに二人前くらいは軽く食べているように見えたが動作は機敏、話題が豊富で表情が豊か。よく響くバリトンで豪快にわははと笑うとこちらもつられて笑ってしまう。一見、チャーミングな人柄に思えた。
 親戚に日本人女性と結婚したひとが二人いて、だから自分には高齢の日本人の叔母がいるのだと言っていた。ま、たぶん嘘だと思う。
 大学は英国だが日本に短期留学していたので知り合いも大勢いる、六本木の外国人クラブには今も自分の名前が登録されているから帰ったときは立ち寄ってくれ、日本語は今も勉強中で、耳がよいから日本人が話していることはなんとなく理解できる、などと会うたびにぺらぺらと喋っていた。日本のことはよく知っている、日本語で悪口を言ってもわかるんだぞ、とけん制している風でもあった。
 なにかというと「我々がインドと日本の架け橋になろう」と豪語する。それはいいのだが、インド首相と当時の日本首相の親密さにすぐ話を結びつけようとする。当時の日本首相のことを、私は無能を通り越してもはや害悪としか思っていなかったのでこれには閉口した。

 勘が良くて相手の懐に飛び込むのが上手い。「あいつは大口叩きだ」と看破するひとは何人かいたものの、こちらの拙い英語の質問をたちどころに解して相手に伝えるなど、商談では頼りにすることが多かった。
 彼が次から次へと連れてくるインド人実業家は、通信用海底ケーブルの部品調達から香料用のメントール生産、カシミール地方のパシュミナ・ストール販売まで、何の脈絡もなかった。ただただ、日本とビジネスをしたいので日本の会社を紹介してくれ、あるいは自分たちに出資してくれ、というばかり。もう忘れたが、どう考えても日本では無理筋と思われるモノもあった。

 ひとの操り方は、それは巧妙で、こちらに対しては「彼らはローカルなインド人だから商習慣がまったく違う。直接、話を進めるのは危険だから必ず自分を通せ」と毎度うるさく言っていた。後からわかったが、その一方で、相手方のインド人には「有望な日本の投資家がいる」と持ち掛けておいて、やはり「日本人は特にシャイだから必ず自分を通して交渉しろ」と念押ししていたらしい。そうしておいてインド人から『紹介料』をとり、ホテルや高級レストランの我々の飲食代などを負担させていたのだった。当時こちらはそんなことはまったく知らなかった。

 つき合っているうちに何度か、「おや」と思うことが出てきた。これは日本では通用しない商品だと考えていた案件で、奴は彼らに対して勝手な話を吹き込んでおおいに期待を持たせてしまっていたのだ。日本市場の話を勝手に広げないでくれと後から釘を差すと、「わかったわかった」と口では言っていた。が、私らのいないところでどこまで大風呂敷を広げていたのかわかったものではないなとそのとき感じた。

 どうやらこの人物は、日本人とインド人の双方を手玉にとってお金をかすめ取ることには熱心だが、本来の商談が進まなくてもそれは一向に構わないみたいなのだった。だからいざ、前金をいつ振り込むとか、輸出入の代行はどこを通すかなど、そういう具体的な段取りの相談をしても彼を通してはいっかな返事がない。「銀行手続きに時間がかかっている」、「役所を説得している」などと言う。
 同じようにインド人側に対しても適当なことを言い繕って煙に巻いていたに違いなく、大真面目にビジネス化を検討していた当事者どうしがそれぞれに、なにが起きているのかよくわからないという滑稽な事態に陥ってしまった。挙句にインド側の責任者から唐突に、「ウチのワイフに失礼なことを言ったのだから、謝りに来い」などと意味不明のテキストがメールで送られてくる。何のことかまったくわからない。
 今から思えば、インド人への言い訳にこちらの悪口を吹き込んでいたに違いなく、先方の奥方に関してこちらが何かよろしくないことを口にしたということにされていたんだろう。

 彼にしてみれば最初の引き合わせこそがお金を巻き上げるチャンスだったのだ。
 そのくせ、現実に話が進展し出すと何もしていないくせに、「自分が紹介したのだからコミッションを払え」とうるさく主張してくる。次第に度を越した身勝手なふるまいが目につくようになった。

 新規事業の話を繰り出してくる一方で、設立した会社の準備業務に必要だと称しては、小額の小切手を切るよう、会うたびに依頼してくるようになった。その割に段取りは何も進んでいないように見えるのだった。「見える」のではなくほんとうになにもしていなかったのだ。こうやって小金を巻き上げることに味を占めた奴はそのうち仲間と共謀してペーパーカンパニーを作り、そことの取引を偽装して会社の経費を横領するようになった。悪事の証拠が発覚したのもそこからである。ほかにも自分の連れてきた業者に会社の仕事を受注させてはキックバックを取っていた。が、これなどはよくある不正の手口である。

 縁を切ろうすると、「コミッションは自分に権利がある。誰が紹介したと思っているんだ」といきなり怒り出し、大声で喚き出した。ホテルのガーデンテラスで、周りのテーブルが空席だったのをよいことに、夕暮れがすっかり暗くなるまで、わんわんとひとりで怒鳴り散らしていた。このところの強引な言動にちょっと病的なものを感じていたので、これが決定打となった。

 自分で自分の言ったことに興奮してどんどん加熱していく様子を、私は右から左へ聞き流しながら割と冷静に眺めていて、いつまで続くんだろ、体力はありそうだもんな、しかし暗くなったなあなどと考えていた。そうして、ああこれが本性なのかとも納得した。これまでの、親日家を装った愛想のよい弁護士の顔ではなく、あくまでも自分本位な意地汚い詐欺師の顔だった。

 口が達者でうわべは魅力的に振る舞える、誰にでも平気で嘘をつく、小賢しい言い繕いや屁理屈は大の得意技、どこまでも自己中心的で自説を曲げない、周りのひとの感情にまったく無頓着。まったくサイコパスの条件満点セットだ。そうしておいて周囲には「自分のほうが被害者だ」と触れ回っていた。会社からまとまったお金を横領した直後、ノイダの5つ星ホテルで家族を連れて豪遊しているのを近所のひとが見ているというのにだ。盗んだお金で家族にいい顔するなんて、罪悪感も皆無なんだろう。

 なぜそんなことをするのか、まじめに商談を手伝ったほうが長い目で見て得なのに。しかしサイコパスの心中を察するほうが無理というものだった。

 

 『インド残酷物語』では、社会的に恵まれない階層のひとたちが、境遇にへこたれることなく、明るく、温かい人間関係を社会的資本として頼り、逞しく生きていく姿に焦点が当てられているが、出自や育ちと関係なく、悪党は常に社会に一定数、存在している。
 人口抑制と教育が最大の課題と言われる社会において、せっかく培った弁護士としての能力をあんなセコい詐欺に費やすなんて、社会的に見たら大きな損失でありムダでさえある。道路沿いのスラムをブルドーザーで排除したところで、都市の労働力が失われるだけで犯罪率が下がるわけでもない。私が出会ったような腹黒い悪党の跋扈を社会全体で防ぐには別の飛び道具が必要だ。それがほんとうは良質の社会的資本だったり、ビジネスの倫理観だったりするのだと思う。でも、本でも指摘されているように、下層の生活を知らない新しいエリート層が、そういった観点を持ちえないようになるとしたら、それはこの先、すごく怖いことになると思う。

スラム取り壊しにより630万人が家を失う( The Scroll.in, 10th Jun. 2022 )

( Photos : In Delhi, 2022 )

 


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