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今の時代だからこそ手書きのメッセージが嬉しいのです。

約2年前から毎日更新しているこのnote史上初めて、他のnoterさんの企画に参加させていただくことになりました。

その名も「バトンリレー企画2023◎人生は人喜ばせ合戦」です。

先日の異業種交流会でお会いした【チェーンナー】さん発案の企画で、ある共通のテーマでnoterさんが記事を書き、次にそのテーマで記事を書くnoterさんを指名してバトンを繋いでいく企画です。

今回のテーマは、
「人に喜んでもらったこと」
「してもらって嬉しかったこと」
です。

今回私は、「探究横丁オンライン」主催者の「Pはかせ」こと【佐藤健友】さんからバトンを受け取りましたので、上記テーマで記事を書いてみたいと思います。


まず、今回のテーマの1つである「人に喜んでもらったこと」について考えてみた。

私は、自分としては、心から人を喜ばせようと思って行動できた経験があまりないと思っていて、自分でも書いていて少し悲しくなる。

本当は、他者の喜びを自分の手によってつくれたときに、それを他者と一緒に自分も喜べるような、心が豊かな人間でありたいと思う。しかし、自分の感覚としてはこれが正直なところだし、嘘をついてもしょうがないので、以前にもそのことを思うままに書いた。

そういう自分自身については、人のことを思いやる感情がすっぽりと抜け落ちた、合理性を優先する悲しい側面を持った人間だと思っている。

この年齢になってもまだまだ未熟な私は、依然として真の人間性を獲得するまでの途上にいて、少しずつ意識的に取り組んでいくしかないのである。

一方で、自分が何らかの行動や取組をしたときに、「"自分の意図しない形で"人に喜んでもらったこと」は確かにある。

例えば、学部4年生のときに関わっていた、学外の大人たちと共同で行っていた研究プロジェクトでの取り組みについて。年度末に作成する研究実施報告書の中身の自分の担当分のところを、従来の当研究室でまとめられてきた報告書の形式などを参考に自分なりにまとめあげてみたら、指導教員でない普段関わりのなかった先生たち(そのプロジェクト自体には私の知らないところで関わっていたらしい)にいつも以上に感謝された。

他には、今も運営の立場で関わらせていただいている「探究横丁オンライン」(当時は「大人の探究横丁」)での取り組みについて。コミュニティ内で各種のイベントや交流会を開催した際に、その概要やメンバーの発言などをその場で文書に起こし、その日のうちに報告書っぽいものを作成したら、メンバーの皆さんにすごく喜んでもらえた(ここまで書いて、どうやら私は報告書ばかり作っているようだ)。

これらの行動や取組は、往々にして「自分なりの合理性」や「自分の勝手なこだわり」に基づいたもので、自分としては当たり前のことをやったが、それがたまたま上手くハマったケースだと思う。

しかしながら、このバトン企画においては、読んだ人の心がほっこり温かくなるようなエピソードが求められていると思うので、上記のようなエピソードでは自分でも書いていて何だか物足りない気がしてきた。

そこで、もう1つのテーマである「してもらって嬉しかったこと」についても考えてみた。

しばらく考えてみて、こういうことがパッと思いつかず、「ここに書けるほどのできごとがあっただろうか」と思ってしまうところにも、私の人間性の弱さが露呈しているような気がしてならない。

本当は、日常の小さな出来事に対しても感謝や幸せを感じ取れるような、豊かな感性を持った人間でありたいと思う。しかし、これもまた私の未熟さの故に起きている現象であって、受け入れ乗り越えていかなければならないことなのである。

少し時間をかけて考えてみると、この2年間の毎日更新noteにまだ書かれていないエピソードがあったことを思い出した。

それは、私が学部生時代にアルバイトをしていた某100円均一ショップを退職するとき、私の母親世代くらいのある女性スタッフから、「今どき、こんなちゃんとしてる若者はなかなかいない」という主旨の言葉を頂いたことだ。

というのも、当時スタッフの人数が少なかったにも関わらず、研究活動やその他のスケジュールの関係でシフトを増やせなかった私は、せめてもの報いのつもりで、彼女らに負担をかけてしまっていることを詫びる手書きのメッセージを、旅行先や出張先に行ったときに購入した小さなお土産と共に何度か渡していたのだ。

彼女はその振る舞いを取り上げ、特に手書きでメッセージをつけていたことについて先のように言ってくださったのだった。

自分としては相変わらず、彼女らを喜ばせようというよりは、むしろお詫びのつもりで渡していたのだが、改めて言葉にして感謝されたことを嬉しく思った。

確かに、メールやLINEを代表とするオンラインでのコミュニケーションが一般化する中で、人から直筆の手紙やメッセージをもらう経験というのは、この時代だからこそインパクトがあったのかもしれない。そしてそれは、自分が過去に手書きのメッセージを頂いたことがある経験上もよくわかる。

これから、「人に喜んでもらったこと」や「してもらって嬉しかったこと」に意識的に気づいていける人間を目指すべき私としては、あえて手書きの感謝のメッセージを誰かに渡してみることによって、改めて人間性の涵養に取り組んでいくのが良いかもしれない、と思った。


長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。

では、次にバトンを渡すnoterさんをお2人指名させていただこうと思います。

1人目は、【enya】さん。

私が所属する「探究横丁オンライン」のメンバーでもあり、1ヶ月前の異業種交流会にて初めて直接お会いしました。探究横丁主催の「逆転授業」プロジェクトにおいても、豊かな語彙による子どもたちへの温かいフィードバックの数々が大変印象的でした。最近はnoteの毎日更新にもチャレンジされ、精力的に活動されています。

2人目は、【rika】さん。

こちらは直接お話させていただいたことはなく、コメントでやりとりさせていただいたことがあるだけなのですが、個人的にrikaさんの文章は好きなので。面識のない方にいきなりバトンを渡しに行くのもどうかと思いつつ、せっかくならより広い世代の方にバトンが渡っていくほうが企画としても良いかも?と考え、自分よりさらに若い世代の方を指名させていただくという判断になりました。

お2人とも、予告なしにご指名させていただき、すみません。お忙しいところと思いますので、冒頭(以下)のチェーンナーさんの記事の通り、決してご無理いただく必要はございません。可能な範囲でのご対応で構いませんので、何卒よろしくお願いいたします。

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